高齢者施設に入所していた女性が新型コロナウイルスに感染し、症状が悪化したにもかかわらず、入院できずに施設内で死亡しました。MBSの取材に応じてくれた遺族が胸の内を語りました。

第4波の高齢者施設クラスターで25人が死亡

5月17日、大阪府は第4波となる3月以降に高齢者施設で発生したクラスターの中で入院治療を受けることなく設内で死亡した入所者は25人に上ると発表しました。

(大阪府健康医療部 藤井睦子部長)
「6施設で総数で25人が亡くなられた。今後クラスター対応をしっかり充実させる必要があると考えています」

新型コロナウイルスに感染して亡くなった88歳の女性

そのうちの1人と考えられるのが眞谷淑子さん。大阪府門真市内の高齢者施設に入所していましたが、新型コロナウイルスに感染し、5月3日に88歳で帰らぬ人となりました。
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(亡くなった眞谷淑子さんの娘(50代))
「こんなに早く亡くなるのがわかっていたら、『もっといろいろしてあげたらよかったな』『できることはなかったのかな』ということしか今はないですね」

優しかった母との思い出を話してくれました。
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(亡くなった眞谷淑子さんの娘)
「これは私が中学生の時かな。初めて縫ってくれた浴衣ですね。これ(着物)も全て母が仕立てたものなんですけれども、成人式の時に仕立ててくれましたね。やっぱり娘のことを思って縫ってくれたんやなと思うと、母には感謝しかないですね」

淑子さんは10年前に施設に入所してからも、いきいきと暮らしていたといいます。
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(亡くなった眞谷淑子さんの娘)
「リボンテープみたいなのとかスパンコールとかで貼り絵みたいな感じで。『こういうのを作ってるねん』と楽しそうに見せてくれていましたね。一つの生きがいというんでしょうかね、母にとっては。いろんなものを作って楽しく過ごしているとは聞いていました」

感染しても入院できず施設内で療養

そんな淑子さんの生活が一変したのは4月11日でした。施設によりますと、この日、入所者2人に新型コロナウイルスの感染が判明しました。2日後、入所者と職員全員にPCR検査を実施したところ、淑子さんも含めた入所者32人と職員16人の計48人が感染していたことが明らかになり、大阪府はクラスターと認定しました。

(亡くなった眞谷淑子さんの娘)
「『えっ何で?』ということしかなかったです。コロナ禍になってから入所者は一歩も外出できないんです。『どうやって感染するの?』という感じで」

保健所によりますと、感染した入所者全員の入院要請を行いましたが、病床がひっ迫していたことなどから全員は入院できず、淑子さんも施設で療養せざるを得なくなりました。
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その後、施設と連絡を取り合ってきましたが、遺族側によりますと、淑子さんは感染判明から12日後の4月26日に容体が急変。血液中の酸素量を示す酸素飽和度が70%台まで落ち込んだと説明を受けたといいます。それでも入院できない中、容体はいったん持ち直したものの、5月3日に施設から淑子さんが亡くなったと連絡がありました。感染判明から20日目のことでした。

遺骨となって帰ってきた母

そして翌日、淑子さんは遺骨となって家族の元へと帰ってきました。

(亡くなった眞谷淑子さんの娘)
「母と最後に会ったのは2月の初旬ですね。(施設の)ガラスドア越しに会っただけで。(Qその時が最後になるとは…)もちろん思っていないです。元気でしたし普通に食欲もあったので。突然すぎて、本当に母が亡くなったという実感が、正直お骨になって帰ってくるまでは実感はなくて。お骨を見たときにこみ上げてくるものはありましたね」
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淑子さんの孫(20代)も突然の別れに気持ちの整理がついていないと話します。

(亡くなった眞谷淑子さんの孫)
「すごく明るく楽しそうにいろいろ話をしてくれるので、それを聞くことも楽しかったんですけれども、(コロナ禍で)会えなくなってからは、なかなか話をする機会もとれなかったので。もう会えないんだなということはすごく今は悲しいです」

保健所によりますと、5月17日まででこの施設では入所者40人・職員22人の計62人の感染が確認され、そのうち入所者13人が死亡しています。

「最大限の医療処置をとっていただくことが本来だと思う」施設に不信感

一方、遺族側は施設に対して、ある不信感も抱いていました。それは淑子さんの容体が急変した4月26日の施設の遺族側への対応についてでした。

(亡くなった眞谷淑子さんの娘)
「『重篤になりました』ということで、施設から家族に『救急搬送するかそのまま部屋で看取りますか?』という2択しかないような連絡をいただいたんです。生きるか死ぬかということに直面しているときに、それを質問してくること自体が考えられない。救急車を要請してそこでできる最大限の医療処置をとっていただくことが本来だと思うんですよ」

最終的に入院できた入所者は10人いましたが、淑子さんは容体が急変したにもかかわらず病院に運ばれることはありませんでした。なぜ搬送されなかったのかなど、淑子さんが亡くなった後、娘が施設に問い合わせましたが。

(亡くなった眞谷淑子さんの娘)
「何を聞いても『上に伝えておきます』という形なので、『いつ報告いただけますか?』と聞いても、『いつとは言えないです』と。未だに誠意ある回答というか説明であるとかどういうことが実際に起きていたのか、何もないですね」

事の真相を確かめるため、5月14日に記者が施設を訪ねたところ、「施設を運営するグループの本部で対応する」との返答がありました。そこで5月17日に本部を訪ねて書面での申し入れを行い、5月18日現在は本部からの回答を待っている状況です。

(亡くなった眞谷淑子さんの娘)
「きっとみんなに最後は会いたかっただろうし、おくってもらいたかっただろうし。私たちももちろんね、最期はきちっとした形で『ありがとう』と言ってお別れしたかったんですけれども、それも叶いませんでしたし。どうしてあげることが一番いいのかなって考えるばっかりで、答えは出ないですね」

(5月18日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『コダワリ』より)