MBS(毎日放送)

松浦景子

2023年9月22日、番組収録で来社された松浦さんにお話を伺いました。松浦さんは「金の卵8個目オーディション」を経て、2015年、新喜劇に入団。「バレエ大好き」のフレーズで人気を集めています。秘蔵っ子リーダーとしての想いとは?

―2023年3月に秘蔵っ子が結成されて半年が経ちますが、率直な気持ちは?

「秘蔵っ子ってなんだろう?」ってところから始まって、ちょっとずつ形になって、でもまだどうなるかわからない、ちょっと不安もある、そんな感じでやってきました。しかも年齢制限というリミッターもあります。吉本って今までアイドルユニットとか先輩たちが沢山やってこられたイメージがあるので、それを新喜劇の若手がやるっていう。しかも寛平師匠のプロデュースってところに、背負うものの大きさを感じています。やるならちゃんと応えないといけないなとか、さらっと終わってしまわないようにと思ってはいます。

-新喜劇Z世代のユニットですね。

若手がコロナ禍にすっかり被っていた世代になるので、コミュニケーションがなかなかとれなかったです。座員が100人以上いるので、みんなが仲良くするのも、お互いを知ることも難しいなかで、若手は特に交流がなかった。そういう意味ではこういう機会を通して、みんなで集まって、一緒に何かをすることで、若手同士の絆を深められたと思っています。それでもまだお互いに知らない一面がいっぱいあって、それが本公演とか、今後の新喜劇に良い効果として出るのではないかと思っています。

―リーダーとしての心構えは?

私は「引っ張っていくぞ!」というのを、あえてやらないようにしています。女子っていうのもありますし、逆にみんなの意見を聞く側に回ろうかと思っているんですけども、筒井君はしっかりしているので、とても引っ張っていただいています。私以外のメンバーは、期生でいうと年齢も、学年も、芸歴も近いんですけど、私だけが1人ちょっと上になっているので、みんなが気を使ってくれてるのかな。その点、グイッと引っ張ってくれるというか、「いくぞ!」と舵を切ってくれるのはだいたい筒井君なんで、そのうえで私は悠々としています。助かります!

―1か月ごとに全員でミーティングをおこなっているそうですね。

そうですね、間寛平GMを交えてみんなでやってます。そこがいいと思ってます。GMとリーダーだけだと、みんなに伝わりきらないというか、なんでリーダーだけってなっちゃうかもしれないし、年齢が近いからこそ、あまり決めすぎるとそこは良くない気がしてます。みんな本業は芸人っていうのもあるので、個性は大事に。それぞれの意見も聞かないといけないなとか思います。

―間寛平GMからどんなアドバイスがありますか?

アドバイスというか、GMの「こうしようぜ」っていうのをかみ砕くという感じですかね。少しずつ分解していくというか。秘蔵っ子に限らず、若手全体に常にそういう風に接してくださるので、ありがたいです。そんな人はいなかったと思います、今まで。こんな、めちゃくちゃ上の大先輩が、若手の私たちにへりくだったものの言い方をしてくれるんだっていう驚きがあるのと、そこに甘えないようにしたいとは思っています。優しいです。

―GMからの言葉で印象に残っているのは?

結構みんなに、新喜劇全体に「何かあったら言えよ」とは本当によく言ってくれます。その言葉だけでかなりの人が救われているというか、これだけ座員がいて、生き残っていこうってみんなが思っているなかで、そういうことをしっかりやってくださる方がいる。しかも言いっぱなしじゃなくて、本当になんとかしてくださる方でもあるので、救われているところはあります、私も。

―昨年には新喜劇セカンドシアターも開館しましたね。

劇場を作ってくれるなんてなかったこと。すごいことしてくれてるなって本当に思います!

―9月にはセカンドシアターで秘蔵っ子初のワンマンライブ『吉本新喜劇・まるごと秘蔵っ子 vol.1』がおこなわれました。

新喜劇ではなかなか味わえない感触というか、お客さんの反応が温かくて、「こんな方たちどこにいたんだ?」ってくらい、すごく温かく受け入れてくださって。とにかく空気が温かかったですね。「頑張れよー!」みたいに。それがすごい伝わってきたんで、うれしかったです。

―着実に若い世代の方も上の世代の方のファンも増えていっていますね。

成長を見守ってくれているって感じます。あまりぬくぬくするのも良くないんですが、本当は。「やってやるぞ!」の気持ちが大事だと思うので、良いとこは残しつつ、もっと勝負をかけられるとこは勝負をかけていきたいと思います。

―5年前のこのインタビューでは「新喜劇をバレエで変えてみせます」とおっしゃっていました。

その時はギャグも何も持っていなかったんで、この5年間色々とやらせていただいて、幅はかなり広がったかなと思います。「新喜劇を変えていく」って言ってたんですけど、新喜劇は古き良きものなので、変えるというよりは、良いものは残しつつ、新しい風は入れたいって思っています。生意気なんですよ、私。口だけうるさいというか。でも新喜劇はもちろんですが新喜劇以外でも、何かしらのバレエ旋風を巻き起こしたいって思っています。また偉そうなこといってますが(笑)。色々とやっていきたいんで、私の活動が「新喜劇の子なんだ」ってなって、良い効果をもってかえれたらいいなと思います。

―今後の目標は?

目標、いっぱいあるんですけどね。本当に私、目標立てなんですよ、すごいんです。とにかくビッグになって頑張りたいと思います。言えることはそのくらいです。言えないことも沢山あるので、ビッグになりたいと思います。

―視聴者の方へメッセージをお願いします。

秘蔵っ子としては「売れます! 売れたいです!」。メンバーはみんな言わないだけで、めっちゃ売れたいんですよ。私はめっちゃ言うタイプです。めっちゃ売れたいんで、なんでもやるんで、よろしくお願いします。温かく見守ってください。これからも吉本新喜劇と秘蔵っ子と、松浦景子をよろしくお願いします。バレエ大好き♡

2023年9月22日談

▼以下は2018年2月19日に伺ったインタビューです。

第75回 松浦景子

お父さんが笑ってくれたのが、新喜劇に入るきっかけでした。

―舞台上でのバレエの動きが印象的ですが、お笑いはお好きでしたか?

バレエは3歳の時から始めました。家族がとにかくお笑いが好きで。小さい頃に家に「オレたちひょうきん族」(CX)のDVD-BOXがあって、それを見て育ちました。映画はチャップリンとかを見るというのが日課になってて、週1回くらい「baseよしもと」とかを見に行くくらい、お笑い好きな家族だったんです。バレエをやりながら、お笑いもいつかやりたいなと思っていたので、今こうなっているのがメチャクチャ不思議です。

―バレエの道には?

よく「バレエの道に行かへんの?」と言われたんですけど、あまりバレエでやって行こうと思ったことがなくて。バレエでやって行こうと思ったら、かなり身長やスタイルがいるんです。私は背が低めなので、中学・高校生の時に、「あかんな」って気づき始めて。通っていたバレエの教室が元タカラジェンヌの先生だったので、宝塚の道もあったんですが、先生に宝塚でもちょっと背が足りないと言われて…。「全然道ないやん!」ってなってしまって。まわりの仲いい子たちはみんな宝塚入るとか、バレリーナとして海外に行くとかなってきて、「自分はどうしよう?」って思い切ってお笑いの道に行くか、普通に就職するか迷っている時に、お父さんが病気になってしまったんです。今までのものがスパーっとなくなったみたいになって。これは変わり目かなと。バレエってメチャメチャお金かかるので、そこからいろんなバイトとかして自分で稼いだお金でバレエ用品を買ったり、コンクールに出たり。バレエ推薦で大学に入って、奨学金もらって。精神的にずいぶん追い詰められてましたけど、お父さんのこと考えたら、そうせざるを得なくて。その父が病気になってから、「もうお笑いはいい」って言いだしたんです。テレビとかバラエティとかで笑ってられへんからって。でも私からしたら見て欲しくて。笑った方がいいっていうのもあったし。新喜劇やったら、傷つかないし、平和な笑いかなと思ったので、毎週録画してたのを真っ暗な部屋で流したら、笑ってくれたんです。けっこう暗い話ですけど、新喜劇って、こういう状況の人でも笑えるんや、ってものすごく魅力を感じました。父が亡くなり、ちょうどその時期に新喜劇のオーディションがあって、これは運命的やなと思って…。

―オーディションはどうでしたか?

それこそ、お笑い好き、バレエやってましたっていうだけだったので、踊ることはできるんですけど、声を出すということが全然できなくて。お芝居の審査もあったんですけど、経験とか全くなくて。事前に台本渡されて女の子のセリフを全部覚えるように言われても、覚え方もわからない。どうにでもなれと思って、どれも覚えずに行ったんです(笑)
(あはははは)
一番セリフの少ない役があったんで、これやったら…これになれ!と思って行ったら、たまたまその役に当たりました。審査前に、作家さんがちょっとお稽古をつけてくれるんです。ほかの皆さん、すごいできる人ばかりで、オーディションやのに、私は「もうちょっとちゃんとやってください」とダメ出しされるくらい、さんざんで。芝居の審査は小籔さん、川畑さん、すっちーさんが見てはったんですけど、その時点で心臓バクバクでした。最後に小籔さんから「松浦さん面白い話ありますか?」って聞かれて、とっさに「ないです」と言っちゃったんです。すごい空気になって、小籔さんが「終わってますね」って言って終わったんですけど、通ってて。で、最終面接の時も、大遅刻して、面接会場では社員さんが呆れて待ってるし。面接もすぐに終わりました。「絶対アカンやん」と思って。帰ろうと外に出た瞬間、涙ボロボロ出て来て。これから何しようと思ってたら、何がどうなったか、合格のお電話をいただいて、8個目として入団できました。すごくうれしかったです。母もすごく喜んでくれました。ここからまた「人生変わる!」と思いました。

―全然違う世界に入って戸惑われたことは?

いろいろあるんですけど…まず、食生活がガラッと変わりました(笑)
(バレリーナは太っちゃいけないから?)
生活がバレエ、バレエってなってた時に、お母さんもすごく厳しくしてくれて。家はリビングの仕切りとかドアも全部取っ払って、部屋に鏡を全面につけてくれて、レッスン・バーをつけて、床もバレエ用に変えて。で、皆さん、すごくビックリされるんですけど、家に炊飯器がなくて。ずっと家では炭水化物や揚げ物とかをできるだけ食べないようにして、夜は絶対食べないとか。だから、成長期とかほんまに成長しなくて…。
(え!? まさか…?)
(笑)それもあると思うんです。普通は食べても大丈夫なんですが、私の家系はすぐに太っちゃうんで。学校のお弁当もお弁当箱に寒天を敷き詰めて、ふりかけみたいにきなこをかけて食べるとか。すごく質素な生活をしてて…。周りの子がお弁当を恵んでくれるんです。そのぐらい、食にはかなりこだわって力入れてたんですよ。新喜劇に入ってからそういうのがなくなって。吉本入ってから初めてラーメン食べたんです。初めて天下一品にすっちーさんが何人かで連れて行ってくれて…。
(いきなり天下一品!)
ほんとに恥ずかしいんですけど、食べ方もわからなくて。麺をすすれないんですよ。
(あははは)
すすれないから食べるのが遅くて、ダラダラ食べてて、むっちゃ怒られて。「食べたことないんか!」「ないんです」みたいな。新喜劇に入ってからいろんな食べ物を知ったんですが、今でも食べたことないものがあるくらい。だから体重は一気に増えました。幸せ太りですけど(笑)
(何が一番お気に入りになりましたか?)
正直、いろいろある中、結局、白ご飯が一番おいしいです。(笑)ほんと食べてなかったからだと思うんですけど。白ご飯って、みんな「三角食べ」っていうんですか、上手にご飯とおかずをバランスよく食べて、ご飯が終わるころにおかずが終わるみたいな。私は「三角食べ」に慣れてないんで、絶対最後、ご飯だけ残るんです。で、ご飯だけ食べるっていう。それくらいご飯が一番衝撃的やったんです。おいしさは。

―ほかに苦労されたことは?

踊ることしかやってなかったんで、お芝居するとか、声を出すことができなくて。
(バレリーナは黙って踊るだけですもんね)
とにかくみんなに追いつかないとという気持ちで、できるだけ1人でカラオケに行って、毎日4時間くらい籠って、お稽古でもらったセリフとか、ひたすら声を出す練習をしてました。好きな歌を歌って、声を慣れさせて、喋って。いい役とかいただいた時には、今でもたまにやるんですけど。それでもまだまだ声もちっさいし、出し方も正しくないんですが、そうしないとみんなに追いつかないと思って、それはやりましたね。
(けっこう、苦労されていますね)

―新喜劇に入られてから、バレエのコンクールで優勝されたとか。

8歳くらいから新喜劇入るちょっとくらいまで。コンクールとかに出続けてたんです。1年に何回かあるんですけど、それを10何年くらい続けて出て、成績も徐々に出て来て。むちゃくちゃ大変なんです。コンクールって。1人で踊るんですけど。その苦しいのをずっとやってて、新喜劇に入ってから、「何か足りないな~」と思って。自分を覚えてもらうためにも、1位を取らないと、って思ったんですよ。1位取ったら、「あの子、1位の子や」って言ってもらえるかなと。新喜劇に入って舞台デビューまでの期間があるんですけど、そこでメチャクチャ練習して。大学にも行きながら、新喜劇のお稽古終わった後で、東京に1人で行って、そこでコンクールで何とか1位取れて。一番苦しい期間やったんですけど、これでなんとなく「バレエの子」って覚えてもらえるかな、と思って。その時はすごく頑張りました。

―初舞台は覚えてますか?

辻本さんで祇園花月でした。結構、私の経歴が変やということで、みんないっぱいいじってくれて。お芝居中も台本にないことを辻本さんにバンバン言われて。私はその時、食らいついていかないとと思って、メチャクチャ必死に答えて。毎回変えて。お客さんはどうかわからないんですけど、演者側が笑ってくれて。辻本さんはそんな私をゼロから知っているので、いろいろ作ってくれたというか。人としてもアドバイスもいろいろいただきました。デビューからすごい速さで、NGKもすぐ出させてもらって、いい役もすぐいただいて。4~5か月くらいで話のキーになる役を連続でいただいたんです。「なんで私なん?」みたいな感じで、周りにもそんな空気を感じました。けっこういっぱい感情を出さないといけない役で、毎日カラオケに籠りまくって。いろんな人のアドバイスを聞いていたら、いろいろ迷い過ぎて…。唯一、トイレに行ける時間が1人になれる時間やったんで、そこでメッチャ泣いてすっきりして戻って来るみたいな。それでだいぶ強くなりました。
(今振り返ってどう思いますか?)
その時の自分のレベルと求められるものが合ってなさすぎて…。なんでできへんねんって思っているのと、まわりからのプレッシャーもすごく感じて…。すみません。なんか当時のことを思い出したら…。私、メッチャ涙もろいんですよ…。
(ごめんなさい! 泣かせてしまった~!)

―その後、ご自身で転機になったと思われることは?

すっちーさんって私にとってのターニングポイントをすごく与えてくれる人なんです。私のお笑いに対する考えをいい方にいい方に変えてくれる方で、すっちーさんの一言、一言で、けっこう大きく変われたので…。悩んでても、すっちーさんの新喜劇を見て、プラス思考になって。ご本人はそんな風に思ってないかもしれないけど、ポロっと言ったことが私にとってだいぶ響いて。恩人と言って過言ではないです。
(何か覚えていることありますか?)
バレエをおいしく、面白くするようにすごく仕向けてくれるというか。ちゃんと芸人として扱ってくれたので、あ、そういうことか、と思って。そっから私の生活も全然変わるくらい、一芸人として見てくれて、しっかり叱ってくれる。アカンとこはアカンと言ってもらった方がやる気が出るので、だいぶお尻に火をつけてくれました。

―すっちーさん以外にお世話になった先輩は?

皆さんにお世話になったんですけど、珠代姉さんはあんまり怒らない人なんです。皆さんに優しいんですけど、私に1回バーッと怒った時があって。それこそ泣いちゃうくらい怒られて、シュンとなってたら、いろんなとこに誘ってくれるようになって。「可愛がりがいがある」って言われて。怒ったのも覚えてて、この子は怒っても大丈夫やと思ったから、って。それから週2~3回くらい珠代姉さんのところに泊まりに行くようになって。珠代姉さんはこの世界では大御所というか女芸人の鑑なので、昔のビデオを見せてもらったり、苦労話を聞いて、ほんとに生きざまが芸人なので、すごくそれを教えてもらって。たまに酔っ払って意味わからん時もありますけど、そういうのがうれしいので、その期間は私にとっては頑張ろうと思えました。珠代姉さんは私にとって雲の上の存在やったんですけど、普段の姿を見せてくれて、頑張り次第やと考えを変えてくれた人です。

―バレエはこれまで新喜劇に全くなかった要素ですが、それを武器にしようとは?

メチャクチャありました。オーディションの時点で、「これはバレエしかない」と思って。まず、なかったことやし、オーディションの用紙にも確か「バレエで変えます」みたいことを書いたんです。
(新喜劇を?)
恥ずかしながら。誰がどの口で言うてるねん!って感じですけど。まあ、気持ちはそのくらいで行きました。やっぱり新しいものが何かあった方がいいんじゃないかと。今でもそれは、何か生まれればな、と。
(お客さんも新喜劇で、バレエとは思わないですよね)
最初はにぎやかし的な感じで踊ることが多かったんですけど、どんどんネタになって、フリがあってボケとしてやる時も増えて来たので、もっとそういうのが増えればな、と。それは私の努力次第なんですけど。
(バレエをどう組み込むのかは難しいですね)
かなり、意味わからないと思います。新喜劇という1つのお話の中にバレエを入れるなんて難しい。私が座長やったら、めちゃくちゃ悩むと思います。一気に話がずれちゃうところもあって。すっちーさんはそこを上手く引っ張ってくださって。ある日突然、それこそ何もない状態ですっちーさんから「これやってみて」と言われて。ほんとに「いつの間に考えてたん?」というくらい、考えてくださってて。ポーズもこんな感じでって決めてくれて。やった初日にお客さんにすごくウケたんで、「すごいな」と思って。そういうものが確立して、バレエのボケとしてちゃんと使えればと考え中です。
(ギャグをバレエでやるのはスゴイですね)
斬新すぎると思います。しかも女の子なので、見る人によったら、何してるの?ってなると思うんです。普通にしてたらいいのにとか、邪魔になるよという時もありますが、お芝居ができてこそなので。お芝居はできて、しっかり軸がある中でポンとあるといいですけど、私は先にバレエをやっちゃったので、今お芝居を勉強中なんですけど。新喜劇の中になると、なかなか両立は難しいです。
(誰もやってなかったですもんね)
入った時の気持ちとは全然違いますね。入った時はびくびくでしたけど。どうするかは自分の努力次第で、今が一番大事な時かなと思います。いかに粘り強く頑張るかという。

―もうすぐ3年ですが、将来の目標は?

私が最初にこの人いいなあと思ったのは、由美姉さんなんです。由美姉さんって末成由美ブランドみたいなのがドン!とあって。絶対真似できないじゃないですか。どう頑張っても真似できない圧倒的存在感と、魅力みたいなのがあって。スキルやボケもいっぱいあって、しかもサラッとできはるので、カッコええなと思ってて。私が入った時に一番苦労したのが、声がすごく低いこと。しかも張らないといけないし。最初は声の高い役が来るので、メチャメチャ苦労してたんですけど、由美姉さんが「声低い方が幅が広がるよ」と言ってくださって。役の幅もそうですし、「ネタも幅が広がるかもよ」と言ってくださって。今は覚えてもらうために必死に「バレエです!」ってアピールしてるんですけど、いつかは「昔、バレエやってたな」というくらいに。「普通にマドンナとかやっておけば?」とか言われたりするんですけど、まず、オープニングとかの普通の女の子ができないと。まず。普通のお芝居ができて普通の女の子ができないと、ボケもできないとわかっているので。でも、普通の女の子が下手くそすぎて。キャピってできないんです。声が小さいし低いし。ほんとに毎日反省しまくりで、休みの日とか常に考えてます。
(考えるタイプですか)
けっこう考えこんじゃうんで。周りの先輩からは「もっと気楽にせえ!」って言われるんですけど。すごい追い込まれます。考えない方がいいかなって思うんですけど、怖がりなんで…。そこは大人になろうと思います。大きな夢としては、いつかNGKで自分のイベントをやりたいです。まだ全然到達しないくらいレベル低いんですけど。

―趣味とかハマっているものは?

趣味はメッチャあって、大衆演劇を見ることとか、宝塚歌劇を見るのが好きですね。最近はバレエの友だちとか先輩後輩とかよく出ているので、刺激を受けまくってます。お笑いと離れすぎると怖いので、休みの時もひたすらお笑い見るとか、他の事務所のライブも行ったりして、何か吸収しようと思ってます。あとはピンク色が異常に好きで…。異常なんですよ。部屋もピンク、持ち物とかも全部ピンクなんです。ほんとに林家ペー・パー子さんに弟子入りしようかなと思うくらい、ほんとにピンクが好きです。楽屋の皆さんがお姉さんたちもピンクのものがあったら、服とか小物とかいっぱい下さるので、そういう仕事を立ち上げようかと思うくらい(笑)
ピンクのもの集めるとか見るとかがすごく好きです。
(いつ頃からですか?)
小さい頃からです。ピンクがないと生きていけないって思うくらい。最近衣装さんも気を使ってピンクの衣装を入れてくれるんですけど。
(いっそピンクの人になったら? 緑の人もいるし…)
いいなら全然やりたいです。可愛い物とかフリフリっとしたものとかも好きです。前世になんかあったのかなと思うくらいです(笑)

2018年2月19日談

プロフィール

1994年4月20日兵庫県伊丹市出身。
 2015年金の卵8個目。

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