「緩和ケア」とは、患者らの体の痛みや精神的な苦痛をやわらげる医療のことですが、肺や脳にがんが見つかり自分自身ががん患者となった緩和ケア医がいました。MBSでは去年、「同じ病気の人はその半数が2年しか生きられない」と医師に告げられながらも、患者に寄り添い仕事を続ける緩和ケア医の様子を放送しました。がんの判明から2年が経った今も、この緩和ケア医は医師として患者として自分らしい毎日を送っています。改めて取材させていただきました。

2019年「ステージ4」のがんと判明…当事者になり『ああ、こういうことか』

神戸市灘区の『関本クリニック』。院長の関本剛さん(45)は、治療が難しいがん患者らの体や心の苦痛を和らげる緩和ケア医です。地域の患者に対して、副作用のつらさなどを薬でコントロールしたり、がん治療の進め方の相談に乗ったりします。
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患者の約6割は自分で通院することが難しいため、関本さんらが車で移動して訪問診療を行います。

院長として働く関本さんは自身もがん患者です。2019年の秋に「ステージ4」だとわかりました。2020年に取材した際、レントゲン写真を見せていただきました。

(緩和ケア医 関本剛さん 去年10月)
「これですね。4cmくらいの。これを見た瞬間、頭が真っ白になりましたね」

咳が続いていたため調べると、肺に影が見つかり、精密検査で「肺がん」と診断されました。脳にも10か所ほど腫瘍の転移があり、『同じ病気の人はその半数が2年しか生きられない』と医師に告げられました。妻と小学生の娘と息子がいる関本さんには、あまりにも厳しい現実でした。
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(緩和ケア医 関本剛さん 去年10月)
「『もう治らないがんです』と言われてズドンと落ち込むみたいなのは、(医師として)伝える立場としては実感はしていましたけれど、でもやっぱり当事者になると『ああこういうことか』という感じだったのを覚えていますね」
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それでも、抗がん剤などの治療を行いながら、緩和ケア医として働き続けることを選びました。関本さんと同じ、肺がん患者が訪れた日は…。

【関本さんと患者のやりとり 去年10月】
  (患者)「来月に娘の結婚式があるので、そこまでは何とかこの状態を保って生きたくて」
(関本さん)「来月?」
  (患者)「16日なんです」
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同じ「がん」で苦しむ患者に関本さんは語りかけます。

【関本さんと患者のやりとり 去年10月】
(関本さん)「きっとでもね、僕本当に思うのは、生きるのにも勇気がいると思うんですよ。僕も時々思うことがあって、早く死んだ方がいいんじゃないかみたいなね。それでもやっぱり家族がいてたりとかすると、特にご結婚を控えているお子さんがおられたり、『お孫さんが生まれるかも』というのって、すごく生きる勇気になると思うんですよね。お互いね、お互い長生きしましょうね。楽に長生きが一番」

「あと2年」と告げられて2年経ち…「左手のまひ」などの症状も

そして今年10月。『あと2年』と告げられてから、ちょうど2年が経ちました。今も仕事を続ける関本さん。訪れたのは母校の関西医科大学。医学生らを対象に自身の経験を基にした講演会が開かれました。
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(講演会で話す関本さん)
「立ち直れたのは、僕の場合はやはり家族であり職場の同僚であり、あとは中学・高校・大学や在宅緩和ケア医になってからの同僚たちの支えだったんじゃないかなと思います。『これだけ自分のことを案じてくれる人たちがいるんだ』と思えるだけで、とにかく与えられた命をやりぬこう、楽しみぬこうという気持ちになれた」
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ただ、この日は以前と様子が違うところがありました。

(緩和ケア医 関本剛さん)
「7月上旬から左手がおかしいなと思い始めて、9月下旬くらいからは中指なんかはまっすぐにできない感じになって。一応グーパーはやろうと思ったらできるんですけれど、めちゃくちゃ握力が落ちています」
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今年9月、検査で脳や脊髄などを満たす髄液にがん細胞が広がった状態「髄膜播種」が見つかりました。その影響で左手にまひが出始めたうえ、ろれつが回りにくくなったといいます。

(緩和ケア医 関本剛さん)
「『意外とへっちゃらでやれていますよ』と言いたかったんですけれど、9月末くらいからバタバタと、抗がん剤が効いていないかもというか。はじめに言われた『2年』というのはだてじゃなかったなと思いつつ、でも皆さんの前に立って講演できる状況で2年を迎えられたのはありがたいなと思っています」

同じ「緩和ケア医」の母もショックを隠せず

ともに関本クリニックで働く、クリニックの理事長である母の関本雅子さん(72)。これまでに4000人以上の“みとり”を経験した緩和ケア医の草分けですが、息子にまひなどがんの症状が現れた時にはショックを隠せませんでした。

(関本さんの母 関本雅子さん)
「『いやー来たか』『ついに来たか』って感じで。ちょうど2年でしょう。無事に来られたのはすごくうれしかったんだけど、『やっぱり2年でこんな感じで症状が出てくるんだ』という気持ちでしたね、その時は。これからのことはわからないので未来のことは。ちょっとヒヤヒヤしながらですね」

今もできる範囲で診療続ける…「がん患者同士」だからこそ伝わる思い

今も関本さんはできる範囲で患者の診療を続けています。取材した日、来院したがん患者は、抗がん剤の副作用がひどく、治療をやめるべきか迷っていました。

(がん患者)
「急に下痢が始まって、ひどい状態で、かなり衰弱してしまって。『これどうすることもできひんね』という感じで(別の医師に)『薬やめましょう』って言われたんですよ。がんに負けるみたいな感じがして、すごくふがいないなと思って…」
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関本さんは、患者の思いにもじっくりと耳を傾け、自身の経験を交えてアドバイスを行います。

(緩和ケア医 関本剛さん)
「副作用をはね返せるだけの体力をまだお持ちやと思いますので、『よっしゃもう1回やってみようかな』と思えるくらい体調が良くなってきたらリトライしてみてもいいと思います。自信を持ってもらってもいいと思います」
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診察の最後には笑顔で患者を送り出しました。がん患者同士だからこそ伝わる思いがありました。

(がん患者)
「やっぱり共有できるというのかな同じ悩みを。先生にご相談して、『僕だったらこういうふうにしますよ』と言われて、『ああそうかな』と思ってすごく参考になります」
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がん患者との時間は関本さん自身にとっても大切な時間になっているようです。

(緩和ケア医 関本剛さん)
「患者さんから勇気をもらえる状況が続いているなと思うんですね。しんどい中でも診察に行くと、皆さんすごく喜んでくれたりするので、自分の身に今後起こることだと思って、一生懸命、症状の緩和に努める」

「残された時間を精いっぱい生きよう」心動かされる患者

兵庫県芦屋市に住む田中裕祐さん(84)。去年夏に肺がんが見つかり、精密検査後に「もう打つ手がない」と当時の医師に告げられました。娘のかえでさんらと悲しみに暮れる中、関本さんに出会いました。

(田中裕祐さん)
「そらもうびっくりしました。『(関本さんは)どこのがんですか』と聞いたら『頭のがんです』と」
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(田中さんの娘 かえでさん)
「(関本さんに)最初にお会いしたときに『お父さん一緒に頑張りましょう』と言っていただいて」

同じ「ステージ4」の患者である関本さんの言葉が、折れそうになっていた親子の心を動かしたといいます。
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(田中裕祐さん)
「(関本さんに)6月に『することやっといてくださいね』と言われて、兄弟全部と一緒に『これが最後やからな』と言って、家に帰ってきたんですわ」
(田中さんの娘 かえでさん)
「関本先生から『旅行、家族でぜひ行ってきてください』と言われて。須磨のホテル行ったよね。海がきれいで」

『残された時間を精いっぱい生きよう』という関本さんの思いは患者やその家族にも伝わっていました。

田中さんはこの取材の10日後、11月1日に息を引き取りました。生前に希望した通り、家族にみとられた最期でした。

症状が進行する中でも「甘えまくって好きなことをしたい」

がんと向き合う日々には息抜きも大切です。プライベートも大切にする関本さん。体調が良い日には仕事が終わった後に大学時代からの医師仲間らとフットサルを楽しみます。
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ともに汗をかく時間が関本さんの毎日を彩ります。
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今年11月、関本家に新たな仲間が加わりました。動物が好きな娘と息子のため、トイプードルの子犬を飼い始めたのです。がん患者として、医師として、関本さんは新たな家族と一緒に年越しを迎えます。
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(緩和ケア医 関本剛さん)
「この2年間も周りがだいぶ甘やかしてくれたので好き勝手はできていたんですけれど、こうやって喋りづらくなってきて、動きづらくもなってくるだろうから、もうちょっと楽してもいいかなって。いろいろ甘えまくって、より好きなことをしたいなと思いますね」