第23回 松浦真也

入った頃は、先輩より先に帰って怒られました。


―もともと芸人を目指されていたわけではないんですね。

古くは中学の時にプロゴルファー目指してました。ほんまに夢の段階というか、なりたいなという程度で。高校の時に医者になりたかったんで、理系へ進んだんですけど、勉強が難しくてこれはアカンわと。それで、日本で外国人の方が犯罪に巻き込まれた時に、裁判所で通訳する仕事があると聞いて、「あ、これや」と思って、それになろうと外大(神戸市外国語大学)に入ったんですよ。入ったんですが、音楽も好きだったので、バンドもしたくて。バンドしながら勉強もしてたんですが、音楽の方ばっかりやってしもて…。一浪で入って、結局、卒業まで6年かかってしまいました。で、音楽でやって行くのも大変やと思って就職したんです。

―サラリーマンをされていたんですね。

賃貸住宅を扱う会社でしたが、仲介の仕事ですからね。就職したものの、成績が追求される仕事なので、しんどくなる時があって。1年半くらいやったんですけど、成績は全然ダメ。ミスも多くて、その時の店長から「お前ほかに向いてる仕事があるんちゃうか?」と。事実上の肩たたきというか、クビになって辞めちゃったんですよ。やることないし、家でボーっとしてたら、その時29歳でしたから、母親から「あんたどうすんの? どうすんの?」と言われて、毎日ケンカばかり。僕は覚えてないんですけど、姉が見かねて、「何かやりたいことないの?」と言った時に、僕が「人前に立ってなにかしたいんや」と言ったらしいんです。それが何となく姉の頭に残ってて、たまたま新喜劇のオーディション(金の卵1個目)があるのを見つけて「一次審査に一発芸あるから、あんた歌があるし、やってきたら?」と言われて。ほかにやることなかったんで、それだけやろうと思ってそれで受けたんですよ。だからお笑いやろうとか、全く、その時までなかったですね。好きでしたけど、あくまで見る側というか…。

―思いがけない形で新喜劇に入られたんですね。

入ってからもお笑いとか目指してないから、何をやったらおもろいんかとか全くわからなかったです。金の卵で作家さんについてもらって、周りの人がやっているのを見ながら、「こういうことか~」と思いながら。宝塚歌劇から入った仙堂花歩と漫才を作って、自信作出来たんですが、作家さんの前でやったら大笑いされました。
(ウケたわけじゃなくて?)
ウケたんじゃなくて、大失笑でした。「なんやそれ?」と言われて。けっこうショックで…。難しいな、お笑いって、と。
(舞台に上がるのも勇気が要ったのでは?)
要りましたね~。YouTubeで(自分の)出始めの頃の映像を見ましたけど、ただただ気持ち悪いだけでした。何したいんや、こいつは、って。

―初舞台は覚えていらっしゃいますか?

覚えてます、覚えてます。2006年の1月やったと思います。温泉街が舞台の辻本さんの週で、川畑兄さんが幕開きでいてはって、仙堂花歩と僕らがわ~っと来て。ネタも普通は若手が考えるんですが、川畑さんに作ってもらって。僕らが足湯につかっていたら、川畑さんが「あ、いいですね~僕も最近調子が悪いんでつからせてもらっていいですか?」と入って来はって、「どこが悪いんですか?」と聞いたら、「水虫で…」「うわぁ~!!」と飛び出るっていうネタでしたね。
(舞台は1週間あるので、いろいろやってみたのでは?)
いろいろ変えましたよ。僕が足湯なのに、真っ裸になったりとかね。「そこまでせんでええねん」って。全然ウケへんかったから動揺してしもて、脱ぎ捨てた浴衣を舞台に置いたまま帰ってきてしもたり。「脱いだもんは持って帰りや」と演出家の方に怒られたりとか、飛び出る時に発砲スチロールの岩を蹴飛ばして、コロンコロンと客席の方までいってしまうとか。
(それはウケますよね)
ウケましたけど、怒られましたね。一応、石のつもりでやってるから、そこは蹴ったらあかんやろ、と。
(失敗の方が多かったんですね)
舞台以外でも楽屋で。稽古終わりに座長とか先輩とか差し置いて真っ先に帰ったりとか…。
(おお~)
サラリーマンの頃は自分の用事が終わったら、帰ってたんです。基本、残って仕事してる店長に「お疲れ様でした」と言って。その時も楽屋が何十人とごった返してたので、僕もやることない人間は早く帰った方がすっきりするなあと思って、良かれと思って帰ったんですが、芸人の常識として、「何じゃあ、あいつは!」となって。先輩が走って追いかけてきて、「待っとけ!お前」とかありました。ま、バンドでステージはやっていて、人前で何かをする経験はあったので、自分の中ではその点に関してはド素人という気はなかったんですが、ただやることが。しゃべったりとかは緊張しましたね。

―オーディションを薦められたお姉さんやお母さまの反応は?

これがまた、引きこもりから入ったんで…。
(引きこもり!?)
クビになってから、家で2~3か月引きこもっていたので、おかんとしてはとりあえず何かして欲しい、という気持ちやったんですよ。普通やったら「芸人になる」って言うたら、「なんやそんな仕事!」ってなるはずなんですけど、とりあえずなんかし出したから、母親としてはちょっとホッとしたみたいで、反対とかはされませんでしたね。父親からもまったく。

―サラリーマンから新喜劇だと生活が大変だったのでは?

(親に)お金の世話とかにはなってなかったんで、わかってなかっただけかもしれませんが。けっこう貧乏でしたよ。ま、バイトしたら何とか…。舞台が1回800円くらいでしたね。ただ入ってすぐに京都から通っていた時期に、楽屋入りする時間を間違えてて、遅刻してしまったんですよ。それで半年仕事なくなってしまって。3か月謹慎で、(存在を)忘れ去られて3か月、合わせて半年間、仕事がなかったですね。その時はほんとに厳しかったですね。

―金の卵1個目はなかなかのメンバーですね。

森田(展義)さんと、吉田(裕)さんは初舞台が早かったですね。前の年の11月に全員でお披露目の初舞台みたいなのをやったんですが、その後にすぐマネージャーさんから話を持ってこられてて。それを見てめっちゃ悔しかったんを覚えてますね。僕は遅かったんで、その初舞台を見てました。悔しかったですね。あの2人には絶対追いついたろ、と思ってましたね。

―今のギターキャラクターにつながったのはいつですか?

梅田花月で烏川さんが漫才の方たちとやるミニ新喜劇があった時に、ヤクザ役でギターでなにか出来ないかと、台本に書いてあって、しましまんずの池山心さんと一緒に出させてもらったんです。その時まだ、何がおもろいのかわかってなかったんですけど、とりあえず、「梅田金融」のテーマソングを作ってやろか、と。歌の最後に池山さんとハモったんですよ。ハモったらけっこうウケて。その時に「あ!」と気づいて。アホみたいなことをうまくやったらウケんねん! って。初めて自分の中でこれは使えるな、と。それまではベタな新喜劇のネタしかわかってなかったんですが、その時に初めて自分の中でモノになったと。ムダなテクニックみたいなのが自分の一つの要素になってますね。
(これまで楽器は新喜劇と無縁だったような…)
川畑さんが弾いてたらしいんですが。フリというか伴奏というか。ギターで笑いはなかったんですかねえ…。
(歌でもないところにもぐりこんだというか…)
もぐりこんだ(笑)、ほんまにそうですね~。早いもん勝ちというか。うまくはないんですが、唯一の取り柄というのが、なんとなくパパッと弾けるというところ。ネタあわせの時とかに、「こんなん出来る?」と言われて、ちょっと練習してパッと出来る、それはちょっと合ってたのかもしれないですね。雑ですけど、なんとなく弾けるのが。

―キャラクターが出来るまで、長かったですね。

それやってから、また2年仕事なかったんですよ(笑)。
(えっ!?)
3年間ほぼ仕事なくて、梅田花月でそれやって、多少手ごたえあったんですが、また2年仕事なかったんですよ。周りの人にもあまり知られぬまま。その2年後に京橋花月が出来て、烏川さんの一日座長が1回だけあったんですよ。その時に、覚えててくれてはって、「松浦、アレしてみるか?」いうて。それでやらしてもらって、そこでもウケて。その後にNGKでリーダー週みたいなのがあって、烏川さんの回で、ようやくNGKでやらせてもらいました。京橋花月の時は、一の介師匠とやらせてもらったんですが、師匠は「新喜劇にギター持ったヤクザ出るなんて、コントや!」いうて、若干怒ってはって。「そんなんやりたない」みたいな感じやったんです。まあ、舞台出たら何となくウケたんで、よかったです。初めはみんなから(ギターを持っているのが)「おかしい」「無理やろ」みたいに言われてましたね。今でもそうなんですけど、なるべく「借金の変わりに取ってきた」とか、お芝居の中に乗せようとはしてるんです。そこは守ってるんですけど。

―その後は?

そっからは、ずっと清水(けんじ)さんと組ませてもらって、ノウハウみたいなものを覚えましたね。3~4年前ですか。そのあと須知さんとやりだして、2人に教えてもらったことがめっちゃ多いですね。ネタの作り方もそうですけど、ちゃんと考えてきて、毎回一つは新しいことをしようという精神というか。毎回一緒と言われる新喜劇ですけど、ネタが3つあったら、1つは新しいものを入れよな、というのを教えられてきました。その時、全然ギャラは上がってなかったんで、なんぼ出ても月10万くらい。どうしたらええんやろなと思っていたら、「すち子&真也」で「歌ネタ王決定戦」(2013年)で優勝してようやく落ち着いた感じです。新喜劇は(著作権の関係で)替え歌はよくないので、オリジナルにしないといけないんです。それが逆に良かった部分もあって、いろいろ自分の中でひねり出して出来たネタもあるんで、ありがたかったというか…。

―この先、新喜劇でやって行きたいことを聞かせてください。

個人的にはやっぱり、もっとお芝居をやりたいと思います。まだ自分が出来てないことが多いんで。なんやろなあ…。出てきてお客さんが期待してる中、笑いをとれるようなところまで行きたいなとは思いますけどね。今はまだ、「なんやあいつ? けっこうオモロイやん」ぐらいの感じやと思うんです。
(ギターは捨てない?)
ギターは…捨てるかもしれないです。もしかしたら。理想はもうひとつ、何かちゃんとした別のキャラクターがあって、ギターを持ったら久しぶりやなあ、みたいな。「あ~今日はギター持つんや」みたいな感じになったら、メッチャうれしいですけどね。

―ギター以外にはまっていらっしゃるのは?

将棋が好きで、2年くらい経つんですけど、こないだやっと初段になって…。
(段を取るのはすごく難しいんじゃないですか?)
インターネットで対戦する将棋連盟が認定している将棋のアプリがあって、ずっと勝っていったら初段が出るんですけど、それで取りました。
(記憶力と先の一手を読むゲーム、ですね)
っていうんですけどね。つながってるのかどうか。小籔さんも格言的に「仕事出来る奴は将棋も強い」とおっしゃっていて、「将棋強いのになあ、お前先のこと読めてないな~」と言われてます(笑)。つながってないけど、将棋は大好きですね。将棋で集中力はついたと思います。将棋が強いシャンプーハットのてつじさんに教えていただいたり、仲間内でトーナメントしたり。ただ、単独ライブの前にネタ考えなあかんから、それがいやでいやでしょうがなくて、一日100局やったりとか…。
(インターネット相手に?)
6時間くらいずーっと。それもあんまり集中してないから、ただただ逃避行動ですけど。
(せめて人と対局してください)
そうですね(笑)。

2015年2月23日談

プロフィール
1976年7月18日 京都府生まれ。2005年9月金の卵1個目オーディション。