ネットの世界で広がる『精子提供』。SNSなどでは人の遺伝子がまるで商品のように取り引きされている。近年では不妊などに悩む夫婦がSNSを通じて第三者から精子提供を受けて妊娠・出産するケースも少なくはない。なぜ彼らはアンダーグラウンドな手段に頼るのか。“危うい遺伝子取引の実態”に迫った。

『子どもが欲しい』と願った夫婦…救いを求めたのは“ネットの世界”

 埼玉県加須市に住む清水尚雄さん(39)。第三者から精子提供を受けて2人の子どもの“父親”となった。

 (清水尚雄さん)
 「元々戸籍は女性で生まれてきて、トランスジェンダーでしたね。私自身に精子がないので作り出せないので」
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 尚雄さんは2014年に性別適合手術を受けて戸籍を女性から男性に変えた。
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 その翌年、以前から交際していた彩香さん(29)と結婚した。当初、夫婦の間で子どもの話は触れずにいたが…

 (清水尚雄さん)
 「友人がこの家に遊びに来た時に、子ども2人を連れてきていて」
 (妻・彩香さん)
 「それを見たときに自分はやっぱり家族を作りたかったのかなって」

 2人は精子提供を受けようと東京都内の病院を訪ねて回った。しかし、どの病院からも「ドナーが少なく数年は待つ必要がある」と告げられたという。
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 救いを求めたのは『ネットの世界』だった。見つけた提供者の男性は20代後半の会社員。やりとりは主にLINEで、1回の提供につき3000円の謝礼を支払った。

 (妻・彩香さん)
 「1人目の時が7回目で妊娠したので2万円くらい」
 (清水尚雄さん)
 「ネットカフェで提供してもらったんですけど、待ち合わせをして私がドリンクバーの前まで行って精子を受け取って。そしてネットカフェの個室の中で(受け取った静止を)妻に注入するって感じでした」
 (妻・彩香さん)
 「本当にいいのかなっていうのはあったよね。自分の選択はそれでいいのかなって」

 きょうだいの“遺伝上の父親”を同一にしたいと考え、去年生まれた長女も同じ男性から提供を受けて授かった命だ。

精子提供者『少子化という時代の流れとして仕方のないこと』

 見知らぬ人同士がネットの世界でつながり行われる『遺伝子の取引』。SNS上には精子提供を申し出るアカウントが無数に存在する。

 【SNS上で精子提供を行うアカウントの書き込み】
 「35人誕生、A型二重、179cm」
 「一流大学、超一流企業、ルックス偏差値60」

 学歴・容姿・年収などをことさらに強調する書き込みが多い。これらの行為は違法ではないというがあまりにも無秩序な状態にみえる。
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 複数のアカウントに接触を図ると、匿名を条件に「直接会って取材に応じる」という男性が現れた。

 (Tさん)
 「初めまして、よろしくお願い致します。(Q精子提供をされている方?)はい、そうです。今日は提供の予定が1件ございまして」

 羽田空港で働くTさん(30代)。1年半ほど前からマッチングサイトを通じて精子を無償提供しているという。
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  (記者)「今まで何人くらいに精子提供をしてきた?」
 (Tさん)「今までだと4組の方ですね。計13回提供してきました」
  (記者)「実際にそれが妊娠や出産に繋がったケースというのは?」
 (Tさん)「1件だけです。昨年の4月に提供した方で、昨年の12月に無事に赤ちゃんが誕生しました」
  (記者)「(赤ちゃんの)写真は見た?」
 (Tさん)「いや、見ていないです。名前だけ教えていただきました。娘がかわいくて仕方がないですね、私としては。まあ見たこともないですけど」
  (記者)「見たこともない会ったこともない子どもをかわいいと思える?」
 (Tさん)「親馬鹿っていうか自分の子どもでは実際にはないんですけれども」
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 1時間後、車は目的地に到着した。郊外にあるショッピングモール。この場所で精子の受け渡しをするという。

 (Tさん)「私から相手の方に深入りはしないので、相手の方の名前も知らないですし」
  (記者)「え?相手の方の名前も知らないんですか?」
 (Tさん)「はい、そうです。知らない人の方が多いですね。名前や個人情報がわからなくても抵抗はないですね」

 提供相手は“関東在住の夫婦”。夫側の精子に何らかの問題があるといい、この日が4回目の提供だ。
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 (Tさん)「今から行きます」

 被提供者との信頼関係に差し障るとして、ここから先の撮影はしないよう求めてきた。相手から専用の容器を受け取って、多目的トイレで精子を採取し、それを紙袋に包んで受け渡すのだという。
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 待つこと20分。

  (記者)「あ、来た。戻ってきました」
 (Tさん)「終わりました」
  (記者)「どんなやり取りをされたんですか?」
 (Tさん)「特に何もなく」
  (記者)「命のやりとりがこれほどカジュアルに気軽に行われていいのかということは?」
 (Tさん)「やりとり自体はカジュアルでも、その中から奇跡的な確率で生まれてきて人間が誕生するわけですから、それ自身は特に間違ったことだとは思いません。この少子化の中ですから、時代の流れとしてそれも仕方のないことではないでしょうか」

ドナー不足の背景に“子どもが出自を知る権利”

 子どもを切に願う人たちがアンダーグラウンドな手段に向かう現実。なぜ正規の医療機関を頼らないのか。日本産科婦人科学会は、1997年から婚姻関係がある夫婦に限り第三者の精子を使った人工授精を容認している。
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 こうした治療を行う指定の医療機関は全国で12施設。その全てに実施状況を尋ねてみた。

 【医療機関からの回答の一つ】
 「約10年間、運用していない。提供精子がないため」

 回答があった9施設のうち、5施設が「精子を十分に確保できていない」とし、さらにこのうち4施設が「ドナー不足で初診を停止している」と答えた。精子提供のいわば『正規ルート』が機能不全に陥っている実態が浮かび上がってきた。
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 慶應義塾大学病院もその一つだ。2018年から新たな患者を受け入れていない。提供者不足を招いた最大の要因は『子どもの権利を重視する時代の潮流』だという。

 (慶應義塾大学医学部 田中守教授)
 「生まれてくるお子さんの権利として、“親のことを知りたい”という権利が非常に重要視されるようになってまいりました。従って我々のところでも、精子提供者及び治療を受ける方に、(子どもの)出自を知る権利が重要であることをお話しするように2017年に変更しました。状況によっては『財産を分けてほしい』『扶養してほしい』と訴えてくる可能性があると。そういうことを話し始めたところ提供者がガクッと減った」

超党派の議連が作成した法案(たたき台)の内容は?

 精子提供をめぐっては法整備の必要性が長年指摘されてきた。超党派の議連が今年3月にまとめた特定生殖補助医療法案(たたき台)。「第三者の精子を用いた人工授精を法律上の夫婦に限り認める」としている。精子の斡旋は国の許可制とし、売買して利益を得た場合には罰則も設けるという。
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 最大のハードルは子どもに“出自を知る権利”をどこまで認めるか。現時点では「子どもが情報開示を求めることができる」とする一方で「最終的な判断は提供者に委ねる」ともしている。
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 玉虫色にも見えるこのたたき台をまとめた超党派議員連盟の会長・野田聖子氏(61)に話を聞いた。

 (超党派議員連盟・会長 野田聖子氏)
 「妥協という言い方がいいのか現実的という言い方がいいのか。提供してくれる人の立場、それを受ける人の立場、そこから子どもとして育つ立場のメリット・デメリットってそれぞれじゃないですか。どこかを優先するわけにはいかなくて。一番の調和をとるために取り組むのが立法府で、どこまでギリギリでできるか」

 出自を知る権利を全面的に認めることについて野田氏は明言を避けた。民法の特例法が定めた法案提出の期限は秋の臨時国会だ。法整備が進まず、正規ルートも機能しない中、危うい実態だけが独り歩きしている。

『法制度が整っていないからやむを得なく存在を許されている』

 「13年間で100人以上に精子を提供してきた」という30代の男性が取材に応じた。

 (100人以上に精子提供したという西園寺優氏(仮名))
 「(Q妊娠や出産につながったケースは?)ちょっと数字がブレるんですけど、だいたい55~75くらいの間ですね。確実に全員が連絡をくれる訳ではないので。実感はあまりないですよ、皆を抱っこした訳じゃないので。『まぁいるんだな』という感じですね。(Q感覚が麻痺しているような感じはない?)麻痺というか慣れていった感じはしますね。仮に1000人子どもがいたらやめると思うんですよ。自分的なラインにまだ到達していないなという」
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 自らの存在意義についてはこう話した。

 (100人以上に精子提供したという西園寺優氏(仮名))
 「私たちみたいな個人ドナーは積極的に容認されているとかでは決してなくて。今は法制度が整っていなくて公的な機関とかもサポートしきれない。だからやむを得なく存在を許されているみたいなものだと思っています」

 危うい遺伝子取引をこのままにしておいていいのか。重い課題が突き付けられている。