京都アニメーション放火殺人事件から4年。今回の裁判では、殺人事件では極めて異例ともいえる「被害者の匿名」が認められた。匿名での審理を希望した遺族と、実名での審理を希望した遺族、それぞれの思いを取材した。

実名を希望した遺族『実名にしてつらい思いをするより、みんなに知ってほしい』

 2019年7月18日、京都アニメーション第1スタジオが放火され、社員36人が死亡、32人が重軽傷を負った。日本のアニメ界を支えた著名なクリエーターをはじめ、入社したばかりの若手社員までが突然未来を奪われた。
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 この事件で殺人などの罪に問われているのが青葉真司被告(45)だ。平成以降最悪となる犠牲者を出した未曾有の事件の裁判は、発生から4年以上経った2023年9月5日に京都地裁で始まった。
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 初公判を前に、妻の寺脇(池田)晶子さん(当時44)を亡くした夫(51)は、心境をこう話していた。

 (寺脇(池田)晶子さんの夫)「やっと…やっと始まったかなって。きちっと見て聞いていかなあかんなという気持ちですね」
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 晶子さんは『涼宮ハルヒの憂鬱』や『響け!ユーフォニアム』など京アニの代表作でキャラクターデザインなどを担当。有名作品を数多く手がける一方で、母親として子育てと仕事を両立していた。

 (寺脇(池田)晶子さんの夫)「晶子かわいそうだなって。もっと絵をかきたかっただろうし」
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 この裁判では、犠牲となった36人のうち19人の遺族らが「匿名」を希望したため、匿名での審理が認められた。通常、匿名審理は被害者保護の観点から性犯罪事件などが主に想定されているため、殺人事件では極めて異例な対応といえる。
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 寺脇さんは迷わず、ある思いで「実名」での審理を選んだという。

 (寺脇(池田)晶子さんの夫)「実名にしてつらい思いをするより、仕事頑張っていましたよ、母親としても頑張っていたよっていうことを、みんなに知ってほしい」

 しかし法廷では晶子さんの名前が呼ばれることでつらい場面もあった。

 (寺脇(池田)晶子さんの夫)「『寺脇晶子』の名前だけとっても、晶子との思い出がぶわーと思い出されるんですよ。いいときのことしか思い出されない。ものすごくそれがつらい」

匿名を希望した遺族『こうした選択肢を与えていただいたことを感謝します』

 匿名を選択した被害者は、法廷では「1の2」「1の6」などと名前が番号に置き換えられるため、青葉被告にも名前が伝わることはない。

 匿名での審理を選んだ遺族の思いとは。

 (『1の16』の犠牲者の父親 法廷での意見陳述より)「私は『1の16』の被害者の父です。この裁判で名前の秘匿許可をいただいたことについて、こうした選択肢を与えていただいたことを裁判所に感謝いたします。娘が先に人生を終えると思ったことはなく、娘が先立ったことで自分の生きる意味も大きく失われてしまった気持ちです」
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 (息子が犠牲になった父親)「息子の名前が裁判で数字で呼ばれることについてはなんとも思わない。それは我々が望んだことだから」

 ある遺族の弁護士は「世間から好奇の目で見られたくない」という思いで匿名を選んだとも話した。

『匿名措置は厳格に考えるべき』という声も

 一方で「公開が原則」の法廷で被害者の匿名が認められたことに疑問を呈する声もあがっている。ジャーナリストの江川紹子氏らは京都地裁に対して、安易に匿名措置としないことなどを求めて要望書を提出した。

 (司法情報公開研究会 江川紹子代表)「もちろん遺族の気持ちはとても大事にされなければいけないと思います。ただ被害者の方たちもそれぞれ人格を持って社会の中で仕事をされていた。この事件の被害者になったことがその方の名誉を損なうものでは全くありません。秘匿決定は、できるかぎり抑制的であるべきだし、厳格に考えるべきではないかと思います」

娘が性被害事件に遭い死亡…それでも「実名での審理」を選択した遺族

 京アニ事件とは別に、匿名性が認められる性被害に遭いながらも「実名での審理」を望んだ遺族もいる。

 (岩瀬裕見子さん)「秘匿で裁判をするということは、私たちも法廷で(娘の)加奈の名前が呼べないことに気が付いて」
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 岩瀬加奈さん(当時17)。高校3年だった2015年11月、東京・江戸川区のアパートで、バイト先の元同僚・青木正裕受刑者(37)に殺害された。

 加奈さんは現金などを奪われたうえ、性被害にも遭っていたが、加奈さんの家族は「娘の名誉を守りたい」と実名での審理を選択した。
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 (加奈さんの父親 正史さん)「(加奈が)アルファベットや番号で呼ばれちゃうと、一体誰の人生だったのかなって。何も悪いことをしていないのにこんな悲惨な事件に遭って。それがはっきり言葉に出せない裁判は悲しいなと思いますよね」

 (加奈さんの母親 裕見子さん)「裁判員の方にも『岩瀬加奈が亡くなった事件なんだ』ということをしっかりわかってほしかっただけなんですけど。やはり心無い書き込みでは『親によるセカンドレイプだ』ということを書かれたこともありましたし。自分たちの決断が間違っていたのかなと思うこともありましたけれども、家族みんなで決めたことですし、後悔はないです」
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 自ら法廷に立ち意見陳述も行った母親の裕見子さん。自身の経験を踏まえたうえで「裁判は遺族が望む形で進んでほしい」と訴える。

 (加奈さんの母親 裕見子さん)「どんな形でも遺族が希望する裁判になってほしいし、36分の1ではなくて、36通りの1人1人の裁判になってほしいと思います」

寺脇(池田)晶子さんの夫『実名で向き合うと決めたから逃げない』

 京都アニメーション放火殺人事件で犠牲となった寺脇(池田)晶子さんの夫。裁判の最中、2023年11月、実名審理を選択したことについて改めて尋ねると、手紙で胸の内を明かしてくれた。
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 【寺脇(池田)晶子さんの夫の手紙より】「亡くなった妻の裁判に、実名で向き合う。私たちはそんな覚悟を持って挑んだものの、ものすごくつらかったのも事実です。でもだからといって、実名審理をやめようとは思いません。私たちは向き合うと決めたから逃げない。そんな想いで今、裁判に臨んでいます」

 事件から4年。143日間もの長期に及ぶ裁判は1月25日の判決でひとつの節目を迎えることになる。