森友学園を巡る公文書改ざん問題で、改ざんを命じられ自ら命を絶った赤木俊夫さん(当時54)の妻・雅子さんが当時の理財局長・佐川宣寿氏に慰謝料などを求めて裁判を起こしています。「真実を知りたい」その一心で闘い続けてきた裁判が、1つの節目を迎えようとしています。

 財務省近畿財務局に務めていた赤木俊夫さん(当時54)は、学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる公文書の改ざんを上司に命じられたことを苦に、2018年3月に自ら命を絶ちました。自宅には俊夫さんが書いた手記が残されていて、次のように記されていました。
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(俊夫さんの手記より)
「今回の問題はすべて理財局が行いました」
「指示もとは佐川元理財局長と思います」
「最後は下部がしっぽを切られる」
「なんて世の中だ」

「私や妻が関与していれば総理大臣も国会議員も辞める」安倍元総理の発言が発端に

俊夫さんが命を絶たなければならないほど悩み苦しんだ、公文書の改ざん問題。その発端とされるのは、安倍晋三元総理の次の発言でした。

 (安倍晋三元総理 2017年2月17日)
 「私や妻が関与していたということになれば、これはもうまさに間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」
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 財務省の決裁文書には、国と森友学園側との事前の価格交渉を伺わせる記述や国会議員の名前や安倍元総理の妻・昭恵氏の名前が消されたり、森友学園側に便宜を図ったように受け取れる「特例的な内容」や「本件の特殊性」などといった文言が削除されるなど、財務省の決裁文書14件で改ざんが行われていました。

調査報告書に『やり取りは明らかにならず』雅子さん提訴へ

俊夫さんの死から約3か月後、財務省が公表した調査報告書によると、当時の佐川宣寿理財局長が、決裁文書を「外に出すべきではない」と反応し、理財局の総務課長らが「直す必要がある」と認識、近畿財務局に改ざんを指示したとされています。しかし、誰がどんな言葉で指示・実行させたのか、具体的なやり取りは明らかになっていませんでした。
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「夫はなぜ自ら命を絶たなければならなかったのか」。雅子さんは、2020年3月、国と佐川元理財局長を相手取り、計約1億1000万円の損害賠償を求めて訴えを起こしたのです。

(赤木雅子さん 2020年3月)
「佐川さんが来てくれたら本人の口から本当のことを聞きたい」

雅子さんにはある確信がありました。生前、俊夫さんが雅子さんに、『改ざんの経緯を書き残した文書がある』と話していたといいます。また、当時の俊夫さんの上司も「改ざんの経緯を記したとされる文書」いわゆる“赤木ファイル”がある、と雅子さんに明かしていました。

 (上司だった元統括官)
 「これまでの過去の経緯、東京からどういう指示を受けて、どういう修正があって、前後、きれいにきちんとまとめておられた」

夫が残した「赤木ファイル」が公開 本省との『生々しいやり取り』残される

まずは、夫が残した“赤木ファイル”をこの目で見るため、国側に開示を求めました。しかし、当初、国は「改ざんの経緯について争いはなく、存否を回答する必要がない」として、ファイルがあるのか無いのかすらも明らかにしていませんでした。その後、裁判所が任意に提出をするよう国側に求めたことから、国側が突如、“赤木ファイル”の存在を認め、裁判所へ提出しました。

 去年6月に公開された“赤木ファイル”は、518ページに及ぶもので、財務省本省と近畿財務局との間で交わされたメールなどが残されていました。
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▼財務省本省から近畿財務局へ送られたメールの内容(赤木ファイルより)
 「近畿局の皆様。いつも大変お世話になっております」
 「現時点で削除した方が良いと思われる箇所があります」
 「当該箇所をマーキングしておきましたので修正・差し替えするとともに当該修正後の文書を本省にメール送付いただけますでしょうか」

 改ざんの指示はこんなメールから始まりました。森友学園の概要が記された文書の中に書かれた、『国会議員の名前』や『安倍昭恵氏』の現地視察に関する内容がマーキングされていました。
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 日付は2017年2月26日、日曜日。安倍元総理の発言から9日後のことでした。当時、俊夫さんは休日にもかかわらず、急きょ出勤していました。

 連日国会で答弁を行っていた佐川元理財局長。最初のメールから約1か月後、決定的なメールが届きました。
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▼財務省本省から近畿財務局に送られたメールの文言(赤木ファイルより)
「局長からの指示により調書につきましては、現在までの国会答弁を踏まえた上で作成するよう直接指示がありましたので、改めて、調書を修正後、局長説明を行う予定です」

このメールに対し、赤木さんは一言だけ、指示にあらがう内容を送っていました。

▼赤木俊夫さんから財務省本省へ送ったメール(赤木ファイルより)
「既に意思決定した調書を修正することに疑問が残る」

 赤木ファイルの内容を見た赤木雅子さんは当時、次のように話していました。
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(赤木雅子さん 2021年6月)
「夫はこうやって抵抗していたと思うし、やりたくなかったし、やるべきじゃないということを伝えたのに」

突然の『賠償金』を支払うと宣言…国との裁判が終わることに

改ざんの具体的なやり取りは明らかになったものの、それでもごく一部。雅子さんは、赤木ファイルに残された内容をより具体的に明らかにすべく、佐川氏やその部下などの証人尋問を申請しようと動きはじめました。弁護団によりますと、裁判所も尋問のスケジュールを意識し始めていたといいます。

ところが、事態は暗転。去年12月に裁判の進め方を話し合う非公開の協議が行われた時のことでした。

(国側の代理人)
「いたずらに訴訟を長引かせるのは適切ではない」
「認諾します」

 国側は突如、雅子さん側の請求を受け入れ、賠償金全額を支払うと明らかにしました。これにより、公文書の改ざんと俊夫さんが自ら命を絶った因果関係は明らかにされないまま、国に対する裁判が終わってしまったのです。
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(赤木雅子さん 2021年12月)
「ふざけんな!と思います。夫は国に殺されてまた何度となく殺されてきましたけど、きょうもまた打ちのめされてしまった。お金を払えば済む問題じゃない。こんな形で終わってしまったことが悔しくてしょうがない。私は夫がなぜ死んだのか、なぜ死ななければいけなかったのかを知りたい」

 雅子さん側の代理人弁護士は、この「認諾」を見越して佐川氏への損害賠償請求をうまく切り分けていたことから、佐川氏個人に損害賠償を求める裁判だけが継続することになったのです。

望みかけた「佐川氏との裁判」佐川氏への『尋問』求める

国との裁判は終わってしまいましたが、雅子さんは唯一残された佐川氏への裁判に期待をかけています。2022年5月。雅子さん側は、佐川氏本人に加え、佐川氏の部下3人と俊夫さんの上司1人、計4人を証人として、法廷において本人から話を聞く『尋問』を行うよう大阪地裁に求めていました。

(赤木雅子さん)
「尋問が可能なら、私は直接自分は手を染めずに夫にやらしたことをどう思っているのか聞きたいなと思います」

裁判所は佐川氏への尋問『認めず』一方で雅子さんあす尋問へ

しかし、その思いは、今度、裁判所に裏切られることとなりました。

(大阪地裁・中尾彰裁判長)
「尋問についてですが、採用することなく(訴訟の)判断が可能だと考えます」

大阪地裁は尋問を認めませんでした。そして、弁護団は雅子さんの思いを証拠として採用することはできないかとして、弁護団は本人尋問を大阪地裁に申請。2022年6月に45分間の尋問を認められました。

弁護団によりますと、俊夫さんの生前の映像などを流しながら尋問を進める方針で、当時の俊夫さんの状況や雅子さんの状況を立証するということです。

雅子さんへの尋問は7月27日の午後2時から行われます。雅子さんは今の心境について、次のように話しました。

(赤木雅子さん 7月26日)
「佐川さんに本当に何があったのかを話してほしい。裁判外でも含めて何かしらの形で伝えてほしい。真実をとにかく知りたい。その一心です」

提訴から2年以上が経過した財務省の公文書改ざんをめぐる訴訟。「真実を知りたい」と追い続けた思いを雅子さんは法廷で語ります。