65歳未満で発症する「若年性認知症」。全国における患者数は3万5000人以上、平均発症年齢は54.4歳で、男性のほうが有病率が高いとされています。取材班は今回、46歳で「若年性アルツハイマー型認知症」と診断された男性とその妻が、写真で記憶をつなぎながら暮らす様子を取材しました。

46歳で「若年性認知症」に…写真で“薄れゆく記憶”をつなぐ

 下坂厚さん(48)。2年前に「若年性アルツハイマー型認知症」と診断されました。当時46歳でした。
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 下坂さんが撮影する何気ない日常を切り取った写真は、下坂さんの薄れゆく「記憶」をつなぎます。

 (妻・佳子さん)「鴨川はどっちでしょう?いつも行ってるやん」
    (厚さん)「こっち」
 (妻・佳子さん)「ピンポン。それは見えてきたからやろ。自分の家も通り過ぎて反対側にいつも行こうとするから」
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 「若年性認知症」は根本的な治療法がなく、現在は症状の進行を遅らせる薬を服用しています。
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 子どもはすでに独立し、妻の佳子さんと2人暮らし。直前に見聞きしたことも、家族の名前さえも、ふいにわからなくなります。

  (厚さん)「名前なんやったっけ?」
 (佳子さん)「マコちゃんやろ」
  (厚さん)「マコちゃんか。何歳やったっけ?」
 (佳子さん)「テツヤ(息子)と一緒やから29歳やん。同い年って言ってたやん」
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   (記者)「マコちゃんって親戚ですか?」
 (佳子さん)「息子のお嫁さん。入籍を3月26日にして、このあいだのゴールデンウィークに娘のところにみんな集まって。その写真を見ていて『なんて名前やったって?』って言うから」

  (厚さん)「何歳やったっけ?」
 (佳子さん)「29歳。もう何回も言っているんですけど」

『死んだ方がマシかなと考えた時期もあった』

 下坂さんが異変を感じたのは2019年の夏でした。

 (下坂厚さん)
 「店までの道を間違えたりとか、いままでになかったことが増えてきたりすると、『あれ?』と思って。それで受診するきっかけになった」

 医師から告げられたのは「若年性アルツハイマー型認知症」という思ってもみなかった病名でした。

 (下坂厚さん)
 「認知症になったら何もわからなくなるとか徘徊するとかね。家族のこともわからなくなるとか、全部忘れてしまうとか、そういうイメージしかなかったので。『自分がそれになってしまったのか』と思った時に目の前が真っ暗になった」
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 長年勤めた鮮魚店から独立して仲間と新たな店を立ち上げた、まさにこれからという時でしたが、迷惑はかけられないと診断の1か月後に自ら仕事を辞めました。

 (下坂厚さん)
 「ずっとサラリーマンで生きてきて、そうじゃなくなった時に急に社会から取り残されたような、すごく不安になった。じゃあいっそのこと自分が死んだらその保険金で住宅ローンがチャラになるのかなとかね、そんなことも考えたりとか。死んだほうがマシかなとか、そういう時期もありましたね」
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 (妻・佳子さん)
 「生活の事とかも大変ですけど、まずやっぱり認知症というと『忘れてしまう』というのがあるし。『私のこともきっといつかわからなくなるんや』っていうのがまず悲しくて。(病名を知った)晩から泣いていたんじゃないかなと思いますけどね」
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 働き盛りの世代は仕事に支障が出るケースが多く、2020年の「東京都健康長寿医療センター」などの調査では、若年性認知症患者の約58%が自己退職、約8%が解雇されています。

どん底の状態から救ってくれた“高齢者施設での仕事”

 経済的にも精神的にもどん底の状態から下坂さんを救い出したのは、高齢者施設でのケアワーカーの仕事です。行政の支援員があっせんしてくれました。
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 (おばあさん)「あんたがスターやろ?」
   (厚さん)「スターじゃない」
 (おばあさん)「どっから見てもスターに見えるんやけど」
   (厚さん)「また悪いこと言って」

 週に5日、ほかの職員とほとんど同じ業務をこなしています。
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   (厚さん)「お花みたいになってきたね。黄色入れたらやっぱり違うね」
 (おばあさん)「うん」

 お年寄りの笑顔にふれて「誰かに必要とされている」と感じることが、新たに前へと踏み出す力になりました。
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 下坂さんは認知症であることを公表。趣味のカメラで撮りためた日常の写真をSNSで公開するようになりました。
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 こんな活動も始めました。65歳未満で発症した若年性認知症の患者は全国に3万5000人以上いますが、患者同士のつながりはほとんどありません。下坂さんの発案で、当事者と支援者が月に1回、ただお喋りをする場ができました。

『心はずっと無くならない』…記憶の代わりに撮りためた写真

 先日、下坂さんの思いが実を結びました。記憶の代わりに撮りためていた写真とメッセージが「京都市京セラ美術館」で展示されたのです。
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 (来場者)
 「記憶がなくなっても写真を撮ることで自分の記憶がとどめられているっていう。心が温かくなったというかね」
 「感情が失われるわけじゃないんだなというのがすごくわかって。あとやっぱり、ひたすらに美しいなと」
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 (下坂厚さん)
 「昔は風景ばっかりだったんですけど、いまは人を撮る写真が多くなってきて。そこには自分の中で『いつまでも人としてありたい』というか。人が楽しんでいる風景とかを撮りながら、自分もそうありたい。楽しんでいる方にもその瞬間を永遠に残してあげたい。祈りを込めたような写真作りですね」
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 【下坂厚さんからのメッセージ】
 「記憶が曖昧で1日を振り返ることは難しいけど、明日を思い描くことはできるから、楽しい明日を想像する。明日もいい日になりますように。大切なことは忘れない。心はずっと無くならない」
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 (佳子さん)「どういうことをしたらいいかとかわからへんから、ちょっとでも脳に刺激を与えた方がいいかなとか」
  (厚さん)「しばらく会わないと忘れるしね、顔」
 (佳子さん)「こないだ言ってたやん。『上の子なんて名前やったっけ?』って」

 (妻・佳子さん)
 「明日急に何かが大きく変わるということはたぶんないと思うし、徐々にいろんなことが変わっていくかもしれないですけど、ゆっくりであれば2人で対応できるかなとも思うし、たぶん主人もそう思っているんじゃないかなと思います」

 愛する人も自分自身すらもわからなくなる。そんな“いつか”への恐れや不安を受け入れながら、下坂厚さんと佳子さんはかけがえのない『いま』を大切につないでいきます。