ロシアのウクライナ侵攻が行われている今から遡ること81年。1941年に始まった太平洋戦争。この時、日本の子どもたちは交戦国であったアメリカ・イギリスのことを「鬼畜米英」と教えられました。開戦の14年前にアメリカから“友情の証”として大量に贈られた青い目の人形は、戦争が始まると“スパイ人形”などと言われ、燃やされたり踏まれたりするようになりました。今、そんな戦争を生き抜いた青い目の人形を平和を考える教育に活用する取り組みが行われています。
“友情の証”としてアメリカから贈られた人形
奈良県大和高田市の高田小学校。ここに通う児童たちを長年見守り続けている人形がいます。
年月を重ねたブロンドの少女の人形。寝かせると青い目をそっと閉じます。
(5年生)
「学校を探検していたら青い目の人形を見つけて、なんかちょっと不気味かなって」
「ちょっと怖かった。『呪いの人形みたい』って言っている子もいた」
実はこの人形、日本の歴史を静かに見つめてきたのです。今から95年前の1927年、暗雲垂れ込めていた日米関係。その改善のために渋沢栄一らが動き、日本からは日本人形、アメリカからは少女の人形が“友情の証”として贈られ、全国の小学校などに配られました。
当時、小学生だった人は…。
(当時小学生だった人 1989年取材)
「その時分、珍しいでしょう。人形が寝させたら目をつぶるし。起き上がったら『ママー』とか言ったから印象に残っているんです」
戦争が始まると『恐ろしい仮面の親善使』と表現
奈良県五條市の「賀名生の里 歴史民俗資料館」にある「パトリ」と名づけられた人形。
奈良県五條市の辻内近司さんの母・千重子さんはパトリが小学校に来た日のことをよく話していたといいます。
(辻内近司さん)
「校長が夕方、パトリを抱いて学校へ帰ってきたと。『抱きたいか?』と言われて『抱く抱く、先生抱かして』と言って抱いたのが初めてだったと」
しかし1941年に太平洋戦争が開戦すると、友情の証だったはずの人形は…。
【1943年の新聞記事より】
「『青い眼をした眠り人形』は今にして思えば恐ろしい仮面の親善使であった」
「鬼畜米英」と叫ばれた時代。青い目の人形は処分すべきとされ、子どもたちの目の前で叩き壊され、焼き払われ、1万2000体あった人形はわずか300体ほどしか残りませんでした(存在が確認されているもの)。
終戦から9年後に発見された人形
しかし終戦から9年後、辻内さんの母・千重子さんは思わぬ場所でパトリと再会します。
(辻内近司さん)
「(PTAで)校舎や炭小屋、古いものを全部処分しようと。炭小屋から汚い人形が出てきた。『もう捨てようか』という話だったが『ちょっと待って。私にも見せて』と母親がかき分けていったらしいです。そしたら『パトリや』ってすぐわかったって言うんですよ」
戦時中、校長がパトリを守るため、炭俵の奥底に隠していたのです。
その後、千重子さんは炭だらけのパトリに新しい服を繕い、小学校が閉校されるまで平和を考える授業に使われたといいます。戦争という時代を生き抜いた“ふたり”。千重子さんはパトリを次の世代に繋ぎ、97歳で亡くなりました。
“今だからこそ人形が学校にある意味を知ってもらいたい”
奈良県には4体の人形が残っていて、うち1体は今も高田小学校に飾られています。しかし多くの子どもたちは人形の物語を知りません。
高田小学校の梶村圭教頭は、今だからこそ子どもたちに、人形が学校にある意味を知ってもらいたいと考えていました。
(高田小学校 梶村圭教頭)
「ロシア・ウクライナの問題がやっぱり子どもたちにも直接的にいろんな映像や報道も含めて入っているので、平和を身近にいかに感じられるかというきっかけになるすごく意味のある年なのかなと」
人形を使った授業を通じて平和について考えてほしい。授業を受け持つのは教頭と5年生の担任。戦争が起きている今だからこそ、子どもたちにどう伝えるべきか、自然と熱が入ります。
(高田小学校 梶村圭教頭)
「青い目の人形がなかったら、他の学校ではリアルじゃないというか、より迫ること(教育)はしにくいと言っていた。そういった意味でも高田小学校の教員は、しっかりとそれぞれが語れるようになれたらという思いもある」
子どもたちが思い思いに『平和』を考える
授業は2回に分けて行うことに。1回目は子どもたちが思う平和について考える時間。
(児童らに話す5年担任の楠本きらら先生)
「それぞれ『平和』ってどんなことをイメージするかな?『平和って何?』のマッピングをしていきます」
タブレットを使い、思い思いに「平和」から連想する言葉を繋ぎ合わせていきます。平和だからこそできることを書いた子どもや…。
イラストを使って表現した子どもも。戦争から追いやられる平和の先には希望が待ち構えています。
(5年担任 楠本きらら先生)
「子どもならではの視点で平和を考えている。気持ちを考えたり、自分の身近な人を想像して考えたりしている子もいて、本当におもしろいというかいろいろな考えがあるんだなと改めて感じました」
人形を棚から出し物語を伝える…人形を抱く子どもたち
そして9月20日。
(高田小学校 梶村圭教頭)
「大事なものなので触ることもどうかと思っていた」
久々に展示の棚から人形を出して教室へと運びます。子どもたちに人形の物語を聞かせるために。
(児童らに話す梶村圭教頭)
「真ん中の女の子が大事に大事に抱いているのが青い目の人形。大事にしていたんやけど時代の波に飲み込まれていきます。戦争やな。『敵国の人形や』『スパイ人形や』って言われて燃やされたりとか、子どもたちに『この人形を踏みなさい』と泥だらけの靴で踏ませたりとか。『そうするべきだ』とみんな考えていたわけ。300体残っている、その1つがこれです」
子どもたちがケースから出た姿を見るのは初めてです。
【人形を近くで見る子どもたち】
(児童)「すごい、寝てる」
(教頭)「目をつぶるんやわ」
(児童)「すごい」
(児童)「目が開いた」
(児童らに話す梶村圭教頭)
「みんながいろいろと考えてくれたことが未来の財産になります。楽しみやなと思っています」
人形の物語を知った子どもたち…思いはそれぞれ
授業に託した思い。子どもたちはどう受け止めたのでしょうか。
(5年生)
「ガラスケースの外から見たら怖い人形かなって思っていたけれど、教頭先生の話を聞いていろんな思いの詰まった人形やねんなと思いました」
1回目の授業で戦争から追いやられる平和を書いた子どもは…。
(5年生)
「もう少しわかりやすく書こうかなと。(平和で)戦争をなくそうとしました」
(高田小学校 梶村圭教頭)
「世界中でいろんなことが起きていて、いつ何時そういったことが自分の身に降りかかるかもしれない。自分ごとと思えるかどうかがすごく大事なこと。押しつけではなくて何か感じ取ってほしい。自分らなりにそれぞれが解釈して繋げてほしい」