去年3月、大阪府泉南市の中学1年の男子生徒が自ら命を絶った。母親はいじめを疑い学校や教育委員会に調査を求めたが、なかなか動いてもらえなかった。大きな動きが見られないまま10か月が経過して、今年1月にようやく市長直轄の第三者委員会が立ち上げられた。しかし、第三者委員会に提出されたこれまでの経緯をまとめた資料に、不可解な点があった。

「誰も知らない遠くへ行く」告げて命を絶った男子生徒

 去年3月、大阪府泉南市の空き地で中学1年の男子生徒が首をつって自ら命を絶った。松波翔さん(当時13)。亡くなった日の朝、「誰も知らない遠くへ行く」と兄に告げて家を出たという。
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 (翔さんの母 千栄子さん)
 「これで勉強していました。教材にペンも挟まったままで、書き込んでいるし、いろいろ」

 翔さんは小学3年の頃からいじめを受けるようになり、次第に不登校になったという。小学6年の1年間は一度も学校に行けなかった。
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 母親の千栄子さん(49)は翔さんが小学4年のときに離婚。1人で息子2人を育ててきた。家に閉じこもる翔さんを1人にするのが心配で、できる限り一緒にいるようにしてきたという。

 (母 千栄子さん)
 「私の職場があの子のフリースクールみたいになっていたんで、毎日2人で一緒に出勤して帰ってくる日々だったので」

 千栄子さんは引きこもりの若者を支援するNPO法人で働いていて、そこが翔さんの居場所となった。
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 (母 千栄子さん)
 「畑があったからそこにイチゴの苗を植えて、『翔のイチゴ』って言って、一生懸命イチゴを育てるために寒い日も休みの日も『イチゴに水だけやりに来ていい?』って言って、冷たいのに何回もやりに来ていた」

担任に相談しても「誰の発言かわからないと指導できない」

 将来は検察官になりたいと話していた翔さん。中学から心機一転、学校に通うことを決意する。しかし、入学してまもなく、不登校だった過去を馬鹿にされ、「少年院帰り」などという言葉を廊下で耳にするようになった。担任に相談しても、「誰の発言かわからないと指導できない」と言われたという。
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 2つ上の兄(16)は、当時、同じ中学校に通っていた。

 (翔さんの兄)
 「先生のことはいじめも解決できないし信用できないって言っていました。自分は変わろうとしたのに大人は全く変わらないと。無理、助けてくれないと」

転校受け入れなかった市教委の説明「せめて今の学校に来られる状態になった上で…」

 夏休みが明けて中学にも行けなくなった翔さん。千栄子さんと一緒に学校や教育委員会に対して転校を求めたが、願いは受け入れられなかった。
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 これに泉南市教育委員会は「翔さんが登校できる状態にならないと転校の判断ができなかった」と釈明した。

 (泉南市教育委員会事務局 岡田直樹教育部長)
 「せめて今の学校に来られる状態になった上で、この状況だったら(学校を)変わっても構わないというお話ができるのかなと。(Qまず今の学校に行けるようにというのはそもそも無理な話では?)例えば病院の診断書があるとか、そういう場合ならばまた話は別になるかと思いますので」

亡くなった事実公表するまでクラスメイトから心配の声 しかし報告書には…

 学校や教育委員会に自ら掛け合っても受け入れられなかった翔さん。実は亡くなった後も教育委員会は4か月以上、翔さんのことを審議せず放置していたことがこれまでの取材でわかっている。また中学校のクラスメイトは亡くなった事実さえ知らされていなかった。
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 ようやくクラスメイトに伝えられたのは、翔さんが命を絶って半年以上が経った去年9月。担任によると、学校が公表するまでクラスメイトから翔さんを心配する声が相次いだという。

 (担任 取材時の音声より)
 「『(名簿に翔さんの)名前がないのは何でなん?』と聞かれました。いろんなことを聞かれました。『翔君いま何しているの?』とか『最近見ないけどどうしたん?』とか。(Q複数から?)きています。(Qどう答える?)『いまは何も答えられへんねん』というふうに答えております」
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 しかし、学校が作成した報告書には、「翔さんについて同学年の生徒から教職員への問い合わせや生徒間の噂等は確認できていない」としている。クラスメイトの声もなかったことにされた。

学校側が翔さんの自宅へ 母が自ら質問「いじめはあったんでしょうか?」

 去年10月、中学校の校長と教育委員会の担当者が自宅を訪ねてきた。学校側が家に入るのは初めてだった。

 (校長)「お母さんの悲しみの深さというのは、それを思いますと本当にお言葉が出ないというのが正直なところなんですけれども。今回はこうしてまずはお悔やみを申し上げたい」
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 第三者委員会による調査をずっと求めてきた千栄子さん。実現しない中、息子の死の真相を知ろうと、自らの口で質問を投げかけた。

 (千栄子さん)「亡くなったことをクラスメイトに伝えられずにいた翔君の気持ちはどのようにお考えですか?」
    (校長)「申し訳ないですけども、ここではちょっと答えを控えさせてください」
 (千栄子さん)「翔君に対するいじめはあったんでしょうか?」
    (校長)「申し訳ないですけども、ここで答えるのは控えさせてください」
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 (教育委員会 指導課長)「我々も調査を受ける立場になる中で、あのときこう言っていましたよねという話が今後またいろいろ出てくるわけです。個人の判断の中での反射的なお答えは、なかなかできづらい状況になっていることはご理解ください」

 調査に影響が出る、答えは差し控える、これを繰り返すだけだった。

『第三者委に提出した文書』の内容を真っ向から否定する音声

 そして、翔さんの死から10か月が経った今年1月。市の第三者委員会がようやく立ち上がった。

 (泉南市 山本優真市長)
 「ご遺族に寄り添いつつ、先入観なく、公平・中立性を守りながら」

 しかし、ここでもまた不可解な点が浮上した。
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 市長が第三者委員会に提出した文書。これまでの経緯がまとめられているというのだが…。

 【市長が第三者委員会に提出した文書より】
 『4月下旬から市教委は、第三者委員会を立ち上げ調査を行いたい旨を保護者にお伝えした』

 翔さんが亡くなった翌月の去年4月、第三者委員会による調査を教育委員会が遺族に提案したと記載されている。
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 しかし、これを真っ向から否定する音声が残されていた。それが去年4月下旬、遺族と教育委員会との電話のやりとりだ。

 【去年4月28日の音声より】
 (教育委員会 担当者)「もしもし、泉南市教育委員会ですけども、松波さんの携帯電話でよろしいでしょうか?」
     (翔さんの兄)「はい。第三者委員会ってどうなっているんですか?」
 (教育委員会 担当者)「我々の方でその委員会を立ち上げて設定するという用意はいまのところはございません」

音声を『電話で話した担当者』に確認してもらった

 今年2月2日、第三者委員会に提出された文書が事実かどうか市長に尋ねた。

 (泉南市 山本優真市長)
 「そのように泉南市教育委員会から話があったということで、第三者委員会を開くにあたっての事務局で整理をされて、そういう話だったというふうに考えてございます」

 文書は教育委員会の報告を基に作ったと説明した。
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 では、教育委員会は。

 (記者)「第三者委員会を立ち上げ調査を行いたい旨を保護者に伝えた、というのは正しいですか?」
 (教育委員会 指導課長)「その認識でおりますね」
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 担当の課長は遺族と電話で話した張本人である。音声を聞いてもらうと。

 (記者)「訂正するということですか?」
 (教育委員会 指導課長)「…」

 取材の後、泉南市は文書の内容は「事実ではない」と認め、訂正するとしている。
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 ただ遺族は、今後も教育委員会が第三者委員会にうその報告をするのではと、不信感を募らせている。

 (母 千栄子さん)
 「(学校や教育委員会が)私たちにどういう対応してきたことによってこの子がどれだけ失望していったかというのを、ちゃんと第三者委員会が調査をして解明していってほしいと思います。そうすることによって真実が明らかになってくると思います」