「先生が心配なさらないようにしっかりと生きていきます」。去年12月に大阪・北新地のクリニックで起きた放火殺人事件で犠牲者になった院長の西澤弘太郎さんは、800人以上の患者を抱え、午後10時まで患者に対応した。そして事件から5か月が経ち、この院長に手紙を書くという動きが広がっている。院長の意志をつなごうと活動している院長の妹や恩師の思いを取材した。

北新地で起きた「クリニック放火殺人事件」…亡き院長の妹が語る“家族思いだった兄”

 5月9日、白衣を手に取材に応じたのぶさん(45・仮名)。5か月前、最愛の兄を失った。

 (西澤院長の妹 のぶさん(仮名))
 「これを着ていたとは思うんですけれども。心のこもった診療をしていたんじゃないかなって思いました」
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 去年12月、大阪・北新地のビルの一室に入っていた心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」で放火事件が起き、患者やスタッフら26人が犠牲となった。
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 クリニックの院長だったのぶさんの兄・西澤弘太郎さん(49)も帰らぬ人となった。
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 (西澤院長の妹 のぶさん(仮名))
 「いつも冷静な感じはしてるんですけれども、私が自分の病気のことだったりとかを話したときにすごく驚いてくれたりとか。忙しいけれども、やっぱり家族に対しては思ってくれていた部分はすごくあると思っていて」

 いつもクールだった兄。数年前から内科医として勤務していた大阪府松原市のクリニックと北新地のクリニックとを行き来しながら、分刻みの生活を送っていたという。
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 事件から数週間後、松原市内の実家の兄の部屋で1枚の写真を見つけたという。

 (西澤院長の妹 のぶさん(仮名))
 「私が小学3年生ぐらいのときにグアムに行った帰りの飛行機の中の写真です。2人でビーチボートに乗って、すごく懐かしいって思いました」

『院長の妹』として患者らの集いに参加

 兄は、いま何を思うのか、いま自分にできることはあるのか。そんな思いが去来し、2か月前から始めたことがある。

 (オンラインでの集いで話すのぶさん(仮名))
 「みなさんに質問なんですけど、近々でも遠くてもいいんですけど、やりたいことはありますか?」

 西澤院長のクリニックに通っていた元患者や支援者らが「オンラインでの集い」を始めたことを知り、妹として参加することにしたのだ。
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 (西澤院長の元患者)
 「こういう場というのは、本当にただただ繋がっているというか。みなさん同じバックグラウンドを持っているという安心感」
 「同じような境遇の方々と、なにか当事者ならではの痛みとかを共有して癒しにつなげていけたらなと思って」
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 この日、集いに参加した元患者は3人。兄の代わりにはなれないが、体調や心境などを聞き、できるだけ多くの患者たちに寄り添っていきたいと考えていた。

教え子だった院長の思いをつなぐ心理師

 4月29日、雨が降る中、事件現場を訪れたのは公認心理師の土田くみさん(50)。土田さんも西澤院長の思いをつなごうとしている1人だ。
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 (公認心理師 土田くみさん)
 「初めてなんですよ。手だけ合わさせてもらってもいいですか。5か月も経ったのにまだ立ち直れないという患者さんも結構いらっしゃって。西澤先生の代わりにサポートできたらなと思って、いまカウンセリングさせていただいています」
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 土田さんは心理師として働く傍ら、20年前から心理カウンセラーを養成する講座を開いていて、西澤院長も教え子の1人だった。
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 14年前、「患者を治療するためには心まで診る必要がある」と講座を受けに来たという。
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 (公認心理師 土田くみさん)
 「西澤先生はいつもこの辺りに座ってはって。(西澤先生が)日々ぶつかっている内科で診ているけど、『ここ(患者)は鬱かな、働き方かな』というので。先生自身が患者さんのお話をしっかり聞いて診察したいという思いがあったんじゃないですかね」
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 事件の後、西澤院長のクリニックに通っていた800人以上の患者たちは行き場を失っていた。土田さんは西澤院長の妻と連絡を取り合い、ブログなどを通じて元患者たちに受診の継続を呼び掛けた。

 【Kumi心理カウンセリング研究所HP】
 「何かお手伝いができないかと、亡き西澤先生のお力になれることはないかと考えています」
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 西澤院長のクリニックでは、仕事終わりの患者も受診できるように午後10時まで対応していた。土田さんも同じ時間・同じ料金で患者を受け入れる態勢を整え、数十人の元患者から問い合わせがあり、通ってくれる患者もできたという。しかし…。
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 (公認心理師 土田くみさん)
 「事件から1か月くらいは眠れないとかショックで涙が止まらないというのはみなさん普通のことであると思うんですけど。一方でやっぱりずっとそこにとらわれているというか、事件以降自分は復帰する気持ちになれないとか」

 心の病気の多くは薬の服用を続ける必要があるが、多くの患者たちが新たな病院を見つけられずにいる可能性があるという。

 元患者らは事件直後の取材に対し、次のようなことを話していた。

 (西澤院長の元患者)
 「合う先生なら喋れるんですけど、合わない先生だと『あ、喋っても一緒か』と思うと喋れない。そこを探すのがちょっと大変やなと思って」
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 「西澤先生だからこそ治療ができた」と話す患者たち。土田さんはそんな患者たちに向けて“ある発信”を行うことにした。

元患者らが書く院長への手紙『先生に出会えてよかった』

 【Kumi心理カウンセリング研究所HP】
 「西澤院長にお伝えしたいことはありますか?」

 (公認心理師 土田くみさん)
 「先生にお手紙やハガキを書くことで、自分の中でリセットとはいかなくても一度立ち止まって整理をするということができたらいいなと思って」
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 西澤先生に手紙を書く。発信後、これまで連絡がなかった元患者たちから先生へ宛てた手紙が届いた。

 【元患者が書いた手紙】
 「先生にはいつも支えて頂きました。この先、先生のいらっしゃらない世界で頑張っていけるのかとても不安です。でも、先生が心配なさらないようにしっかりと生きていきます」
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 【元患者が書いた手紙】
 「『きっとよくなりますよ』という先生の言葉をお守りにして頑張ってきました。私が今こうしていられるのは先生のおかげです。先生に出会えてよかった」

 元患者たちが綴った言葉はどれも前向きなものだった。
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 土田さんが手紙を西澤院長の妻に届けたところ、メッセージが届いた。

 【西澤院長の妻から届いたメッセージ】
 「こんなに皆さまに思って頂けて主人のことを誇りに思います。これからも患者さまを宜しくお願い致します」

『お会いしてお話しできたら』妹も“兄と同じ先生の下”でカウンセリングを学ぶ

 4月29日、心理師の土田さんの下に西澤院長の妹が訪れていた。兄と同じように本格的にカウンセリングを学びたいという。
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 (のぶさん)「素人の私が患者さんに寄り添うことってしていいのかとか、やれるのかなっていう…」
 (土田さん)「先生の妹さんとしていらっしゃるだけで皆さん救われると思いますよ。自分たちの中に入ってくれたっていうだけでそれが誠意というか、患者さんはすごく救われていると思うので」
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 (西澤院長の妹 のぶさん(仮名))
 「(患者に)接するために勉強しないといけないことをもっと知った上で、1人でも2人でもというくらいの感覚でお会いしてお話できたらなと思っています」

 事件から5か月が経ち、世間からは少しずつ忘れられていく。そんな中で患者たちを孤立させまいと、残された人たちの活動は続いていく。