JR福知山線の脱線事故から今年4月25日で17年です。当時、重傷を負った1人の女性に話を伺いました。

意識が戻ったのは事故から5か月後…現在は家族と静かに暮らす

 2005年4月25日、兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車がカーブを曲がり切れず脱線。線路脇のマンションに衝突し、乗客ら107人が死亡、562人が負傷しました。新型コロナの影響で2020年・2021年は開催されなかった追悼慰霊式が3年ぶりに行われ、遺族やJR西日本の関係者ら約250人が参列しました。

 一方、脱線事故が起きた4月25日をいつも通りに過ごした女性がいます。鈴木順子さん(47)です。2両目に乗っていて事故に遭いました。

 (鈴木順子さん)
 「(Q事故から17年ですが?)そんなに?そんなに経ったんですか。あっという間ですね」
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 事故当時、順子さんは30歳。救出された時は呼吸が弱くなっていて、大阪の病院に搬送されましたが、医師は「覚悟を決めておいてほしい」と家族に告げます。
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 意識が戻ったのは5か月後。その時、発した言葉は「お母さん」の一言でした。

 (母・もも子さん 2005年9月)
 「順ちゃん、笑って、笑って」
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 それでも会話を交わしたり、身体を動かしたりすることは難しく、長いリハビリ生活が続きました。
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 退院したのは事故から11か月後。現在は家族と静かに暮らしています。

 (ヘルパー)「スクワットいきますよ」
 (順子さん)「えー!過酷!スクワットなんて普段したことないから」

 冗談交じりの愚痴を言いながら、週に3回のリハビリを欠かしません。

『後ろ向きな自分が嫌だから』…記憶障害と向き合いながら前向きに生きる

 順子さんが今一番好きな時間は陶芸です。器用な手先を活かし、丁寧にゆっくりと仕上げていきます。たくさんの作品が完成しました。

 (鈴木順子さん)
 「自分のやりたいことをやっている感覚。没頭できるっていうのかな」

 自宅のガレージを改装し、近所の人たちも集まって陶芸を続けています。
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 事故の衝撃で「高次脳機能障害」という記憶障害と向き合いながら、現実を受け入れてきました。

 (鈴木順子さん)
 「認めたくないんですよね。自分が事故にあったという事実を認めたくないんです。受け入れないとしかたないですね」
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 母親のもも子さんは、少しずつ回復していく順子さんをうれしく思う一方で、複雑な気持ちを抱くようになったといいます。
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 (母・もも子さん)
 「これからも(回復して)伸びていく可能性があるから。そんなことを今考えると、遺族の人の気持ちは(事故時点で)ストップしている。それよりも(悲しみが)もっと深くなっていると思うと、助かったことが反対に申し訳ないというのがずっとあったんですけど、生きていてよかったのかなという。そういう思いがこのごろ強くなりましたね」
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 負傷者の1人として、しっかりと生き続ける覚悟をしています。

 (鈴木順子さん)
 「(Q順子さんは前向きですね)私が前向きなのは、後ろ向きな自分が嫌だからです。そういう気持ちになる弱い自分がすごく嫌なので、無理やり前向きに」