戦後、原爆ドームの近くで復興していく広島を見守った大仏があります。その後、所在がわからなくなり人々の記憶からも薄れていきましたが、約10年前に奈良の寺院で発見され、今年“里帰り”が実現することになりました。

奈良県安堵町の極楽寺。この寺にあまり世に知られていない“大仏”があります。

(極楽寺 田中全義住職)
「こちらのお堂の仏様が広島大仏という仏様でございます」

奈良に眠る『広島大仏』。数奇な運命を辿ってきました。
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鎌倉時代に現在の山形県でつくられたこの仏像は、明治の廃仏毀釈を免れ、大正時代に広島県へ。
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戦後、“原爆の犠牲者を供養する仏様にしよう”という機運が高まり、原爆ドームのすぐ近くに大仏殿が建立されました。そして広島大仏と称され1950年~55年まで人々を見守ったのです。

その後、所有権をめぐる混乱の末、所在が不明に。再びその存在が明るみに出たのは半世紀以上も後のことでした。

(極楽寺 田中全義住職)
「ひょんなきっかけでというか、ある本・写真集を見てみると、その写真集に広島大仏さんが写っていらっしゃった」

広島大仏の写真に偶然出会った田中住職が、自分の寺にある仏像と同じではないかと感じて調査。11年前の2011年に広島大仏であることを突き止めたのです。その後、田中住職は“大仏を里帰りさせたい”という思いを温めてきました。
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(極楽寺 田中全義住職)
「私はどちらかと言うと、今のこの日本を平和に導いた第一歩を踏み出した人たちの思いを大切にしていかないといけないなと。枯れた土に芽を植えた人たちを私たちが忘れていては、きっと未来に平和はないんじゃないかなと」

そして今年、ついに広島の企業の協力も得て、“里帰り”が実現することになりました。原爆ドーム横の複合施設「おりづるタワー」で今年7月から公開されることが決まったのです。

再び広島へ向かうことになった大仏。傷が付かないように丁寧に梱包し、ゆっくりと横たわらせ、頭の部分と体の部分を分けていきます。そして大仏殿から運び出されていきました。
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(記者リポート)
「関係者に見守られながら、広島大仏が今出発していきました。半世紀以上の空白を埋めて広島へ里帰りに向かいます」

広島に到着した大仏は、深夜に「おりづるタワー」の12階に搬入され、無事に安置されました。

7月1日には大仏に魂を吹き込む法要が営まれました。

(極楽寺 田中全義住職)
「仰ぎ願わくは広島大仏の功徳によって復興へと導かれた英霊たちの離苦得楽を称し、万邦協和、一つの和となり、世界平和へと導きたまえ」

8月6日、ある被爆者が広島大仏との再会を果たしました。91歳の梶本淑子さんです。当時、大仏殿の近くにあった親戚の洋服店で働いていた梶本さん。何度も広島大仏に会いに行ったといいます。
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(梶本淑子さん)
「懐かしいですね本当に。お久しぶりですね。(原爆投下の約1年半後に亡くなった)父にすごく似ている。お寺もない、お宮もない、神社も何もない時でしたから、心の支えのような。ここに来れば何か落ち着くとか優しくなれるというのは、お父ちゃんに会いたいという気持ちが半分あったんじゃないかなと思ったりします」
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再び被爆地の人々の心を照らす広島大仏。慰霊の旅は今年9月まで続きます。