9月27日に行われる安倍晋三元総理の国葬。今回の開催で大いに参考にされているのが55年前に行われた吉田茂元総理の国葬です。過去の国葬をみることで未来への教訓を汲み取ります。

 1967年10月31日の午後2時、日本武道館で吉田茂元総理の国葬儀は執り行われました。戦後初となる国葬には国の内外から約6000人が参列、午後7時ごろまで国民約4万5000人も参列したといいます。

 国民に広く弔意が求められ、大阪府庁でも半旗を掲げて職員が黙祷。学校も休みとなったところが多かったといいます。
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 (記者リポート)
 「こちらは戦後で唯一国葬となった吉田茂元総理の国葬について書かれた記録です。その中には計画や中身が詳しく書かれています」

 国葬の翌年に政府がまとめた「故吉田茂国葬儀記録」には、死去を受けた3日後には閣議決定で国葬を行うことが決まり、その8日後に執り行われた事が記されています。

 当時の佐藤栄作総理は国葬とした理由について次のように話しています。

 (佐藤栄作総理(当時))
 「(吉田元総理は)7年有余の長きにわたり国政を担当され、強い祖国愛にねざす民族への献身と優れた識見とをもって、廃墟と飢餓の中にあった我が国を奇蹟の復興へと導かれたのであります」

 また、1947年に国葬令が廃止され、基準が無かったことを認めています。

 【『故吉田茂国葬儀記録』に記された内容】
 「現在では法律的にも制度上にも国葬についての規定がないので、短時日であったが国葬儀に踏み切るまでには、あらゆる角度からその是非が検討された」
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 当時も吉田茂元総理をめぐっては評価が分かれていました。吉田氏は総理を退き10年以上経って亡くなっていて、政治家としての評価は定まりつつありましたが、当時の街頭インタビューでは評価が割れていたことがうかがえます。

 (1967年当時の街頭インタビューの様子)
 「現代に至るまでの日本の政治にずいぶん貢献なさった方だと思っています」
 「大阪タクシー汚職なんかに見られるような政治的な腐敗の根源が、吉田政治の中で育まれたのではなかろうか」
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 吉田氏の国葬には反対の声もあり、葬儀後の国会でも国葬に関する何らかの基準が必要だとの指摘もなされましたが、佐藤元総理が国民葬(内閣・自民党・国民有志)となり、その後、歴代の総理経験者の内閣・自民党合同葬が主流となって以降、大きな議論にはなってきませんでした。

 吉田氏の国葬から55年。今を生きる私たちが出来ることはないのでしょうか。