事件発生から13年になります。父親の堤敏さんは、「寂しい思いはさせたくない」今も息子の遺骨を自宅に置いています。

息子の将太さんは、2010年10月、神戸市北区、自宅のすぐ近くで、ナイフで首などを何度も刺され殺害されました。

「明るい、優しい、友達がいっぱいおって本当に普通の高校2年生の男の子」「末っ子ということもあって、一番うちではやんちゃな甘えたっていう子やった」

警察は、のべ3万人を超える捜査員を投入しましたが、事件は長期化。敏さんも、毎年チラシを配って情報提供を呼びかけました。

そして事件発生から10年10か月で男が逮捕、犯行当時17歳だったため、少年法に基づき、名前は公表されませんでした。

7日の初公判。父親の敏さんは被害者参加制度を使って、検察官の後ろに着席。ときおり眉間にしわを寄せて被告の様子を見ていました。

30歳の元少年は「複数回刺したのは間違いないが、殺すつもりはなかった」と殺意を否認。殺意の有無と、刑事責任能力の有無の2つが主な争点となります。

被害者の父が被告の父に質したこと

午後の裁判には、被告人の父親が出廷。元少年の自宅内での様子や、事件前に神戸市に引っ越した経緯などが、検察側・弁護側から聞かれていました。 敏さんも被害者参加制度に基づき、被告人の父親に直接、尋ねました。

―――敏さん:被害者や遺族に対して謝罪しましたか

被告人の父親:しませんでした

―――しようとは考えなかったんですか

ずっと考えていました

―――何故しなかったんですか

我が身なら憎悪が増幅して謝罪を受けるより苦しいと感じたから。また法廷で事実を明らかにした上で謝罪したいと思ったから

―――11年間の重み、我々の辛さについては

心痛極まりない日々だったと考えております

―――逮捕されるまでの11年間、逮捕されてから公判までの期間、被告の行為や自分自身の判断をどう思いますか

非常に悪いことをしたと思っています

―――それだけですか

はい

初公判を終えて

午後6時前、敏さんは会見を開きました。

―――被害者参加制度の質問、思いはぶつけられましたか。

それはできなかったですね、ぶつけ切れていないなとは思います

―――初公判を終えての心境は。

堤敏さん:始まったばかりで初公判を終えたという気持ちもないんですが、裁判とはこんなものかというのを感じました

―――対面した被告の印象は

一切目を合わせようとしませんでした、僕が目をそらしたらアカンやろうなという思いはありました

―――現在30歳の被告、少年法の対象で名前が出ないことについて受け止めは

僕が少年法どうのこうのという段階ではないと思うが、少年法を適用した、更生を目的にした裁判で良いのかなという思いはあります。逃げていた期間何をしていたか、逃げるに至ったいきさつを知りたい。

敏さんはあす8日の公判で、被告の元少年に直接質問する予定です。 「熱くならないようにしたい」と言い聞かせるように話しました。