安倍晋三元総理が銃撃され死亡した事件から8月8日で1か月が経ちます。当時の警備の状況などが徐々に明らかになってきました。

 8月8日、現場の近鉄大和西大寺駅前では手を合わせる人の姿が見られました。

 (手を合わせた人)
 「安倍さんが亡くなったことがすごくショック。(現場を)通るたびにすごくつらいです」

 憲政史上最も長く総理大臣を務めた安倍氏が狙われた事件。演説中という状況下で事件はなぜ防げなかったのか。当時の警備体制の検証を進めている警察庁は8月5日、検証作業の途中経過を明らかにし、事件当時の状況がわかってきました。
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 (記者リポート)
 「山上容疑者はこのあたりから車道へ出て安倍元総理に近づき発砲したとみられていますが、発砲までの時間は約10秒だったということです。その間、警備中の警察官は気づかなかったということです」
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 安倍氏が演説を始める直前、奈良県警の警備担当の私服警察官3人と警視庁のSP1人の計4人が近くで警戒にあたっていました。この時、うち1人はガードレールの外にいました。
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 しかし、その後、前方の聴衆が増えてきたことなどから、外にいた警察官が演説直前にガードレールの内側に移動。安倍氏が演説を始めた頃には警戒の方向が前方に変更されたとみられています。その後、手製の銃を持った山上徹也容疑者(41)が後方から接近しました。この配置の変更は現場の警備を統括していた指揮官には伝わっていなかったといいます。

 (警察庁関係者)
 「配置を変更したこと自体は合理性を欠くとは評価していない。ただ、現場の指揮に基づくものではなかった。十分な意思疎通ができていなかったところを問題視している」
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 手製の銃で犯行に及んだ山上容疑者。通常の銃とは異なっていたこともあり、1発目の銃声を聞いて「花火のような音だった」と証言する警護員もいたということです。
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 事件が起きた後、通報を受けた救急隊は現場に10分後には到着していました。当時の奈良市消防の活動記録について、MBSが情報公開請求し開示された報告書には、当時現場に駆け付けた救急隊の緊迫した状況などが記されていました。

 【救急出動報告書の記述】
 「頚部に銃創を確認」
 「初期波形は心静止」
 「群衆多数であり、現場騒然としており収容を優先とする」

 事件をめぐっては、山上容疑者の刑事責任能力を確認するため、大阪拘置所で精神鑑定などが行われています。

 警察庁は、8月下旬をめどに検証結果とともに要人警護のあり方についての見直しも取りまとめる方針です。
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 奈良市消防局によりますと、今回の事件は安倍元総理が被害者ということで社会的関心が高く救急隊員にもストレスがかかった可能性があったことや、銃撃事件そのものがめったに起こらない事件で悲惨な現場だったため、担当した救急隊員に「心理的ケアを受けたいか」と尋ねたということです。その結果、6人が事件後に不眠などの症状を訴えたため、産業医の面談を受けたということです。奈良市消防局は今後も必要に応じて救急隊員らのカウンセリングを行いたいとしています。