能登半島地震の発生から1か月。石川県輪島市で、輪島塗の復興を目指す人、そして自ら被災しながらも料理人の腕を生かしながら炊き出しを続ける人、それぞれの今を取材しました。

 大規模な土砂災害が発生した石川県輪島市の市ノ瀬町では、地震発生から1か月が経った2月1日も朝から安否不明者の懸命な捜索活動が続けられていました。輪島市中心部では2月1日から地震で壊れた家具など家庭や事業所から出た災害廃棄物の回収が始まるということで、住民が家の中から運び出した家具や家電が積み上げられていました。

 しかし、地震で自宅が倒壊したという男性は、1か月経った今も何ひとつ手がつけられていないといいます。

 (被災した男性)「まったくものが出せないんですよ。余震で段々段々隙間がなくなって、どれひとつ動かないんです」

 約2000棟の住宅が被害を受けた輪島市。地震後に発生した大規模な火災で200棟あまりが焼失した観光名所『輪島朝市』では、1か月が経った現在も焼け跡はそのままです。

復興を目指す輪島塗

 輪島市内で漆器店を営む田谷昴大さん(32)に話を聞きました。輪島塗の製造・販売を行っています。輪島塗を保管していた事務所は元日の地震で半壊。1階部分の壁は歪み、中はどこに何があるかわからない状況に。建物の下敷きになる前にと、命がけで輪島塗を探し集めたといいます。今は一時的に安全な場所で保管するためトラックの中に移動させました。

 (田谷漆器店・代表 田谷昴大さん)「今はトラックに載せて、生き残った輪島塗を外に運び出すような作業をしているところですね。こういうお椀を逃してる状況ですね。僕このお椀好きなんです。生き残った輪島塗たちです。個数も数えていないです。とりあえず逃すの優先なんで」

 輪島塗は、漆器の中では初めて国の重要無形文化財に指定されていて、日本を代表する伝統工芸品のひとつです。

 (田谷昴大さん)「熱いお味噌汁を入れても熱くならなかったりとか、美しいだけではなくて機能面でも優れているので、僕はこの輪島塗のお椀が1番好きで、このお椀をたくさんの人に知ってもらいたいなと」

 ただ輪島塗を作るのは簡単ではありません。田谷さんによりますと、輪島塗を作る工程はなんと120以上も。その上、工程ごとに職人が分かれているため、ひとつを作るのに6人~7人ほどの職人が必要だといいます。

 (田谷昴大さん)「輪島全体が壊滅的な被害を受けていて、もう輪島塗を作れないんじゃないかなっていうのは、僕らの会社の倒壊を見た時よりも、輪島の朝市とか中心通りが被害を受けているのを見て思いました」

 そんな田谷さんたちの輪島塗を応援しようと、大阪でも支援の動きが広がっています。大阪市に住む吉村大作さんは、地震があった次の日、田谷さんが助けを求めていることを知りました。

 【電話で話す2人】
 (吉村大作さん)「輪島塗をなんとか復興するんだという思いにそっと寄り添うことしかできないんですが、できる限りのことをできたらなと本当に思っています」
 (田谷昴大さん)「ありがとうございます」

 募金を集めて、輪島塗職人の工房を作るため、大阪でチャリティーコンサートが開かれました。全国で広がる支援。田谷さんの大きな原動力にもつながっています。

 (田谷昴大さん)「近くに目を向けると本当に心が折れそうになるんですけど、たくさんの方に後押しをされて前を向かせてもらっているなと思うので。僕らも必ず輪島塗のメーカーとして戻ってくることで恩返しをしたいなと思っています」

店は手付かずでも…炊き出し続ける料理人

 田谷さんと同じように輪島に残りこの場所で立ち上がろうとしている人は他にもいます。

 地震発生後の大規模な火災で約200棟が焼失した輪島朝市で、1月10日に地元・輪島の飲食店関係者が集まり行っている炊き出しを取材しました。

 (池端隼也さん)「僕はフランス料理のレストランをやっていたんですけど。(Qお店は?)もうだめですね。彼はラーメン店です」
 (ラーメン店の人)「うちはお店は一部は残ったけど、家とか傾いて」

 自分たち自身も被災者ですが、少しでも地元のために何かしたいと有志のメンバーが集まり、炊き出しを行っていました。

 そして2月1日、変わらず炊き出しに向けた準備が行われていました。この炊き出しを立ち上げた池端隼也さん。朝市近くでフレンチレストランを営む料理人でした。今その店は…。

 (池端隼也さん)「耐震もやっていたので、入り口は残っているんですけど、古い建物なので2階が落ちた。今年9月で10年目だったんです。10周年だったんですよ」
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 レストランは火災こそは免れましたが…。

 (池端隼也さん)「100kg以上あるオーブンとかも倒れた。使えないですね。電気もつけられないんで。つけない方がいいと言われましたね」

 地震から1か月が経ちましたが手つかずのまま。営業が再開できるのかどうかすらわからない状態です。

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 (池端隼也さん)「ショックです。涙出ましたけど、でもなんか5分後くらいにもう、炊き出ししないとってなりましたね。(Qなぜ切り替えができた?)なぜでしょう。料理人やったからかもしれないですね」

 生まれ故郷の能登の食材に魅せられ、その美味しさを届けたいと始めたレストラン。再開のめどは見えなくとも、この場所で再開したいと考えています。

 (池端隼也さん)「(1か月は)僕の中ではあっという間でしたね。できる限りここで今何かできることがあればやりたいなと思っています。もう仕方ないんで起こったことは。今は未来しか見ていないです」