26人が犠牲となった北新地放火殺人事件から、まもなく2年。当時、最も多くの被害者が搬送されたのが大阪府済生会中津病院だった。あの時、病院では何が起こっていたのか。取材班は、事件当日の救急室の映像を入手した。そこには、命の選択、治療の選択を迫られる医師の葛藤もあった。

 2021年12月17日午前10時20分。大阪・曽根崎新地の心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」で放火殺人事件が起きた。
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 クリニックにいた院長やスタッフ、患者ら26人が犠牲となり、火をつけたとされる元患者の谷本盛雄容疑者(当時61)も死亡した。犯行動機など事件の真相はいまもわかっていない。

地震発生時などと同じ災害対応をとった病院

 現場から約1.2km離れた場所にある大阪府済生会中津病院。当時ここに最も多くの被害者が搬送された。
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 現場の指揮をしたのが、救急科部長の栗田晃宏医師だ。あの時、病院で何が起きていたのか。
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 (栗田晃宏医師)「きょうも火災がございまして、先ほどこの端末が鳴りました。あの当時もこの端末が鳴りまして、傷病者20人近くということで、その中でも心肺停止が多数と。こちらからどんどん救急車が入って来るような感じですね。順番として、ここが最初に患者さんが入る場所なんですけれども、その時はもう災害ですので、来られた順に、順番に患者さんが入っていったという状況です」
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 多数の負傷者を混乱なく処置するため、地震発生時などと同じく「災害」対応がとられたという。
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 その様子を記録したカメラがある。今回、私たちは救急室に設置された映像を初めて見せてもらうことができた。そこには次々と運び込まれてくる患者が映っていた。

救急室には30人以上のスタッフが集められる…栗田医師は拡声器で指示

 午前11時13分。1人目の患者が搬送されてくる。通報から55分後のことだ。患者は5人がかりでストレッチャーからベッドに移される。この時、既に心停止の状態で、すぐに心臓マッサージが始められた。
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 10分後、2人目の患者が運ばれてくる。最初の患者と同じよう、隣のベッドでもすぐに心肺蘇生が始まる。患者1人につき医師2人、看護師3人と記録係の事務員が1グループとなり患者の対応にあたったという。
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 さらに10分後、4人目の患者が運ばれてきた。この時、病院中から30人以上のスタッフが集められ、救急室の中は人でいっぱいになっている。

 カメラに映る栗田医師。拡声器を片手に大勢の医師らを指揮する様子がうかがえる。

 (栗田晃宏医師)「できるだけ混乱させないようにするのが私の役目でしたので、とにかくシンプルな処置をするようにと拡声器を使って、なかなか声も通らないので、そういう指示を出していた状況です」
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 病院に搬送されたのは6人の患者。しかし、みな一酸化炭素中毒で既に心肺停止の状態だった。体にススが付いているものの火傷はなく、呼吸器をつけてできるだけ多くの酸素を体内に運ぶ処置が行われた。

 (栗田晃宏医師)「実際には全く酸素が体の周りを回ってないので、脳に対するダメージがかなり早い段階で…。脳が回復できないような状態になってしまいますし、脳の後遺症も高い確率で生じていくような病態ですね」

“心拍がある状態で家族に会わせたい” 冷静な治療判断とのはざまで葛藤

 救命が難しい一酸化炭素中毒。医師として求められる冷静な治療と、次々に運ばれてくる患者を少しでも救いたいという思いのはざまで葛藤した。

 (栗田晃宏医師)「例えばこれが大きな災害の場合は、心肺蘇生や救命措置の適用にならない患者さんなんですけれども、どこまで頑張るかっていうのと、家族の方に心臓が拍動した状態で何とか面会とかちょっとの時間でもという思いがありましたね」

 心拍がある状態で家族に会わせたい。酸素投与や心肺蘇生の結果、6人の患者のうち3人の心拍が再開したという。しかし、既に一酸化炭素がからだ中を巡り、その後、全ての患者が息を引き取った。
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 (栗田晃宏医師)「最初の1人の方だけ、おそらく心臓が動いた状態で(ご家族に)面会されたと思います。結果論になりますけども、結局その3人の方も救命することはできていないんですね。ですから医学的に言うと、本当にそれが正しかったのかというのは、議論が残る」

「気丈に話されているなと…」被害者支援を担当した警察官 遺族を病院へ送り届けた当時を語る

 当時、被害者とその家族をつなごうと奔走したのは病院だけではなかった。大阪府警天満署の男性巡査部長(36)は、この事件で初めて被害者支援員に選ばれた。

 (巡査部長)「とにかく選ばれたからには、自分のできることを一生懸命やろうと思いました」
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 大阪府警では約1300人の警察官らを被害者支援員に指定していて、大きな事件が起きた際、病院への付き添いや行政手続きなど被害者家族の身の回りのサポートを担う。巡査部長は遠方から駆け付けた被害者の両親を病院に送り届けたという。
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 (巡査部長)「終始、被害者の方の思い出話をされていました。本当に親孝行な子どもだったとおっしゃっていました。気丈に話されているなというふうにお見受けしたんですけれども、考えないようにするためにずっと話されていたのかなと思いました」

 その後、両親は深夜までわが子のそばに寄り添った。しかし翌日、帰らぬ人となった。

 (巡査部長)「面会される時は足元が揺れて、立っているのも大変そうだったので、そばで支えるように待機していました」

 わが子を失った遺族を目の当たりにして、改めて被害者に寄り添う支援の重要性を感じたという。

 (巡査部長)「相手を不安にさせたり不快な気持ちにさせたりしたらダメだと思うと、なかなか言葉が出にくくなりまして、相手の気持ちに配慮して被害者支援をしていきたいと今回とても学びました」

医師「震災だけではなく小さな災害にも対応できるように」

 地震発生時と同じ「災害」対応をした済生会中津病院。定期的に訓練や勉強会を行い、当時の教訓を受け継ごうとしている。

 (栗田晃宏医師)「大都市ですので何があるかわからない。もちろん震災というのも災害としては非常に大きいんですけれども、それだけ考えていると大都市でのそういう小さな災害には対応できなかったりする。震災についても考えないといけないし、近隣での小さな災害についてもできる限り対応できるようにと考えて、病院として対応策を考えています」