39年前、滋賀県日野町で起きた強盗殺人事件。犯人とされた男性は無罪を訴えながらも無期懲役を言い渡されて服役、病死した。今、遺族が再審(裁判のやり直し)を求めていて、あす2月27日、大阪高裁が再審を行うかどうかの判断を下す。カギを握るのは、「新証拠」と「新見解」だ。

酒店経営の女性が殺害…警察の捜査難航し3年後に逮捕

1984年の年末、酒店を経営する当時69歳の女性が突然行方不明となった。その20日後、女性は宅地造成地で遺体となって発見された。さらに店から無くなっていた手提げ金庫が山中から発見されたことで、警察は強盗殺人事件として捜査を始めた。しかし、警察の捜査は難航し、発生から3年以上が経った1988年3月12日に警察は酒店の常連客だった阪原弘さんを強盗殺人容疑で逮捕した。

「嫁ぎ先に行ってガタガタにしてきたろか」過酷な取り調べ

阪原さんの長男・弘次さんによれば、逮捕前後の取り調べは暴言や暴力を伴う過酷なものだったという。

(阪原弘さんの長男・弘次さん)
「『(任意の取り調べの際に)鉛筆を束ねたもので頭は小突かれるわ、パイプ椅子を蹴飛ばされて、父ちゃん床に尻もちついたこと何べんもあるんやで』と言うてました」
「『娘の嫁ぎ先に行って家の中ガタガタにしてきたろうか、親戚のところの職場に行って、その男に手錠かけて引きずり回したろかと言われた時は、父ちゃんもう我慢できんかったんや』その時は泣きながら私に訴えていました」

 この後、阪原さんは「女性を殺害後、42キロの女性を1人で軽トラックの荷台に乗せ、何もかぶせずに警察署の前を通って遺棄した」と自白をした。

「虚偽の自白強要」“無罪主張”も無念の無期懲役…遺族が再審に挑む

その後裁判で、「虚偽の自白を強要された」などとして一貫して無罪を主張した阪原さん。しかし、裁判所は検察側が積み重ねた間接証拠などを基に有罪と判断。無期懲役を言い渡され、2000年に刑が確定した。阪原さんは、獄中から2006年に再審(裁判のやり直し)を求めたものの、大阪高裁で審理が行われていた2011年に75歳で病死。失意の遺族を奮い立たせたのは、阪原さんが刑務所で使用していた物品が送り返されたことだった。

(阪原弘さんの長男・弘次さん)
「(逮捕されてから亡くなるまで)父が使っていた物が段ボール箱1箱分、ミカン箱2つ分だけってあまりにも悲しいじゃないですか。せめて父の無念だけでも晴らしたい」

2012年、遺族らは2回目の再審請求に踏み切った。

裁判で証拠認定された「19枚のネガ」帰り道に行きの“フリ”して撮影?

2回目の再審請求では、弁護団の求めの甲斐あって、検察側から大量の証拠開示があったという。その中に、無期懲役とした判決を揺るがす重大な事実が含まれていることが判明したのだ。それが、「引当捜査のフィルムネガ」だった。

 引当捜査とは、容疑者を現場に立ち会わせ、事件現場まで捜査員の誘導無しで案内できるかを確かめるもの。「日野町事件」では、有罪判決の決め手の1つとして、阪原さんが警察官の誘導無しに金庫が捨ててあった場所まで案内できたとされている。
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ところが、引き当て捜査の際に警察官を案内する様子を写したとされる証拠写真と、新たに開示されたフィルムネガの順番を突き合わせたところ、19枚中8枚が「帰り道に行きの“フリ”をして撮影された」ことが分かったのだ。弁護側は「警察官が、行きの写真だけでは証明が不十分だと考え、写真を差し替えて任意に案内できたとする虚偽の証拠を作成したのではないか」と指摘している。

 引当捜査を担当した元警察官は、再審請求の審理の中で「行きと帰りの写真が混在して、その中から選んだ」と述べたという。

大津地裁は「再審開始」を決定…検察が抗告

2018年7月、大津地裁は再審開始を決定。大津地裁は、先の引当捜査について、「発見場所にたどり着けることを強く期待した警察官が、意図的な断片情報の提供を行ったことなどで案内できた可能性が認められる」と判断した。阪原さんが逮捕されてから、約30年が経っていた。

 この決定の6日後、検察側は即時抗告(不服申し立て)を申し立て、舞台は大阪高裁へと進んだ。

『体の死斑の位置おかしい』弁護団見いだした新見解

2021年1月、弁護団が提出した11ページの鑑定書。名古屋市立大学で法医学を教える、青木康博教授が執筆したものである。青木教授は弁護団の依頼を受けて、被害女性の遺体の解剖記録や写真を約2カ月かけて精査したという。そこで着目したのが「死斑」だった。

 人が死亡して血流が止まると、血液が重力に従って落ちる。それが皮膚の色の変化として現れるのが「死斑」で、現れた場所から遺体がどのような姿勢で置かれていたかが推測できるという。
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女性の遺体は、体の左側を下にした状態で発見され、阪原さんも自白の中で「殺害後、遺体をトラックに載せて左側を下にして遺棄した」と話していた。一般的に死斑は、死亡してから約12時間で完成すると言われているため、自白と発見状況を考えると、「体の左半分を中心に死斑ができる」はずである。

 ところが、解剖写真や記録を見ると、死斑は「背中全体に出ている」とされ、「左右差がある」などといった記載はない。ここから、青木教授は、「遺体はずっと仰向け、もしくは多少左が下くらいの状態で置かれ、最後に左側を下にして遺棄したと推測される」と結論づけた。
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(名古屋市立大学大学院 法医学分野 青木康博教授)
「私は普段、検察や警察と一緒に仕事していますけど、この死斑の状況で、(容疑者が)『最初から側臥位(横向き)に置きました』と言ったら、(捜査員は)『それお前違うだろう』と容疑者に対して言うはずです。言うべきです」

 自白と解剖記録の食い違いに気付かなかったのか。当時の滋賀県警の捜査主任は、MBSの取材に「20年以上前のことで覚えていない」と話した。

あす(27日)に再審可否へ…弘次さん「無罪を勝ち取り墓前に報告にいきたい」

事件発生から約40年経ってもなお、フィルムネガという新証拠に、死斑についての新見解が明らかになった。再審可否の決定を前に、阪原弘さんの息子・弘次さんが今の思いを語った。

(阪原弘さんの長男・弘次さん)
「あの時警察、検察が全ての証拠を提出して、自分たちに都合の良い証拠、悪い証拠含めて提出していたら、父はきっと無罪判決。今ごろこの家で平和に暮らしていると思うんですよ。悔しいじゃないですか。父はいませんけども父と同じ思いを持っている母がせめて元気なうちに再審無罪を勝ち取って家族みんなで父の墓前に報告にいきたい。そういう気持ちでいます。母が生きていることは絶対条件なんですよ」

「再審」の重い扉を開けることはできるのか。大阪高裁の再審可否の決定は、27日午後2時に言い渡される。