はじめて訪問した日、男の子は車から降りるのに50分かかりました。2回目は、日が暮れてようやく店内に入りました。「発達障がい」の子どもの中には、音や肌に触れる感覚過敏によって、散髪が大の苦手という子もすくなくありません。そんな子どもたちに配慮した美容院があります。子どものペースを守り、なかなかハサミを入れません。来店を繰り返すこと7回、半年間向き合った美容師は、ついにその髪に、はさみを近づけました。

「ひとりひとり障がいだけでなく性格も違う。やり方は100人いたら100通りぐらい違う」

 京都市伏見区にある美容室「Peace of Hair」。その待合室で散髪を嫌がる男の子。この男の子には発達障がいがあります。彼らの多くは、音や肌に触れる感覚の過敏によって散髪が苦手なのです。そのペースに合わせて寄り添うのは、美容師の赤松隆滋さん(48)です。

 (赤松さん)「一緒にアニメ見ようよ。赤松さんもここ座るし。一緒に座って一緒に見よう」
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 (男の子の母親)
 「他の美容室は1回パニックを起こしたら『もううちは無理です』みたいな感じで断られることが多いんです。だから、こっちも気をつかって行きづらくなる」

 (男の子)「髪の毛チョキチョキ切ってありがとうございました」
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 赤松さんが初めて発達障がいの子どもの散髪をしたのは13年前。息子の髪を切る美容室がなく困っている母親からの相談を軽い気持ちで引き受けました。ところが…。

 (美容師 赤松隆滋さん)
 「バリカンのスイッチを入れた瞬間、その子がパニックになったんですね。聴覚の過敏と極度の緊張状態の中でカットに挑んでいた子やって。本当に自分の中でもショックで。その子が一番ショックやったんですけどね。それで初めて発達障がいについて勉強しようと思ったんです」

 2014年にNPO法人「そらいろプロジェクト京都」を立ち上げ、発達障がいの子どもに配慮したヘアカットを普及する活動を始めました。これまでに髪を切った子どもは6300人以上にのぼります。
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 (赤松さん)「次な、ここチョキチョキするよ。がんばれ。そうそう、おぉ上手」

 彼らは予期せぬことへの対応が苦手で、急に頭を触られるとパニックになることもあります。そこで「見通し」が大切だと気付き、前もって段取りを伝える絵カードを作って少しでも不安を取り除けるようにしました。

 (赤松隆滋さん)
 「本当にひとりひとり特性が違いますし、障がいだけじゃなく性格も違うわけで。だから、やり方っていうのは100人いたら100通りぐらい違いますね」

髪を切りに来た6歳の男の子 警戒して車から降りられず

 2022年12月。この日、初めてお店で髪を切る男の子がやってきます。けれども、姿が見えません。赤松さんは駐車場の方へ見に行きます。

 (赤松さん)「車から出ない?いいですよ。…げんちゃん、こんにちは」
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 げんきくん、6歳。知的障がいを伴う自閉スペクトラム症の男の子です。これまで美容室に行ったことはありません。げんきくんは初めての場所を警戒して車から降りることさえできません。
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 (母親)「(お店に)まず入れるまでにどれくらい時間がかかるか…」
 (赤松さん)「ちょっとずつ練習から入りましょうか。お店に入る練習。でもね、お母さんはそれくらいの気持ちでいてくれたらいいんですよ。ゆっくりいきましょう。きょうはとりあえず仲良くなること」
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  (赤松さん)「がんばれ、がんばれ。(手に)タッチできる?」
 (げんきくん)「(手にタッチする)」
  (赤松さん)「タッチできたー!えいえいえおー!」

 そして…50分かけて車から降りることができました。

 (赤松隆滋さん)
 「きょうはこれで終わりにします。時間がかかるかもしれんけど、無理やり切って嫌がるんじゃなくて、大丈夫とわかればできる子なんで。今後それでやっていきたいなと」
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 外へ出ても子どもの障がいを理解されず、母親はげんきくんが自宅で寝てる間に髪の毛を切っていました。そんな時、インターネットで赤松さんの存在を知ります。しかし、半年以上も予約することをためらいました。

 (げんきくんの母親)
 「育てていると、謝ることが多い。どこに行っても迷惑かけてごめんなさいって。やっぱりそういう気持ちってどこかにあって。嫌がったらどうしようとか、美容師さんも嫌やろうなとか思ってしまったり、そういう気持ちがどこかで勝っちゃう」

ゆっくり、じっくり、寄り添い続ける

 1週間後。げんきくんは再びお店の近くへ。赤松さんは、公園にいるげんきくんに話しかけます。

 (赤松さん)「げんちゃんこんにちは。覚えてる?おいで。よう来たなー」

 ゆっくり、ゆっくり、げんきくんはお店の入口へ近づいていきます。

 (赤松さん)「げんちゃんにとっては本当に一生懸命なことやから。僕らにとってはたったこれだけが彼にとってはすごい山を登っているから。それがちょっとずつやけど歩み寄っているじゃないですか。お母さんはそこだけを褒めてあげてほしい」
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  (赤松さん)「(店に)入ってみる?ここに大きな大きな壁があるねんな」
 (げんきくん)「(店に入らず離れてしまう)」
  (赤松さん)「きょうはここまででいいと思います。よくがんばったと思うし。…タッチ。ママにもタッチしておいで…入った」
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 日が暮れたあと、お店に入ることができました。赤松さんは、決して焦ることなく、げんきくんの気持ちに寄り添い続けます。

 (赤松隆滋さん)
 「お疲れさまでした。(Qどうでした?)いやーでもね、申し訳ない気持ちの方が強いんです、げんちゃんに対して。あの子はわがままとかでは一切なくて、怖いとか嫌がる理由がいっぱいあって、それは僕もすごく感じていたし。どんだけ寄り添えるかなって。きょうも寄り添えたとは思わないけどね。げんちゃんにとってかわいそうやったけど、でも(店に)入れたもんね。それでいい…いいんやろか…」

 「なぜ怖がっているのか、子どもの気持ちになって考える」。赤松さんはそれから半年、げんきくんの髪に、決してハサミを入れることはありませんでした。

初めて来た日から6か月 ついに生まれて初めて美容室で髪を切る

 2023年6月8日。この日、げんきくんは自らお店へと入っていきます。

 (赤松さん)「ちょっと落ち着いてからしましょう。きょうはちょっと短く切りますね」
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 初めて来た日から6か月。嫌がる気持ちはあります。けれど、じっと、がんばります。

 (赤松隆滋さん)
 「切るよって言った時にワーとは言ってるんですけど、ちょっとかがんだ感じになるっていうのは、切ってもいいよのポーズなんです。ただ、終わる時間とかどれだけするかっていうのがわかっていないから外に行きたいと」
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 生まれて初めて美容室で髪を切ることができました。

 (母親)「げんちゃんすごいな、なんか別人みたい」
 (げんきくん)「ありがとう、ありがとう(ピースをする)」
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 (げんきくんの母親)
 「ここまで切れるようになるっていうのは正直驚きなんですけど。初めは入れなかったっていうのがあるので。わかってはいるから、もうちょっと経験を積んだら」

  (赤松さん)「ようがんばった!げんちゃんバイバイ!」
 (げんきくん)「(赤松さんとハイタッチする)」
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 「人との違いを楽しめれば自分の世界も広がる」。そんな社会が、美容室が、増える未来を願って。

 (赤松隆滋さん)
 「障がい者に対しての合理的配慮という意味では、まだまだ日本は進んでいないのかもしれません。僕は美容師なので髪の毛を切ることに関してやっていますけど、あらゆるプロが子どもたちに対して、この分野は自分の分野だからと手を差し伸べたら、きっとこの子の住む世界・未来はキラキラまぶしいものになるに違いないと思うので、そうなる世界に自分も関わりたいと思っています」


◎2016年の厚生労働省の調査によりますと、全国で発達障がいと診断された人の数は48万人。このうち、5人に1人が9歳までの子どもです。