「高島を語るときに、ガリ勉のイメージは全くないです。むしろ勉強してんの?」と話すのは、名門・灘高で23年教鞭を執った元名物教師で「キムタツ」の名で知られる作家の木村達哉さん。4月23日の芦屋市長選、史上最年少で当選した無所属の新人・高島崚輔さん(26)とはどんな人物なのか、恩師が秘蔵エピソードを語った。

――高校時代の高島さんはどんな生徒でしたか。

かなり熱量が高くて、ボランティアをやったり、学内だけでなく学外でもいろいろやっているイメージです。多分高校2年ぐらいのとき、被災地に行ってると思います。何か人の役に立ちたいなという、そういう『熱量は高い子』だったと思いますね。

――成績は優秀でしたか。

かなり良かったんじゃないですか。英語は、英語そのものを勉強するというより『英語で勉強する』感じでした。海外の大学に行く子にとっては、英語も表現の道具ですので、自分のやりたいことのために勉強していました。

ただ高島を語るときに、ガリ勉のイメージは全くないです。むしろ「お前勉強してるの?」という感じ。海外の大学に行こうと思うと、ボランティアとか、アートとか、いろんなことやってないと駄目なんですけど、「お前そっち(勉強)のほうは大丈夫なん」て言うたことありますわ。笑ってましたけど。

――まさしく文武両道だったんですね。

生徒会長をやったり、ラグビー部では土にまみれながらゼーゼー言うてる。それで別の日には教室にいなくて「今日高島欠席するけどどうなってんの」と聞いたら、別の生徒が「ボランティアに行ったそうです」と言ったり。もちろん授業はちゃんとやってましたから、定期考査では点数を取れるんですけど。隙間の時間を見つけては、いろいろ勉強してたんじゃないですかね。

――高校時代の高島さんは、政治家の片鱗は見せていましたか。

下級生の意見を聞き、ガンガン動いた生徒会長

高島はすごく人の話を聞く人です。ボランティアに行くっていうと、別に人を助けるとかそういうことではなくて、まずはその人の話を聞くという、人の話を聞いて、「これを改善するために自分には何ができるんやろ」っていうようなことをね、ちゃんと還元できる人ではないかなと思います。

生徒会長やってるときも、下級生の意見をいっぱい聞きながら、ガンガン動いてた生徒会長だったので、そういう意味では良いリーダーになれるんじゃないでしょうかね。あんまり偉そうじゃないですからね。

――26歳で選挙に出て、史上最年少で当選しました、なぜ当選できたと思いますか。

人柄・ビジョン・準備じゃないですか。僕ね正直、ハーバードを卒業して、「この人は一体何してんだろう」ってずっと思ってました。今の若い人たちは大学出たらどっか大きいところで働いて、というケースが多いですよね。

高島はハーバードなので、日本に別に戻ってこなくても、海外の企業で何千万っていう給料もらえる可能性があるわけなのに、なんかフラフラしてるなと思って「この人大丈夫なのかな」と思ってたんです。

でもやっぱり、自分の住んでいる芦屋市でボランティアをしながら、「もっとこうすればいいのにな」っていうふうに思っていたのでしょうね。準備を着々としていたのだと思います。

日本もまだまだ捨てたもんじゃないなぁ

――史上最年少の市長にどんなことを期待していますか。

高島さんの恩師・木村達哉さん: もちろん未熟なところっていうのはあるとは思うんですけど、今、投票率もかなり低いですし、若い人たちが政治に無関心なわけではなくて、「その一票投じたからってどうなんねん」みたいなところがどうしてもあって、投票率の低さに、ある意味絶望感みたいなものがあって、政治に参加しないケースが多いと思うんです。

今回の高島の立候補、選挙の結果にしても、見ているとスタッフの人たちがやっぱり若いですし、若い人たちがボランティアで手伝っている。ああいう姿を見ていると、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなあという気はします。

若い人たちっていうのは、『自分の番が来るのを待ってるようなところ』が日本社会全体にあるように思うんです。ではなく、若い人たちが積極的に発言できる市政であったり、自治体であればいいかなと思いますけどね。

―――教師として激励するならどんな言葉を。

今は当選したばかりなので、「まずは芦屋市のために死ぬほど働け!」と。「汗水たらしてしっかり働け」という思いは強いです。「1期務めました、2期務めました、よし、国政選挙に出るぞ」とかね、そういうことはして欲しくないなと思うんですけど…。でもゆくゆくは永田町の一番中央の椅子、首相ぐらいまでは行ってほしいなと本当に思いますね。私が生きているうちに総理になってほしいです。

―――高島さんはまだ26歳、30年後だとしても56歳ですね。

僕は90歳か(笑)いや、でも本当にそれは強く思っています。