“1000人のバンドメンバーで一斉に同じ曲を演奏する”。そんな呼びかけにロック魂を揺さぶられ、集まった人たち。11月に大阪府堺市で開催された「千のRockYou!!」。演奏するのはたった3曲、わずか20分に懸ける思い。そこには参加者それぞれの人生の物語があった。
練習は、夕暮れに始まる。どこか疲れた仕事終わりの中年から、学校を抜け出してきたような若者まで。課題曲は、QUEENの「We Will Rock You」、THE BLUE HEARTSの「人にやさしく」「TRAIN-TRAIN」の3曲。ボーカル、ギターなど各パートに分かれて合わせていく。
(参加者)「細かいところを詰めたりするわけじゃないので、みんなが楽しくやれたらそれでOK」
(参加者)「家族に、お父ちゃんかっこよかったと言ってほしいですね」
「胃がなくてもこんなに元気にロック歌えるんだとわかってもらえたら」
ボーカルが上手いと評判の男性がいた。連日、イベントに向けてカラオケボックスで喉を鍛える。
「これは自分のマイクです。カラオケマイクの性能が良くなかったりするので、自分のマイクで歌ってます」
こう話す、濱本秀貴さん、50歳。今年2月、胃ガンを患った。胃と脾臓を全部摘出した。
(濱本秀貴さん)「(傷が)広い。怖かったですね。告知されたときは本当に怖かったです。もうすべてがなくなったみたいな。俺死ぬんだなと」
結婚11年。夫婦仲良く過ごしてきたが、時が止まった。
(妻・千賀子さん)「3日ぐらいずっと会話もないまま、どうしたらいいのかなっていう。しゃべったら泣いてしまいそうやし、ずっと家ではいろんな話をしてきたはずやのに、その瞬間から会話がなくなって」
濱本さんは3年前まで、ガス工事の作業長をしていた。身を削って現場を仕切る日々の中、勤める会社も新旧交代を迎え、退職を決意した。
かつてはバンドのボーカル。賞を受賞するなど評価された歌で今を乗り越えたいと挑戦を決めた。その矢先のガンだった。
食事は1日7回に分け、ダンピング症候群と呼ばれる後遺症で、吐き気や頭痛が毎日起こる。だからこそ、このロックイベントに懸ける思いがある。
(濱本秀貴さん)「1000人で歌うという、すごく大きなことなので、それはつながりと自分の中で思っていて、こいつでもこんな元気でやれるんだ、胃がなくてもこんなに元気にロック歌えるんだというのがわかってもらえたら」
定時制高校に通う17歳 軽音楽部員は自分ひとりだけ
ギターで参加する村上翔大さん、17歳。4人きょうだいの長男で、1歳半になる弟は可愛くて仕方がない。昼間は父親が営む美容室を手伝い、夕方からは定時制高校に通う。
自動車課で学ぶ村上さん、同級生は3人。
(同級生)「この人は先生を困らすほうです。追及して追求して、質問がものすごく多いんですよ」
(村上さん)「僕17歳で清水さんは?」
(同級生)「来年80歳」
放課後はいつも視聴覚室へ。
(村上翔大さん)「軽音楽部に入っていて、2年生で部長なんですけど、部員が1人もいないというピンチな状態で」
毎晩、ひとりぼっちで部活動。
(村上翔大さん)「いま本番やと思って、ちょっとイメージして。まるで1000人ぐらい見ているかのような」
今はイベント課題曲の練習を重ねる日々だ。
「友人の形見になってしまったギターで」参加者それぞれの思い
11月18日、本番まで1週間。合同練習にも熱が入る。それぞれのイベントに懸ける思いを聞いた。
(母娘での参加者)「母がバンドで演奏しているのも見る機会なかったですし、私のドラム叩いている姿を母に見せることもなかっただろうし、そういう意味ではいいチャンスをもらえたかな」
(参加者)「このギターを持って『千のRockYou!!』に参加するんですけど、友人の形見になってしまったギターで。(今年)亡くなった友人はいろんなことで僕の背中押してくれましたし、その友人と一緒に弾けたらいいなと」
母親が倒れ意識不明に「やろうと思っていたことは全部やろうと父親と話した」
練習が終わって、村上さんがカメラに近づいてきた。
(村上翔大さん)「11月9日に母親が倒れてしまって、いま意識不明で、まだ病院の集中治療室にいるんですよ。くも膜下出血というのになってしまって。(僕が弾くのを)母親も楽しみにしていたので、今まで決めていたイベントとか、行こうと思っていたことは全部やろうと父親と話して。それを止めても母親が喜ばないので」
母親の意識が戻ったら取材された映像を見てほしい。だから当日、楽しんで演奏したい。今を乗り越えたい。
ライブ当日 355人の思いが1つの「音」に
11月25日、迎えたライブ当日。1000人を目指し、集まったのは355人。
少なくても、現場にみなぎる音楽の熱がエネルギーを生む。
(濱本秀貴さん)「こういう日が来たんだなと。来るんだと思いました。ずっとネガティブなことばかり考えていたんですけど、ここまで大きな声で盛り上がって歌えるんだなというのは感慨深かったですね」
(村上翔大さん)「もともとこのイベントも母がエントリーしてくれて、(このライブの)直前に父から1回電話があって、元気にしているから楽しんでおいでやーと電話もらって、ちょっとホッとしてそのまま本番をやってたんですけど、実はその電話の30分後ぐらいに心臓が止まった」
(村上翔大さん)「始まった時に、何か見てくれている気がするなとふと思ったんですよ。もしかしたら本当に(亡くなった)その後に来てくれたかもしれないなと。僕の音、聞いてくれていたんちゃうかな」