多くの人に愛された神戸市立王子動物園のジャイアントパンダ・タンタン(旦旦)が旅立ちました。人間では100歳くらいに相当する28歳でした。その愛くるしい姿を振り返ります。

震災で落ち込んだ神戸の街にやってきたタンタン

 タンタン(旦旦)がやってきたのは2000年。「阪神・淡路大震災で被災した子どもたちの心を癒してあげたい」と神戸市が中国側に要望し、オスのコウコウ(興興)とペアで中国から貸し出されました。公開初日には盛大にイベントが開かれ、愛くるしい姿を一目見ようと大勢の人が詰めかけました。

 「かわいい」
 「もうくたびれているみたいやけど、かわいいですね」

 地元・神戸市灘区も『パンダ音頭』をつくるなどしてお祭りムード一色に。震災で落ち込んだ神戸の街に活気をもたらしてくれました。

 (灘駅前商店会 新井みき会長(当時))「もう本当にパンダさんに感謝しております。もうね、暗いお話ばっかりだったので、やっぱりありがたいと思っています」

期待されていた赤ちゃん誕生後…不幸が重なる

 繁殖の研究のため来日したタンタン。展示から2年、赤ちゃんの誕生が期待されていた中、あることが判明します。

 (記者リポート 2002年5月)「メスのタンタンがいくら誘っても、コウコウはまったく興味を示しませんでした。不思議に思った飼育員が先月コウコウの身体検査をしたところ、コウコウにはオスの生殖器が確認できませんでした」

 一緒に来園したコウコウの生殖機能が低いことがわかり、コウコウは中国へ返されることになりました。

 新たにやってきた2代目コウコウと人工授精に取り組むことになったタンタン。そして2008年には待望の赤ちゃんが誕生。しかし、飼育員らが24時間体制で見守りましたが、赤ちゃんは生後4日目に死んでしまいます。わが子をなくしたタンタン。さらに不幸が襲います。2010年9月、オスのコウコウが急死。タンタンはひとりぼっちになってしまいます。

 動物園は、中国側にオスを貸し出してほしいと何度も要望しましたが、新たなオスが来ることはありませんでした。そして2020年、借り受け期間の満了に伴いタンタンの中国への返還が決定しますが、新型コロナの感染拡大で延期に。2021年に心臓疾患が判明して、中国に帰ることなく神戸で治療が続けられてきました。

飼育員の梅元さん「家族とか友達以上の関係、ありがたい存在だった」

 2008年からタンタンを担当してきた飼育員の梅元良次さん。心臓疾患で一般公開が中止となった後も、SNSでタンタンの様子を発信するなどしてきました。

 しかし、3月31日夜、タンタンは息を引き取ります。心臓疾患に起因する衰弱死とみられています。28歳。人間でいうと100歳近い年齢でした。16年にわたりタンタンをみてきた梅元さん。

 (飼育員 梅元良次さん)「ずっと近くで見てきたので、頑張ったなというのが一言目でした。家族とか友達以上の関係というか…神戸の復興のために来ていただいて、すごくファンの多い子だったので、すごく自分自身にもありがたい存在だったなというふうに思っています」

 かつて地元で商店を営み、タンタンが動物園にやってきたときにはパンダの着ぐるみを着て盛り上げた、灘駅前商店会の新井みき会長。タンタンが来て神戸は変わったといいます。

 (灘駅前商店会 新井みき会長)「タンタンが来たということで180度変わりましたね。震災の後にこの街が一瞬にして変わっちゃった。こんなにもパンダで変わるものなのかなというのは痛切に感じますね。(Qタンタンにどんな言葉をかけたい?)長い間お疲れさまでしたという言葉ですかね。長かったですからね」
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 阪神・淡路大震災の復興のシンボルとして長年多くの人から愛されてきたタンタン。4月2日、動物園に設けられた献花台を訪れた人たちからも、感謝の声が聞かれました。

 「(震災で)神戸は何もかも失って悲惨な状態だったんですけど、一筋の光を与えてくれて。パンダさんいるよっていうことで、すごく一緒に復興の道を歩いてくれたという思いが強くて。やっぱり神戸市民の支えだったかな」
 「ありがとうって気持ちだけ。本当に頑張ったからゆっくり休んでねっていう気持ちですね。タンタンはずっと私の中では生き続けているから。もう一度会いたかった。もう一度。もう一度だけ会いたかったです」