難病でほとんど目が見えない中学3年生。「ロービジョンフットサル」という競技に挑んでいます。視覚障がい者のスポーツとしては、キーパー以外がアイマスクを着用して音の出るボールを使用する「ブラインドサッカー」が有名ですが、ロービジョンフットサルは弱視の人がアイマスクをつけず通常のボール・通常のルールで行います。この競技に取り組むきっかけになったのは、ある人物との出会いでした。

視力は0.03以下 ロービジョンフットサルチームに所属の中学生

 中学3年生の沖平大志くん(15)。実は視力が0.03以下で、ほとんど目が見えていません。大志くんが取り組んでいるのはロービジョンフットサルです。
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 この競技は、視力が低い弱視の選手がわずかに残った視野を生かして通常のフットサルと同じルールでプレーします。

 (沖平大志くん)「左が全体的に黒くなっちゃって砂嵐っぽくなっていて、右は真ん中だけ見えなくなっている。色の判別もちょっと難しいし、小さい文字とかは全然読めない」
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 大志くんが所属する「デウソン神戸ロービジョンフットサル」は去年6月に発足した西日本で唯一のロービジョンフットサルチームです。
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 大志くんは、自宅のある和歌山県那智勝浦町から神戸まで週に1回、4時間かけて練習に通っています。

 (父 和生さん)「親なんでいろいろ厳しいことも言うんですけど、ただ自分らは普通に見えてるんで、本当の大志の気持ちをわかってやりたいけどわかってやれない」

サッカーが大好きだったが…中2の夏に異変

 大志くんは小学2年生の時にサッカーを始めました。どんどんのめりこんでいき、将来はサッカーに関係する仕事をするのが夢でした。しかし、中学2年生の夏、目が見えにくくなっていることに気が付きます。診断された病名はレーベル遺伝性視神経症、通称「レーベル病」でした。
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 文字や絵を描くときにはギリギリまで顔を近づけます。

 (沖平大志くん)「文字を読むとか、細かいことがやりにくい」
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 (井上眼科病院 若倉雅登名誉院長)「たいていの方が0.1以下になりますし、そのうちの半数以上は0.01とかすごく悪くなるわけですね。右目と左目、どっちも真ん中が真っ黒であると。真っ黒であるということはここに感度がないんです。見えないんですね」

 発症するのは10代から30代の男性に多く、急速に視力が低下します。根本的な治療方法は確立されておらず、難病に指定されています。

急激な視力低下に心が追いつかず サッカーも「ボール来るのが嫌だし怖かった」

 大志くんは1.5あった視力が、右目は0.03まで、左目はほとんど見えなくなってしまいました。相手の表情がわからないため、人と話すことが怖くなりました。文字が読みづらくなり、勉強にもついていけなくなって、次第に引きこもるようになりました。

 (父 和生さん)「もう荒れて荒れて、そこらのふすま蹴っ飛ばして穴開けたり」
 (母 京子さん)「イスひっくり返してイスの後ろに穴開けたり。もう本当に自暴自棄ってこういうことかというくらい。なんでこの子だけもうちょっと丈夫に産んであげられなかったのかなという思いはある。でも一度も私は責められたことはないんですけどね。『お母さんのせいだ』ってあの子は1回も言ったことはないけど。でもただサッカーはやっぱり好きだったので」
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 大志くんは急激に迫ってくる暗闇に恐怖と不安でいっぱいでした。続けてきたサッカーも次第にできなくなっていきました。

 (沖平大志くん)「味方と見間違えて相手にパス出しちゃったり、パスも思うところに出せないから。もし試合に出してもらってもあんまりボール受けたくないんですよ。見えへんし、ミスるし、楽しくないし。言われたら嫌じゃないですか。だからボール来るの嫌やし怖いし、そんな感じでした」

 そんな時、ある出会いが大志くんを大きく変えました。

視力が0.01以下でも諦めなかったサッカー選手・松本光平さんとの出会い

 サッカー選手の松本光平さん(34)です。

 【練習する大志くんと松本選手】
 (大志くん)「バリきついです」
 (松本選手)「大志まだアップやで」
 (大志くん)「はい。やっば」
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 松本さんは2020年、自宅でトレーニング中に破損した器具が両目を直撃。視力が0.01以下になりました。
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 ほぼ失われた視力の中でもサッカーを諦めず、事故から4か月後に練習に復帰。現在はニュージーランドのサッカーリーグでプロの選手として活動しています。

 (沖平大志くん)「普通の人と変わらなかったから、目が見えてないってあんまりわからなかったです。すごい人やなって思います」

 大志くんは、健常者と変わらずプレーする松本さんの姿に勇気づけられます。もう一度前を向き、ロービジョンフットサルを始めました。

 (母 京子さん)「死ぬ~とか言いながら楽しそうでした。僕にとって神様だ、と言っていたので、本当にそんな存在なんだと思います」

松本さんから見た大志くん「自分より小さい体で常に明るく頑張っている」

 取材した日、松本さんは目の使い方のアドバイスをしました。

 (松本選手)「顔動かさなくていいから、目だけで追いかけられるように。こう来るのは簡単やろ、だから落ちたり上行ったりが難しいから、これを目で追えるように」
 (大志くん)「はい」
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 (松本光平選手)「自分よりももっと小さい体ですごく頑張ってきているんで、ただそれをあんまり感じさせないというか、常に明るく頑張ってくれているんで、僕よりも全然すごいなと思っています」

 大志くんはロービジョンフットサルをきっかけに、何事にも積極的に取り組むようになりました。そして大きな挑戦があります。

大志くんがロービジョンフットサルの公式戦に初挑戦

 今年1月、ロービジョンフットサル日本選手権が開催されました。日本にある5つ全てのチームが出場します。大志くんにとって初めての公式戦です。

 (デウソン神戸ロービジョンフットサル 横澤直樹監督)「恐怖心とか不安とか無くす。オッケー?考えることは優勝するために何ができるか」
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 いよいよ試合開始。大志くんは懸命にボールを追いかけます。

 (試合中の掛け声)「そう大志、ゴー!大志!」
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 チャンスはありましたが、惜しくもゴールを逃してしまいます。

 (横澤監督)「まず縦突破みたいなの狙ってごらん」
 (大志くん)「はい」

 相手に果敢に立ち向かいます。何度つまずいても立ち上がり、最後まで諦めません。

 (母 京子さん)「負けんな!負けんな!」

 しかし、相手チームも攻撃の手をゆるめません。失点を重ねてしまいます。
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 2試合行われましたが、勝利を収めることができず、満足のいく結果ではありませんでした。しかし、大舞台での経験は大志くんの自信につながりました。

母「やりたいことを諦めるんじゃなくて何でも挑戦してほしい」

 (母 京子さん)「いつも思っていたのは、目が悪くなってやりたいことを諦めるんじゃなくて、何でも挑戦していってほしいし。目が悪くなってもいろんなことを頑張って、頑張ってよかったと思えるような人生になってほしいなと思います」

 “頑張ってよかったという人生になってほしい”。お母さんの思いは、大志くんにしっかり届いています。
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 (沖平大志くん)「楽しかったけど悔しかったです。次また頑張れるように、メンタルなら人一倍あるんで、きょうのこと生かしていろんなことにつなげて頑張っていきたいと思います」