松葉ガニで有名な兵庫県豊岡市竹野町。この町では今から約100年前、港町で財を成した人たちがお金を出し合い、1台のピアノをドイツから取り寄せました。時を経た『100歳ピアノ』の今の姿とは。

 兵庫県豊岡市竹野町。日本海に面して夏は海水浴、冬はカニを求める観光客が多く集まる町です。そんな竹野町にある「奥城崎シーサイドホテル」。
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 海が見える開放的なロビーに入ると、1台の年季の入ったピアノがあります。このピアノは100年以上前にドイツで製造され『100歳ピアノ』と呼ばれています。訪れた人が誰でも弾くことができるオープンピアノ。この100歳ピアノに集まる人々を定点観測しました。

子育てを終えてピアノを再開「すっごく楽しくて毎日弾いている」

 午前10時、チェックアウトのお客さんでにぎわうロビー。チェックアウト前の女性がピアノに近づきます。弾いたのは「ゆず」の「栄光の架橋」。弾き終わると、周囲から拍手が。

 (女性)「ありがとうございます。緊張してできない」
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 家族4人で旅行に来ていた女性。

 (女性)「映画の世界みたいです。戦争を乗り越えたピアノって思いました」
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 子どもの手が離れた2年前、女性はピアノを再開したといいます。

 (女性)「すっごく楽しいです。毎日弾いています。毎日1時間以上は弾いているかな。へたくそなんです。だからいっぱい弾かないとうまくならないので」
 (家族)「最初からうまく弾けないけど、ずっと弾いているうちに、ちょっとずつちょっとずつ上手になっていって、最後1曲弾けるようになるのがすごいなと感心していますね」
 (女性)「でしょ」

「退院したら絶対好きなことをしよう」そして始めたピアノ

 午前11時、チェックアウトの作業が終わり、昼からの宿泊客を受け入れる準備が始まります。
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 「エリック・サティ」の「ジムノペディ」を弾いていた男性。ピアノを弾き始めたのには、あるきっかけがあったといいます。
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 (男性)「コロナになって肺炎を併発して入院したんですよ。防護服を着て治療される感じ。それで退院したら絶対好きなことをしようと思った時に、音楽やりたいって湧き出てきて。(Qこれだけ弾けるのはすごいですね)いえいえ、全然。僕まだピアノ初めて1年ちょっとですから全然です」
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 小さい頃に一度挫折したピアノ。やると決めたなら毎日弾こうとSNSで配信することを日課にしました。自己流で練習するうちに自然と弾けるようになったそうです。

 (男性)「モーツァルトの曲とかバッハの曲とかちゃんと弾くという道もありますけど、まずは楽器と触れ合って楽しむとか、そういうのからかなと僕は思っています」

 ピアノがあったら触りたい。訪れる多くの人が触れる100歳ピアノ。落ち着いた優しい音色がロビーに響きます。
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 (フロントスタッフ)「弾かれている時とかは聞きながら、ノリそうになりながら精算とかしてしまいます」

鍵盤に触れて…「弾けたらどれだけ幸せでしょう」

 午後5時、夕食が始まる前、ご夫婦がピアノに立ち寄りました。

 (妻)「新聞を見ていたら載っていたのでね、あらこのピアノだわ、と思いまして」
 (夫)「ドレミファだけ弾いてみてとわしが言ってん笑」
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 大阪から来た夫婦。2人は日本全国47都道府県のすべてを訪れるほどの旅行好きです。

 (妻)「すごく年代的なものでこういう音がまだきれいに出ているんだなと。それに触らせてもらって。弾けたらどれだけ幸せでしょう」

 100歳ピアノの音色は旅先での思い出に彩を与えます。

町民たちが守りつないできた歴史

 このピアノは、約100年前に村の人たちの寄付によって購入され、ドイツからこの町の小学校にやってきました。以来約80年間、入学式や卒業式で音を奏でました。竹野町の人たちとってこのピアノの音色は思い出深いものになっています。
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 2000年代に老朽化により廃棄されそうになりましたが、町民が保存のため奔走して、自治会館に移され守られてきました。その自治会館も移転により閉鎖することに。100歳ピアノの存続が危ぶまれました。しかしホテルの社長で竹野小学校出身の岩井祐介さんが100歳ピアノのバトンをつなぐ新たな担い手として現れたのです。
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 (奥城崎シーサイドホテル代表取締役社長 岩井祐介さん)「100年の町民の皆さんの思いが詰まったピアノですので、伝承していくといいますか、お預かりしたものを後世に伝えていかなければならない大事な役割をいただいたなと」
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 自治会館では年に数回しか音を奏でることがなかったピアノ。もっと多くの人に触れて欲しい。新しい設置場所はホテルで一番人が行き交うロビーに決まりました。

100歳ピアノで校歌を歌う「童心にかえりました」

 2月11日、岩井社長は町民に声をかけて100歳ピアノのお披露目会を企画していました。100歳ピアノの伴奏で小学校の校歌を歌う。それが社長のアイデアでした。イベントには100人近くが集まりました。
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 ほとんどの町民が100歳ピアノの伴奏で校歌を歌った経験があります。そして行われた校歌の合唱。
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 100歳ピアノの音色が、集まった人たちを優しく包みます。
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 (竹野小学校 元教員)「ピアノの音色と校歌は思い出しました。とっても懐かしいなと思ったんです」
 (卒業生)「懐かしくて。童心にかえりましたよ」

 (奥城崎シーサイドホテル代表取締役社長 岩井祐介さん)「このピアノに思いをはせる方々がこれだけいらっしゃる、仲間がたくさんいるというのを改めて思いましたので。そういった方々と協力しながら、ホテル単体で守っていくのではなくて町の皆さまと協力して、次の150年、200年、300年、1000年とつなぐことができたらすてきだなと思っています」

 100歳ピアノは人々をつなぐ存在として、これからも大切にされていきます。