「ウガンダではレズビアンが自由に生きることはできません」女性は法廷で裁判官に強く訴えかけた。

女性はアフリカ東部の国・ウガンダの出身。来日直後に出入国在留管理庁(入管)の施設に収容され、収容中に難民申請をしたものの認められなかった。仮放免となった現在、支援者の助けを借りながら、難民と認めなかった日本国の決定を取り消すよう求めて裁判を起こしている。

そもそも、なぜウガンダを脱出しなければならなかったのか。女性はレズビアン、つまり性的マイノリティ(LGBT)で、母国で迫害を受けていたという。10月3日に開かれた裁判で、女性は母国で過ごした壮絶な日々を口にした。

同性間の性交渉は「犯罪」女性はレズビアン隠し結婚強制…DV・流産も

訴えや支援者によると、ウガンダでは2014年に「反同性愛法」が一時成立したこともあったほか、現在も同性間の性交渉に対しては終身刑が科される。また、LGBTというだけで警察が身柄を拘束するケースがあるなど、性的マイノリティへの苛烈な人権侵害が問題視されている。仕事にも就けず、家を借りることができないこともあるそうだ。

女性は、高校生の頃からレズビアンのパートナーと過ごしていて、高校中退後、20歳以上年の離れた男性との結婚を親に強制された。子どもを身ごもったが男性の暴力を受けたことで流産し、実家に出戻った。二度と男性の元に帰りたくないと覚悟を決めて、母親にレズビアンであることを打ち明けたところ、母親は杖を持ち出して叩いてきたため、実家から飛び出し、パートナーらレズビアンの人たちと共同生活を送り始めた。ただ、共同生活自体決して安心できるものではなかったと、裁判で証言した。

(ウガンダ人女性)「ウガンダでは、LGBTのいる家族は“呪われている”と考えられています。嫌悪されています。」
 (女性の代理人)「共同生活を送る中で、近所の人にLGBTだと知られていましたか?」
(ウガンダ人女性)「はい」
 (女性の代理人)「近所の人たちに何をされましたか?」
(ウガンダ人女性)「侮辱されました。『子どもに対して悪い影響がある』と。家の大家さんからも『出ていけ』と言われて何度も家を引っ越しました」

突然の身柄拘束 警察官から「お前はレズビアンなのか?」と尻を叩かれ“拷問”

そこから状況は深刻になっていく。ある日、LGBTを理由に同居人とともに警察に逮捕された。その時のむごい扱われ方を、女性は落ち着いた口調で証言した。

 (ウガンダ人女性)
 「警察は私に寝転がるように言って尻を叩き始めました。『レズビアンなのか?どうやって知るんだ?』と言い、ひどいことを言ってきました。警察は(逮捕された同居人と私を)お互いに叩くように言いました。叩き方が甘いと棒を取り上げて、『どうやって叩くか教えてやるよ』と言ってまた叩いてきました」

  (女性の代理人)「どの程度の強さでしたか?」
(ウガンダ人女性)「出血して傷ができる程度で強かったです。出血しても止めようとしませんでした」

勾留中は十分な治療が受けられず、今も体の複数の箇所に傷跡が残っている。裁判ではその傷を裁判官に見せる一幕もあった。女性の勾留は約3か月間続き、その間、農場で強制労働させられるなどしたという。

ブローカーを頼りに日本へ「母国でレズビアンは自由に生きられない」

釈放されたのち、病院で治療を受け、再びLGBTのパートナーたちと暮らし始めたものの、ウガンダ国内でLGBTの人がどんどん逮捕されているという噂を耳にする。「このままでは国に殺される」――。そのように感じた女性は、ブローカーにパスポートとビザを依頼。ブローカーに言われるがまま日本へとやってきた。そして、日本でLGBTを理由に難民と認めるよう求めたが却下され、今裁判で争っている。

裁判の中で、国側は「LGBTの人がウガンダの法律に基づいて有罪判決を受けたケースはないとされていて、ウガンダ国内でもLGBTへの理解は進んでいる。また、女性の体に残る傷が警察の行為によるものか判然とせず、証言の信用性に疑問がある」として、訴えを退けるよう求めている。

そして、母国に帰れない理由を問われた女性は、次のように答えた。

 (ウガンダ人女性)
 「私はウガンダ政府や警察から拷問されたり殺されたりするのではないかと恐れています。ウガンダではレズビアンが自由に生きることはできません」

入管庁によると、2021年に日本で難民申請をして、認められた割合は約3%だといい、先進国の中でも突出して低い。日本で難民として保護されることが容易ではないなかで、母国に帰れないレズビアンのウガンダ人女性に対して裁判所はどのような判断を示すのだろうか。裁判は今年中に結審する予定だ。