東京電力・福島第一原発事故を受けて自主的に避難を続ける親子らの裁判。5月24日に母親が証言台に立ちました。

夫と離れて子どもと自主避難「リスクは下げられるが家族4人の生活は…」

 大阪市に住む森松明希子さん(49)は12年前の2011年、福島県郡山市に夫を1人残して、子ども2人とともに大阪に避難してきました。

 (森松明希子さん)
 「福島を離れると被ばく影響のリスクは下げられる。だけれども家族で平穏に4人で暮らしていた生活は壊される」

 2011年3月11日に起きた東京電力・福島第一原発事故。一家が暮らしていた福島県郡山市は、原発から60kmほど離れていて避難指示は出されていませんでしたが、今でも郡山市内の空間放射線量は事故前の約3倍で、森松さんは子どもたちの健康被害を考えて事故の2か月後から避難を続けています。

 (森松明希子さん)
 「直後の混乱期から客観的な放射能汚染の実態を知るにつけて、もちろん避難が正しかったし間違いではなかったという確信もあります」

家族が会うための交通費は1000万円超に

 夫の暁史さんはおおむね月に一度、週末に大阪へとやってきます。一人で福島に帰る父親を見送る子どもたち。

 【暁史さんと別れる明希子さんたち 2013年取材】
   (子ども)「バイバイ」
 (明希子さん)「ちょっとショック?寂しいの?」
   (子ども)「(うなずく)」

 こうして家族が大阪と福島県郡山市を往復した回数は2011年からの7年間で287回。交通費は1000万円を超えました。

 (森松明希子さん)
 「この表を見ているだけで本当につらいというか。こんなん賠償をいくら積んでもらってもお金に代えがたい。家族4人で子どもたちを育てるということはもううちはかなわなかったわけですから」

提訴から10年「子どもの受けた権利侵害・損害を認定して」

 森松さんらが国と東京電力を相手に損害賠償を求める集団訴訟を起こしたのは震災から2年後。そして提訴から10年がたった今年5月24日、森松さんは自身の被害を裁判官に直接訴える本人尋問に臨みました。

 (森松明希子さん)
 「被害を訴える人がいなければ、被害の事実って絶対世の中には伝わらないので」

 森松さんは「原発事故さえなければ家族に会うためだけに1000万円以上の費用はかからなかった」と主張しました。

 (森松明希子さん)
 「母子避難をしている人は、自主という形で避難できているからいいと、(国や東電が)一切責任を取らないのはおかしい。特に子どもの受けた権利侵害・損害を裁判所はきちんと認定してほしい」

 一方、国や東京電力側は「郡山市にも多くの子どもが残っていて、自主避難する必要はなかった」などと主張しています。

 (森松明希子さん)
 「(尋問を通じて)被ばくにさらされて子どもたちをどうやって守るかというあの時の経験がよみがえってきましたし、国の責任を認めて、東電にもきちんと賠償をしていただいて、2度と同じ事故を繰り返さないというところまでいきたいと思っています」

 裁判は2024年に結審する見通しです。