がん免疫治療薬「オプジーボ」を発見し、ノーベル賞を受賞した京都大学の本庶佑特別教授。オプジーボの正当な発明の対価を求め、大阪の製薬会社「小野薬品工業」に対して訴訟を起こしていましたが、去年11月に和解が成立しました。和解の内容は「小野薬品が本庶さんと京都大学に寄付も含めて280億円を支払う」というものでした。この裁判で本庶さんが訴えたかったこと、それは「次世代の研究者への思い」でした。

『特許使用料』200億円超を求め本庶氏が小野薬品を提訴

去年9月、大阪地裁で行われた裁判。原告席には、京都大学特別教授の本庶佑さん(80)。被告席には「小野薬品工業」の相良暁社長、上場企業のトップとノーベル賞受賞者が法廷で対峙しました。
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2018年、本庶さんが受賞した「ノーベル医学生理学賞」。日本で26人目の受賞でした。
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きっかけとなったのはがん免疫治療薬「オプジーボ」の発見です。
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がん細胞は免疫細胞の働きにブレーキをかけて攻撃から逃れていますが、オプジーボはブレーキを解除する効果があり、免疫細胞が攻撃できるようになるのです。
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従来にない治療薬で肺、胃、食道など、さまざまながんで承認されています。
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ノーベル賞の受賞が決まった時、本庶さんが真っ先に口にしたことは次の言葉でした。

(京都大学特別教授・本庶佑さん 2018年10月)
「基礎研究にかかわる多くの研究者を勇気づけることになれば、私としてはまさに“望外の喜び”でございます」
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オプジーボの製造に関わる重要な特許は小野薬品と本庶さんが取得しました。「大学の研究で得られた発見の成果は大学に還元すべき」と本庶さんは考えていましたが、当時、そのノウハウがなかったといいます。
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2006年には小野薬品が本庶さんの特許権を独占的に使用する代わりに、「売り上げの0.5%と特許で得られたロイヤリティ料の1%を支払う契約」を交わします。後にこの数字が国際的に低いと分かり、それぞれ2%と10%に引き上げる交渉が続いていましたが合意には至っていませんでした。
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そんな中、オプジーボと似た薬の販売をアメリカの大手製薬会社が開始し、特許権侵害の国際裁判が始まったのです。
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国際裁判で開発者の本庶さんの協力が欠かせません。2014年9月、小野薬品の相良社長が本庶さんの元を訪れます。

(京都大学特別教授・本庶佑さん 2020年1月)
「『トップの交渉』だと。これは重要だと思って(メモに)書きましたね」

相良社長は本庶さんに国際裁判の協力を求めると共に、解決した場合、「得られたロイヤリティ料の40%を支払う」と話しました。
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その後、国際裁判は和解が成立。事実上、勝訴といえる内容でしたが、本庶さんに支払われた金額は40%分ではなかったのです。

おととし、本庶さんは小野薬品に対して40%分の支払いを求めて提訴。請求金額は200億円を超えました。

「巨額の対価を求めた裁判」は過去にも

巨額の対価を求めた裁判は過去にもありました。「青色発光ダイオード」の発明の対価を求めて、かつての勤務先を訴えた中村修二さん。2014年に中村さんは「ノーベル物理学賞」を受賞しました。
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2004年、東京地裁は「発明の特許は企業に帰属する」としながらも、発明の対価を600億円と認定。中村さんが求めていた報酬額である200億円の支払いを命じました。しかし2005年に東京高裁は一転し、発明の対価を6億円と認定して和解を勧告、裁判は終結しました。
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(カルフォルニア大学・教授 中村修二さん 2005年)
「これはもうどうしようもない。司法制度の問題ですわ。日本の司法制度は腐っていますよ。こういう和解の状況に追い込まれた、裁判所に。6億円がどこから来たかなんて、何の根拠もないですよ」
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東京地裁で当時最高額と言われた200億円の支払いを命じた三村量一裁判官は今、知的財産を専門とする弁護士です。発明と対価について話を聞きました。

(三村量一弁護士)
「中村博士の場合はですね、やはりノーベル賞を取ったことで、単なる強欲な人ではなくちゃんとした発明をしたから対価を請求していたという見方をする人が増えた。(中村さんのような)職務発明の処遇の当時の仕方と、今回みたいに大学発のものを発展させて、実用化させてそれを売りましょうというのは別の話だと思いますので。大学発のものであれだけもめているのは、やはり企業側にもそれなりに問題があったのではないかと」

小野薬品から本庶氏側に寄付も含め『280億円の支払いで和解』

オプジーボの裁判で小野薬品の相良社長は、「本庶さんに示した特許料率引き上げの提案はさらに上乗せを求められたため合意していない」などと主張してきました。
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 【去年9月に開かれた裁判での発言】
(小野薬品工業 相良暁社長)
「提案は拒否された、ブレイクだと。当時、がんと免疫は信用されず努力して汗かいてやってきた」
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(京都大学・特別教授 本庶佑さん)
「学者として言ったことには責任をもってきた。上場企業のトップが依頼して、なかったことにするのはありえないと思った」
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尋問で双方は真っ向から対立。しかし2か月後の去年11月、裁判所の勧めで和解が成立。双方の貢献を互いに評価して小野薬品が京都大学に230億円寄付し、解決金として本庶さんに50億円支払うという内容でした。

(小野薬品工業 相良暁社長 去年11月)
「本庶先生との諸問題を全面解決できたことを心から喜んでいます。また、和解の内容についても満足するものとなっています」

本庶氏「僕が生きているうちに若い人にアカデミアの資産を引き継ぐ」

そして去年12月、「小野薬品・本庶記念研究基金」が設立されました。230億円を原資に若い基礎研究者の支援などに運用され、産学連携の新たな形と期待されています。
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基金設立の翌日、本庶さんは初めて今回の和解について思いを語りました。

(京都大学・特別教授 本庶佑さん 去年12月)
「こういう大きな実用化した、製品化した発見の成果やアカデミアの貢献が正しく評価されて、次の世代の育成に役立つようなポジティブサイクルが描けたことが大変良かったと思っています。僕が生きているうちに若い人にアカデミアの資産を引き継ぐ」