今年1月に直木賞を受賞した作家の今村翔吾さん(38)。5月30日から「まつり旅」と銘打ち、全国47都道府県の学校や書店などを回って、夢を持つことの素晴らしさや本の面白さなどを伝えています。約4か月間にわたった旅も、いよいよ9月24日にゴールを迎えます。
30歳から小説家を目指した異色の経歴
今年1月に「塞王の楯」で直木賞を受賞した滋賀県大津市在住の歴史小説作家・今村翔吾さん、38歳。作家でありながら、去年11月には廃業の危機に陥っていた大阪府箕面市の書店の経営にも乗り出しました。30歳から小説家を目指し、夢を叶えた異色の経歴を持つ今村さん。
(今村翔吾さん 去年11月)
「僕ね、直木賞とったら記者会見で『47都道府県まわるまで帰りません』と宣言しようと思っていて…」
書店を元気づけ、若者に夢を与えたいと、一度も家に帰らず47都道府県の書店や学校などを回る、その名も「まつり旅」を実行。しかし裏側ではこんな言葉も…。
(今村翔吾さん)
「書いていて圧倒的に楽しさが減っている」
9月24日のゴールを前に激動の日々を振り返ります。
直接お礼を言いたい…全国約300か所から応募
今年4月、まつり旅に向けた準備が始まりました。直木賞作家として直接お礼を伝えたい。その反響は大きく、全国の書店や学校約300か所から応募が集まりました。
(今村翔吾さん)
「やってみんとわからんって。誰もやったことないねんもん」
どんな場所にでも行けるよう、移動手段は車に決め、目立つように自身の写真をラッピングしました。今回のまつり旅は全て無償で行い、事務所スタッフとほぼ2人で回ります。
(今村翔吾さん)
「回った書店とか学校の生徒さんに直にマジックで(車に)応援メッセージを書いていってもらうおうかなと思っています。…足りる?このスペース。逆に俺の写真でかすぎへん?」
旅の最中も休まず書き続けられるよう、後部座席に執筆スペースも作りました。新聞や雑誌に7本の連載を抱える売れっ子作家。多忙の中で旅を始めるのは“ある理由”がありました。
(今村翔吾さん)
「歴史の知識的なストックは全然枯渇していない。たぶん10~15%くらいしか使っていないけど。人との出会いのエネルギーは、講演とかやっているけど、たぶん結構減ってきてんねん。それの危機感みたいなのはちょっとあったから」
サイン会や講演会で交流 ファンや書店員ら感激
旅の始まりの日の5月30日。出発地には、作家を目指して執筆活動を始めたときに働いていた場所である滋賀県の「守山市立埋蔵文化財センター」を選びました。
(今村翔吾さん)
「物語を紡ぐ上で人との縁とか人との関わりが物語のエネルギーというかガソリンになっているんです。みんなのためというより、どこかで自分のためなのかもしれないという思いもあります」
滋賀県をスタートしたまつり旅。118泊119日で全国の書店や学校などを巡りサイン会や講演会を開きました。
【北海道でのサイン会】
(訪れた人)「大ファンです」
(今村さん)「えーっうれしい」
(訪れた人)「どれもいいですもんね」
(今村さん)「ありがとうございます。…聞いたか、どれもいいんやて」
(サイン会に訪れた人)
「本当に今でも夢のようで、作品やテレビとかでしかお会いできない先生が目の前にいるなんて、本当に信じられないくらいにうれしいです」
「なかなかこんな機会は北海道ではないので感動でした」
求められればどんな場所へも向かいます。山口県ではわずか8畳ほどの電気店を兼ねた本屋さんへ。
(今村翔吾さん)
「子どもの時に行ってた本屋さんにちょっと似てる」
朝から晩まで休む間もなく7か所を訪問する日もありました。作家が自ら地方にまで出向き触れ合うのは異例のことです。
(北海道の書店員)
「直接いらっしゃって目の前で書いてくれるという機会はなかなかないですので、非常に貴重ですし、僕らとしてもとてもうれしいなと思います」
旅の途中も「締め切り」に追われながら書く!思わずこぼれた“本音”
一方で旅は全て順調だったわけではありません。訪問を行いながらも毎日やってくる「締め切り」。
(執筆中の今村翔吾さん)
「できた…あー疲れた」
どんな時も、書いて、書いて、書き続ける…。
(今村翔吾さん)
「めっちゃ忙しいねん、今」
(スタッフ)
「連載を止めるかまつり旅を止めるかのどっちかなんですよ。書いていないと作家じゃないけど、今は物理的に時間がないのはわかるけど、それをわかった上でやり始めているから、そら寝ずにやるしかないやんと」
まつり旅中も毎日深夜2時ごろまで続けた執筆活動。思わず本音がこぼれることもありました。
(今村翔吾さん)
「もうパソコンを見るのも嫌ぐらいになってた。俺が書けなくなったら『ファンがいなくなるな』とかさ。不安やん俺だって」
それでも旅を続けられたのはファンや関係者がいたからでした。
(今村翔吾さん)
「本当に多くの人が待ってくれているんやなというのがわかっていくにつれて、そういうしんどさとか大変さとかというのも乗り越えられるようになっていったかな」
「本の世界は死んでいないということを教えてもらった旅」
まつり旅には書店への感謝の気持ちを伝えるとともに、もう1つ大切な思いがあります。
(石川県の金沢市立中央小学校で講演する今村翔吾さん)
「夢を目指して叶う人もいれば叶わない人がいるというのも現実問題あるんよ。みんなの夢は今からやれば絶対叶うと思っています。ホンマに何であっても。夢の光の部分を言いたいなと思って来ました」
自らが30歳から小説家を目指して夢を叶えたことから、子どもたちに夢を持つことや人とのつながりの大切さを伝えたかったのです。
(講演会に参加した子どもたち)
「将来の夢は努力とか人との縁とかがあれば叶うんだよということを教えてくれたので、私も努力して将来の夢を叶えたいなと思いました」
「私の中で夢は決まっていませんが、でも今村先生は30歳になっても夢は叶えられるよと教えてくれたので、夢は焦らなくても決まるんだなということを私は思いました」
まつり旅は9月24日、デビュー作の舞台となった山形県新庄市でゴールを迎えます。
(今村翔吾さん)
「僕はまだまだ出版業界というか本の世界は死んでいないということを教えてもらった旅かもしれない。まだまだたぶんやらなあかんことやりたいこといっぱいあるなと思ったから、止まらないで」
ゴールを前に「泣きそう。ほんとにいい旅だった」
そして、9月23日放送のMBS「よんチャンTV」では、ゴールを翌日に控え、今村さんに今の思いを聞きました。
―――118泊119日という旅。今はどういった気持ち?
「今の時点で泣きそうになってきた。楽しかったこともつらかったことも全部思い出されます」
―――いろいろな出会いがあって、エネルギーになったのでは?
「はい、やってよかったなと今は胸を張って言えるかなという感じですね。自分1人でどこまでできるのかとか何の意味があるんやというのを悩んだ日々もあったんですけど、たった1人でも走っていこうかなという気持ちもかたまったところです」
―――子どもたちとのふれあいはどんなこと感じた?
「(旅中に)僕は愚痴も言っているんですよ。だから、子どもたちが目を輝かせて僕を見てくれているときに、こんな俺に…みたいな気持ちで、すごく胸が痛くなったり、けど逆に力もらってまたやれたりとか、ほんとにいい旅だったなと思います」
―――費用はかなりかかったのでは?
「ぶっちゃけていったら1000万円ぐらいはかかりました。今回スポンサーとか一切なしなので、直木賞の後にいただいたものとかもあるんですけど、それを返したいなと思ったので、この機会しかないと思ってやらせてもらいました」
―――ゴールをした後はどんなことを考えている?
「僕1人は270か所ぐらいしか回れなかったんですけど、これを多くの人間で100人で年1か所行けば100か所。ずっとこういうのが続いていく活動をしたいなと。1人でやることからみんなでやることに切り替えるために、旅の途中に社団法人を作りました。それを来年以降からやっていこうと思います」
―――では明日、素敵なゴールを迎えてください。
「出版業界を諦めないように、最後まで走り抜けてきます」