戦禍のウクライナを逃れて、4月6日に日本にやってきたウクライナ人の一家がいます。日本に身寄りのないこの一家は「ウクライナ避難民を日本に迎える会」に保護され、大阪のホテルに一時避難しています。来日から1か月が経ち、一家の暮らしはどうなっているのでしょうか。また、日本のゴールデンウィークは彼らの目にどう映ったのでしょうか。
ミナミの街で“初めての景色”に夢中
ウクライナから避難してきたナタリャ・オレイニクさん(49)一家。5月3日、ゴールデンウィークで賑わう大阪・ミナミの街を初めて訪れました。
初めて見た歌舞伎公演のポスターに興味津々のようです。
(ナタリャ・オレイニクさん)
「男性が役を演じていると思うんですが、このポスターの人は女性ですか?男性ですよね?ぜひ見に行きたいです、ぜひ見に行きたいです」
16歳の息子・マキシムさんと13歳の娘・ダリーナさんも、写真でしか見たことがなかった景色に夢中のようでした。
(息子・マキシムさん)
「ここに来ている人たちはお祭り気分ですね。それが気に入っています」
(ナタリャ・オレイニクさん)
「みんなゴールデンウィークを楽しんでいます。私も一緒にお祝いします。日本の子どもたちが幸せで楽しく、平和で健康に恵まれますように」
人の多さに目を丸くする一家。ここに至るまでは、壮絶な道のりでした。
車でオデーサから避難…面識ない老夫婦の家に宿泊も
今年2月24日、ロシアはウクライナに軍事侵攻を始めました。
その1週間後、ナタリャさんの運転する車で3人は南部の町・オデーサから避難を始めました。
戦禍の中、車中泊をしながら2日かけて隣国・モルドバへ。全く面識のない老夫婦の家に泊めてもらったこともありました。
雪が残る険しい山を越え、ルーマニアでの滞在を経て、4月6日に来日しました。
(ナタリャ・オレイニクさん 4月7日)
「血圧が210まで上がって大変でした。モルドバとの国境で2日間とめられ、援助もなく、空腹が続きました。私はただの避難者として日本で過ごしたくありません。なにか役に立てるようにしたいです」
一家で日本語学習…母国でよく読まれる「大きなかぶ」を日本語で音読
生活の拠点は大阪・日本橋のホテルの部屋で、一家を支援する「ウクライナ避難民を日本に迎える会」が一時避難先として提供しています。
(娘・ダリーナさん)
「(Qよく眠れていますか?)とてもよく眠れています」
(息子・マキシムさん)
「非常によく眠れています。とても快適です」
生活再建のため取り組んでいるのが、日本語の勉強です。日本語学校で毎日4時間の授業を受け、ホテルに戻っても勉強しています。
この日は3人が日本語で物語を音読していました。それは、童話の「大きなかぶ」。実はロシア発祥の物語で、ウクライナでもよく読まれているのだそうです。
(「大きなかぶ」を音読するナタリャ・オレイニクさん一家)
「うんとこしょ、どっこいしょ。けれどもかぶはぬけません」
(息子・マキシムさん)
「これはロシアとウクライナの童話です」
(ナタリャ・オレイニクさん)
「ロシアとウクライナの童話としてはこれが唯一、日本の低学年向け教材に取り上げられています」
避難生活の長期化に備えて、早く日本に馴染めるよう努力をしたいといいます。
(ナタリャ・オレイニクさん)
「まずは日本語を習って、皆さんと自由に会話をしたいです。そして古い神社や仏閣でお祈りをして、歴史を知って、温泉に行きたいです」
神社に参拝「戦争前の生活に戻ってほしい」
こうしてむかえたゴールデンウィーク。学校の休みを利用して、ナタリャさんが参拝したかったという神社へ。大阪の豊國神社に参拝しました。
(娘・ダリーナさん)
「(Q手を合わせて何を願った?)早く戦争が終わって、戦争前の生活に戻ってほしいと祈りました」
ナタリャさんが行きたかった温泉は、施設の足湯で体験しました。
(足湯に浸かるナタリャさん)
「わあ、すばらしい。幸せ、とてもすばらしい。(Q天然温泉ですよ?)ハンガリーのブタペストにもあります。とっても美しいです」
そして、3人は大阪城へ。ゴールデンウィークとあって入口には長蛇の列ができていました。
天守閣からの眺めは素晴らしいものでした。
(景色を眺めるナタリャさん)
「ベリーグッド」
(景色を眺めるダリーナさん)
「とてもいいです」
日本の「戦」の話を聞く一家…母「この時代から今までほとんど何も変わっていない」
城内の展示スペースでも、映像を食い入るように見学。なかでも目に留まったのが、武器をもって対峙する兵たちの人形です。「大坂夏の陣」の激戦を約300体のミニチュアで再現しています。
説明を受けたナタリャさんは、母国での戦争を思い出さずにはいられませんでした。
(ナタリャ・オレイニクさん)
「(Q日本の古い戦の話を聞いてどう思った?)この時代から今まで、ほとんど何も変わっていません。武器だけは変わりました。いまは非常に強力な武器があって、遠く離れたところを破壊することができます。そういう攻撃は止めなければなりません」
一方で、2人の子どもは…。
(息子・マキシムさん)
「(Qウクライナで戦争にあたっている男性がいるが?)彼らは非常に勇敢で、祖国を守っています。(Q自分がもし18歳なら?)登録をして、18歳になったら兵役につきます。自分が生まれた国を守りたいからです」
(娘・ダリーナさん)
「(Q軍隊に入りたい?)私も役に立ちたいです。具体的にはまだ決まっていませんが」
母国を守りたい思いと、戦争をやめてほしいという願い。家族の中でも受け止め方はそれぞれです。
日本の平和な光景を喜びつつ“母国に残る家族”の無事を祈らずにはいられない
戦争から逃れてやってきた日本では、ゴールデンウィークの平和な光景が広がっていました。
(ナタリャ・オレイニクさん)
「日本でゴールデンウィークと呼ばれているのを知っています。この連休中には、いろんな場所が人々に開放されています。人々は旅行を計画したり、近場の街に行こうとしています。この休暇に人々と同じ時間を過ごすことができてうれしいです」
一方で、故郷のオデーサでは激しい爆撃が続いています。そこには、ナタリャさんの母親・ヴェーラさんが残っています。避難を促しても頑なに拒むのだそうです。
(ナタリャ・オレイニクさん)
「非常に心配しています。よく涙が出てきます。母を避難させなければならないと思っていますが、オデーサを出ようとしません。知人が金銭的な援助をすると言っても、母は『出ていきたくない』と言うんです」
来日から5月6日でちょうど1か月。賑わう街に平和を感じながらも、ふるさとの無事を祈らずにはいられない、複雑な感情でした。