JR福知山線の脱線事故から4月25日で20年。現場では追悼式典が行われました。

 2005年4月25日、兵庫県尼崎市で、JR福知山線の快速電車がスピードを出しすぎてカーブを曲がり切れず脱線し、線路脇のマンションに衝突。乗客106人と運転士が亡くなり、562人がけがをしました。

 事故から25日で20年。発生時刻の午前9時18分ごろには、速度を落とした列車がゆっくりとカーブを曲がり、現場を通過しました。列車内でも視線を落とし静かに祈る遺族の姿がありました。

 (夫を亡くした原口佳代さん)「彼の命がここで亡くなったんだなと。彼をきょう身近に感じた。(毎年)この日は、どん底というか悲しみの中にいる。20年があっという間に過ぎたという感じです」

 国交省の調査委員会は当時、事故の原因について、JR西日本の“懲罰的な日勤教育”が背景要因にあるなどと指摘。事故直前に前の停車駅でオーバーランをした運転士が『日勤教育』を避けようと言い訳を考えるなどして運転から注意がそれた結果、ブレーキをかけるのが遅れ、脱線につながったとされています。

 (母を亡くした尾形麗さん)「事故が起きない世の中に向けて、交通機関を含めて前に進んでほしいと思います」

 (事故で負傷した玉置富美子さん)「体が不調であれば、かわってもらえるような人数の配置も大事だと思うし、人の心の中まではなかなか教育できないかもしれないですけど、一番やっていただきたいことかなと思います」

 追悼慰霊式に出席したJR西日本の長谷川一明社長は「事故の反省や教訓を後世に継承していく」と述べました。

 (JR西日本 長谷川一明社長)「鉄道事業者としてあってはならない大きな事故を引き起こしてしまいました。一人ひとりが安全に対する確固たる強い思いをもとに、お客さまに安全安心をお届けしていく気持ちで、日々の業務を遂行していく」

 慰霊の場では、午後3時半から一般の人も献花ができることになっていて、鎮魂の祈りがささげされています。