―――G7広島サミットの中で行われたウクライナ・ゼレンスキー大統領の記者会見は世界のメディア約90人のみ参加できる限られたものだった。これに参加し、大統領にも直接質問をする機会を得たMBS(毎日放送)の大吉洋平アナウンサーが現地リポート。強いイメージが先行する大統領だが、編集されていない「生のゼレンスキー氏」を30分見た印象を「緩急」と評した。(2023年5月22日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」より)

MBS大吉アナウンサー:平和公園に来ています。私の後ろにはG7首脳および招待国首脳らが花を手向けた慰霊碑があります。昨日まで公園の周辺にはフェンスが張られ、いたるところに警察官の姿があって、一般は入れなかったんですが、今日は午前中から外国人の観光客の皆さんを初め、多くの人がここで時を過ごしています。

4日ぶりに開館した原爆資料館にも、修学旅行生が多く姿を見せていました。けさ改めて行ってみると、小学5年生の女の子が、「人の皮膚がただれている展示がとても怖かった、放射能は恐ろしいものだと学んだ」と、私達に話してくれました。

この平和公園を、きのうウクライナのゼレンスキー大統領が訪れました。大統領は、あちらに見える国際会議場で記者会見を行いました。限られたメディアしか入れなかった会見に、運良く私も入ることができ、ゼレンスキー大統領に直接質問することもできました。

限られた1人として「ゼレンスキー大統領の記者会見」へ

―――昨日、急遽設定されたゼレンスキー大統領の記者会見。会場に集まったのは、出席を許された全世界の記者約90人と10台のテレビカメラのみ。

共に会場に入ったオーストラリアの記者に話すと、「平和とロシアによる軍事侵攻の停止について関心がある。厳しい状況にあるウクライナは世界の話題の中心で、彼が何を発言するか注目したい」と話していました。

またカナダメディアの記者に「質問する機会はあるだろうか」と聞くと、「分からないです。でも記者会見だから、あることを願っています」と話していました。そして午後7時25分、ウクライナのゼレンスキー大統領が会見場に入ってきました。定番のカーキ色の衣類ではなく、黒い丸首のシャツを身に着けています。

ゼレンスキー大統領は、「ロシアに破壊された街が、今の広島のように平和な街に再建されることを夢見ている」などと話し、その後質疑応答に入りました。そして遂に、質問の機会が訪れます。

大吉アナウンサー: 「先ほど訪れた原爆資料館で具体的に特に今も印象に残る展示はなんでしたか?、ウクライナに帰って共有したいことはありますか?」

ゼレンスキー大統領: 「原爆にあう前の小さい子供たちの写真を見ると涙が出ます。実はウクライナでも毎日のように、同じような光景を目にしています。プーチン大統領は、ウクライナに(原爆の熱線で焼かれた人の影が残る)”人影の石”だけを残したかったかもしれない、私にそんなことを強く連想させました」

生のゼレンスキー氏の印象は「緩急」
―――改めて大吉アナウンサーに聞きます。会見の様子はいかがでしたか。

本当に歴史的な瞬間でした、私もいろいろな会見を経験しましたが、膝が震える思いで何とか質問をさせていただいたんですけれども、ゼレンスキー大統領の会見は、大体30分くらい全部を通して感じたことが、「緩急」を使い分ける大統領だなというふうに私は思いました。

登場して10分弱、ここはいわゆる『ゼレンスキー節』です。強い声帯で、胸に響かせるような声で、立て板に水のごとく自分のメッセージを伝えていく。ただ、その後私が質問をしたときなどはですね、原爆の話になってくると、時折言葉を選びながら、次に話す言葉が見つからないそんなシーンもありました。

さらに海外メディアが「今回の訪日で、ブラジル大統領だけ会ってませんよね、これはブラジルがロシアに資金を提供しているからですか」こういった質問などもあったんですが、ここに関しては、「ブラジルがロシアに武器を提供している証拠はない」と、少し間を置いて話しながら、ブラジルにも配慮しながら、かなり石橋を叩くように表現しているな、という印象を受けたんです。

ゼレンスキー大統領って、前のめりとか、強い、戦うリーダー、このイメージが先行していると思うんですが、編集されていない生の全てのスピーチを見ていると、いい悪いは別にして、慮る人、配慮する人、繊細な政治をする人、一国の大統領ですから当然といえば当然なんですが、私はそういう側面を今まで見たことがなかったので、実際に見てそこが一つ意外なポイントではありました。

ウクライナ軍服の関係者が、会見場をくまなくチェック

―――ゼレンスキー大統領が来日したことで会見場のセキュリティはどれぐらい厳しかったんですか。

本当に厳しかったです。メディアセンターという場所が集合場所なんですが、そこに入るまでにセキュリティチェックを何度も我々経験するんです。それなのに再び会見前にはボディーチェック、飛行機に乗るような荷物検査があり、全員が同じバスに乗り同じルートで会見場へ向かいます。

会見場に着いてからも、メディアが荷物を置く場所などもかなり細かく指示があったり、ウクライナの軍服を着た関係者が、大統領の到着前に会見場でずっとイスの下とか、会場の四隅などを見てるんですね。一つの国のリーダーが動くって、もちろん大変なことなんですが、今このタイミングでゼレンスキー大統領が動く、会見に応じるというのが、どれだけリスクが高いことなのか、と感じることができました。

―――ゼレンスキー大統領のことを「緩急」と表現していましたけども、会見の中で力が入ってたところはどこになりますでしょうか。

ある記者が「電撃訪問でしたね」と質問したんですね、そうするとゼレンスキー大統領が『私は電撃とは思ってません。セキュリティ上、来ることは言えなかったんだけれども、私は招待いただいて、今回この場に来ているんです』という。

《G7の協力がそこにはあるんだ。ウクライナが伝えたいことをG7もサポートしてるんだ》と、ここを強調しているような言葉選びというのが、全体を通して彼が一番伝えたかったメッセージなのかなというふうに私は感じました。

現地・広島に渦巻いた「様々な感情」外国人観光客に聞いて驚いた

―――G7サミットですけども、現地・広島での評価はどんな感じでしょうか?

ここが興味深いところなんですが、例えば平和公園に集まってくる人たちは、「大統領が見たい、首脳の車列が見たい」こういった人たちは、多少の交通規制が不便であったとしても、G7を歓迎して、これが世界の平和に繋がればいい。こういった声、たくさんあるんです。

一方で、例えばバイデン大統領が会場に向かう途中の道では、「アメリカ大統領よ、原爆投下そして過去の虐殺を謝罪せよ」と、こういった横断幕を持ったデモ隊の姿があったり、広島市内で連日取材を続けていると、そもそもG7に反対するデモというのも、各所で目に入ってきます。

さらに、私が見落としていたポイントだなと思ったのが、平和公園で外国人観光客にインタビューをしていても、G7の国、もしくは招待国と直接関係のない国々の人たちは、全然興味がないです。「G7って何ですか。何で交通規制されてるんですか」とこういった声があったり。もう一歩踏み込むと、「イギリス・フランス・アメリカが来たとて、核がなくなる世の中にはならないんでしょう」と、こういった冷たい声もありました。

もちろん世界を動かしてるのは先進7カ国の首脳だけではないのは当然なんですが、その他の諸外国の目もあるし、広島を見ても、被爆者の目もある。被爆二世の目もある。若者の意見もある。様々な世論がとにかく渦巻いた、それがG7サミットが行われていた広島だというのを一日経って、改めて感じました。