世界的に有名な冒険家で兵庫県豊岡市出身の植村直己さん。北米マッキンリーで消息を絶って41年が経ちました。当時消息不明の一報を受け、松任谷由実さんが綴った歌が『星のクライマー』。その歌碑が2025年3月17日に『植村直己冒険館』に設置されました。歌碑の設置に尽力した地元・豊岡の思いに応えた松任谷由実さんを取材しました。

「きょうここにいるのは運命」 除幕式に松任谷由実さんの姿

 3月17日、兵庫県豊岡市の『植村直己冒険館』で行われた『星のクライマー』の歌碑の除幕式。市長や地元関係者のなかに松任谷由実さんの姿もありました。
20250318_uemuranaomi-000042234.jpg (松任谷由実さん)「私は何か植村さんが目指された冒険の一端を、自分でも体験してこられたような気がして、きょうここにいるのは運命だなと強く思いました」

世界初「5大陸最高峰の登頂者」となった植村直己さん

 (植村直己さん)「こういう厳しいことをやらないと自分の満足を得られないのかな。俺の人生とはなんだろうな」

 1941年、現在の豊岡市日高町で生まれた植村直己さん。明治大学在学中に本格的に登山をはじめ、卒業後は世界各地の山々をめぐりました。

 1970年5月には、日本人として初めてエベレストの頂上に立ち、8月には北米最高峰のマッキンリーに単独で登頂。世界で初めて5大陸最高峰の登頂者になりました。

 登山以外にも犬ぞりによる単独での北極点到達など、数々の偉業を成し遂げ、世界的な冒険家となりました。

 (植村直己さん)「ある程度1つの覚悟は必要だと思いますけど、今までの行動の中で、死んでもいいからやろうという気持ちは一度も思ったことはないと思います」

 しかし、1984年2月、マッキンリーの冬季単独登頂で成功を伝える無線交信を最後に、消息を絶ちました。
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 地元・豊岡では、ずっと郷土の誇りとして敬われ続けています。

植村さん消息不明の報せに募る喪失感 出会った『星のクライマー』

 植村さんの母校、豊岡高校OBの竹村英樹さん(62)。冒険館に松任谷由実さんの歌碑を設置するプロジェクトの発起人です。高校時代には学校で植村さんの講演を聞き、感銘を受けました。

(竹村英樹さん)「(植村さんは)自分たちに近い人だっただけに、もしかしたら僕たちも世界に通じるようなことができるんじゃないかっていう希望を持たせてくれるような、そんな感じを受けました。(植村さんが行方不明になったときは)自分たちの支えであったような人が突然消えるというか、消息不明になるってのはものすごくショックでした」
20250318_uemuranaomi-000349401.jpg 喪失感が募るなか、行方不明の約半年後に発表された曲が竹村さんの耳にとまります。それが『星のクライマー』。松任谷由実さんが植村さんのことを思って詞を書いた曲です。

 (竹村英樹さん)「植村さんのことを歌にしてくれたってのがまずうれしかった。(レコードを)すぐに買いに行って、下宿先で繰り返し繰り返し聞きました。それから40年余り、この歌が私を支えてくれたっていうか、そういう歌です」

 元々、松任谷さんの大ファンだったという竹村さん。仕事で悩んだときなどには、『星のクライマー』を聴いて前向きな気持ちを取り戻し、乗り越えてきたといいます。

思いを松任谷由実さんに伝えると返事が来た!

 2023年、行方不明から40年近く経ち、植村さんの記憶が人々から薄れるなか、『星のクライマー』の歌詞が刻まれた碑を設置することで、「植村さんの功績や挑戦心などを改めて知ってもらいたい」と考えるようになりました。

 (竹村英樹さん)「星のクライマーの歌詞があれば、みんな松任谷さんの思いとか、これを見に来てくれる人も出て、植村さんのことをまた思い出したり、考えたりしてくれるんじゃないかと思って」

 竹村さんは思いを手紙に綴り、松任谷さんに宛てて送ったところ返事があったのです。その後、何度かやり取りし、去年9月、松任谷さんから直筆の歌詞が届きました。

 (竹村英樹さん)「慌てて白い手袋を買いに行って、開封して指紋とかつけないようにしながら、おそるおそる開けて。本当に宝物中の宝物に触るような感じで。うれしさとちょっと怖さみたいなのが同居した感じでした」

 竹村さんは豊岡高校の同窓生らと歌碑設置などのプロジェクトを立ち上げました。費用の寄付を募ったところ、植村さんや松任谷さんのファンなどから400万円以上が集まり、ついに3月17日、冒険館に歌碑が設置されました。

松任谷由実さん「消息を絶ったニュース。思わずストーリーを写し取った」

 冒険家・植村直己さんのことを思って松任谷由実さんが作詞した『星のクライマー』。どのようにして誕生したのでしょうか。(聞き手:MBSアナウンサー古川圭子)

――植村直己冒険館に来られた松任谷さんにお会いできるとは思いませんでした。
(松任谷由実さん)「ありがとうございます。来てみかったです。とても」

――植村直己さんと松任谷さんを繋いだのが『星のクライマー』ですが、作詞したきっかけは?
(松任谷由実さん)「きっかけは植村直己さんがマッキンリーで消息を絶ったというニュースで、ちょうどそのときにどういう詩を書こうかと思って、思わずストーリーを写し取ったっていう感じですね」

――植村さんは単独で挑戦が多かったのがとても印象的で、そこは強い方だなと思うんです
(松任谷由実さん)「1人でなければ体験できないこともあると思います。チームでではなく、それがお好きだったというのか、誰も見たことのないところに行きたい、立ちたいっていう欲求のほうが、苦難よりも上回ってたかなと思います。」

――『植村直己冒険館』や『星のクライマー』についてメッセージをお願いします
(松任谷由実さん)「もう、植村直己さんの生まれ育った土地に来るだけで、伝えたかった何かが感じられるような場所です。今のこの世界情勢で、この混とんとした危うい世の中で、気持ちを正されるような言葉が、生きた言葉がたくさんちりばめられていました」

「歌のすばらしさと植村さんの挑戦する心を多くに人に感じ取ってほしい」

 3月17日の除幕式では、地元の大学生がリードして参加者全員で『星のクライマー』を合唱。松任谷さんも参加しました。

 プロジェクトの発起人、竹村英樹さんは、「自分がすごく愛してやまなかった歌の歌碑が、ユーミンさんが出席してユーミンの字でできて、夢うつつというのか。歌のすばらしさと、植村さんの挑戦する心を、多くに人に感じ取ってほしいですね」と涙を見せました。

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星のクライマー(作詞:松任谷由実 / 作曲:REIMY)

あなたは冬のクライマー
煌く下界は蜃気楼
ひきずる足跡を おり風が消していくよ
あなたは日記をつける
観客のいない試合の
鳴り叫ぶテントで 恋しいひとを想う

夜明けの月と 昇る太陽
両手に抱く場所 夢見て眠る
あなたは星のクライマー
氷河をたどる巡礼者
クレバスの向こうに誰の姿を見たの

あなたは祈りをつづる
読まれることない手紙
地球が終わるまで 溶けぬ根雪の中に

大きな虹と 続く雲海
静かな明日を 夢見て眠る
あなたは星のクライマー
ザイルを空にかけたの
輝く頂に誰の姿を見たの
輝く頂に誰の姿を見たの