3月27日から、アメリカ・サンフランシスコから兵庫・西宮に向けて「単独無寄港の太平洋横断」に挑戦している堀江謙一さん(83)。83歳で成功すれば前人未踏の記録です。今回、毎日放送の大吉洋平アナウンサーが唯一の通信手段である衛星電話を使って、大海原にいる堀江謙一さんにここまでの航海について話を伺いました。

83歳で「単独無寄港の太平洋横断」に挑戦

 【堀江謙一さんの航海日誌より】
 「4月6日(快晴)。サンフランシスコを出発して11日。ぼちぼちシャワーをしたい。バケツで海水を汲んで頭からかぶるだけだ」
 「4月14日(快晴)。ダイヤモンドヘッドまで103マイル(190km)に近づきました。ラジオからハワイの日本語放送が流れています」
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 ヨットで太平洋の単独無寄港横断に挑戦している堀江謙一さん(83)。成功すれば前人未到の記録です。3月27日にサンフランシスコを出航。日本を目指し8500kmの航海をしています。
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 出航から3週間たった4月16日の午前。予定より1週間早くハワイ・オアフ島沖を通過しました。
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 出航前の去年12月。大吉洋平アナウンサーは堀江謙一さんに意気込みを聞いていました。

 (大吉アナ)「今回、この挑戦の決断に至った理由はなんですか?」
 (謙一さん)「決断というよりは、僕は生涯チャレンジャーとして行きたいと思っているんですよ。できれば100歳までやりたいと」
 (大吉アナ)「嵐が発生したり、例えばクジラが近くを通ったり、いろんなことがあるんじゃないですか?」
 (謙一さん)「それはそれで楽しんだらいいんじゃないですか」

50年来の友人が毎朝“衛星電話で安否確認”

 謙一さんの挑戦を京都からサポートする堀江治夫さん。謙一さんとは50年来の仲で、毎朝9時に必ず衛星電話で安否確認をして、航海に必要な気象の情報などを謙一さんに伝えています。
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 【治夫さんと謙一さんの電話でのやりとり】
 (治夫さん)「おはようございます」
 (謙一さん)「おはようございます」
 (治夫さん)「天気はどうですか?」
 (謙一さん)「天気は晴れです」
 (治夫さん)「それでは天気予報を言います。19日は東よりの風。最大27ノット前後。波は平均2.8m」
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 電話を代わってもらいました。4か月ぶりの再会です。

 (大吉アナ)「堀江さん、ご無沙汰です。アナウンサーの大吉です」
 (謙一さん)「大吉さん、おはようございます」
 (大吉アナ)「いま堀江さん、どんな景色が見えていますか?」
 (謙一さん)「太陽がサンサンと輝いて、いいが風が吹いて。ヨットは順調に日本に向かって全速力で進んでいます」
 (大吉アナ)「堀江さん、いまは大海原のど真ん中にいらっしゃるんですよね?」
 (謙一さん)「そうですね。360度水平線の真っただ中です。鳥が飛んでいてね、よく揺れるヨットでも鳥は頼りにして休みに来てくれているけど、朝起きるとフンをいっぱいしているのでそれが困る」
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 堀江謙一さんが最初に太平洋を横断したのは1962年、23歳の時です。
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 この成功を皮切りに2度の世界一周など、偉業を成し遂げました。
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 60年前と逆のコースで挑む太平洋横断。治夫さんは毎日、現在地に印をつけています。

 (治夫さん)「きのうから南風に後ろから追われて北の方に行っているんですけど。そんなに心配することはないです」
 (大吉アナ)「『きょうも順調に進んでいるな』と思いながら印をつけている時はどんなお気持ちなんですか?」
 (治夫さん)「早く帰ってきて、という」

「キツイ。じっと耐えるのみ」…出航早々に“嵐の洗礼”

 ホームページで公開されている航海日誌は、衛星電話で謙一さんから聞き取った内容を治夫さんが書いています。

 【堀江謙一さんの航海日誌より】
 「3月27日(曇り時々雨)。出航早々嵐の洗礼を受けています。キツイ。じっと耐えるのみです」

 実は、出航からわずか15時間で嵐に見舞われていました。何が起きていたのでしょう。
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 位置情報システムを提供して謙一さんを支える、西宮市の「古野電気」で話を聞きました。データをもとにヨットの進路や速度など詳しい情報が60分おきに更新されています。
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 (古野電気 高木さん)「この辺で順調に進んでおられたんですけど、いったんここで回転されているんですね。この時に『嵐に遭遇した』と聞きました」
      (大吉アナ)「この時はスピードもかなり落ちて?」
 (古野電気 高木さん)「ほぼとまっている状態ですね。0.4ノットですので」
      (大吉アナ)「これだけ細かいデータがリアルタイムで出てくると、気持ちだけは一緒に航海しているような感覚になりますよね」
 (古野電気 高木さん)「そうですね」
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 大吉洋平アナウンサーが4か月前に乗せてもらった謙一さんのヨットは、全長6mほどの小さなものでした。
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 船内のあらゆる隙間に食料などをぎっしり詰め込み、嵐の時もここでひとりぼっちの旅を続けていることなのでしょう。
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 4月16日のハワイ沖。網で回収されているのはヨットに乗せていた小型カメラ。そこに映っていたのは波で左右に大きく揺れるヨット。冒険を記録した貴重な映像です。

60年前の航海と違うことは“一人ぼっち”ではないこと

 【堀江謙一さんの航海日誌より】
 「4月5日(曇り時々晴)。波は2mほど、穏やかです。夜になるとたくさんの星、三日月も出ています。満天の星です。綺麗です」
 「4月12日(快晴)。昨日の夕食はカレーライスでした。ノンアルコールビールも2本目。いい気分になり、ついウトウト。波が小さくなった間の楽園でした」
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 4月20日、衛星電話を通じて大吉アナウンサーが堀江謙一さんに話を聞きました。
 
 (大吉アナ)「船酔いすることはないんですか?」
 (謙一さん)「最初の1週間でそれは終わっていましたね。だんだんとヨットに慣れてきまして、食欲も出てきまして。いままで2食だったのを、そろそろ3食に切り替えようかなと思っています」
 (大吉アナ)「体はどのようにして清潔に保っているんですか?」
 (謙一さん)「清潔なことは全然ないと思います。海水で体を洗うことはできますので、ちょっと海が静かになればデッキに出て海水でシャンプーしたいなと思っていますが」
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 そして、航海日誌にはこんな内容も書かれていました。

 【堀江謙一さんの航海日誌より】
 「4月8日(曇り)。60年前の航海では『一人ぼっち』の状態でした。今は違います。衛星電話で家族と毎日連絡がとれます。アマチュア無線でたくさんの応援をいただけます。今日はプロ野球の話題と、ウクライナの話をしました。雑談が重要で、誰とも話さないイライラが解消できる瞬間です」

 60年前は通信手段を全く持たず、謙一さんは太陽や星の角度などを測ってヨットを進めていたそうです。時代が進み、いまは「一人ぼっち」ではありません。
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 (堀江治夫さん)
 「彼自身のなかでね、『チーム堀江』のようなものをつくるんですよ。『みんなできるところは助けてね』と堂々といいます、彼はね。我々も『そこのところは一緒になってやろうか』というふうにね。みんな堀江謙一さんが好きなんやと」
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 謙一さんはまもなく日付変更線を通過。兵庫県の西宮に6月上旬の到着を目指し、大海原を進んでいます。

 (謙一さん)「年齢は83歳とはいえ、僕自身は青春のつもりですので」
 (大吉アナ)「無事、西宮にたどり着いた時に真っ先にしたいことは?」
 (謙一さん)「上陸して、真っ先にシャワーしたいと思っています。(西宮の)ヨットハーバーにも立派なシャワーの設備がありますので。いまから想像するだけでも、楽しいようなワクワクするような気持ちになります」