ウクライナへのロシアの軍事侵攻が始まってから1か月が過ぎました。そんな中、日本国内に身寄りがある288人のウクライナ人を日本では避難民として受け入れています(3月27日時点)。民間の不動産会社から空き部屋の無償提供を受けて、大阪へ避難して生活を始めたウクライナ人家族の暮らしを取材しました。
3月中旬に日本へ避難し生活を開始
ウクライナ・キエフ近郊のブロバリーから避難してきたティホノワ・ナタリアさん(59)と次女のアンナさん(20)。3月16日に大阪に到着して日本での生活を始めました。1DKの部屋に親子2人で住んでいます。ナタリアさんの長女が以前から家族で大阪に住んでいて、今回、日本への避難を決めたといいます。
(ティホノワ・ナタリアさん)
「戦争が始まる前から、家族のいる日本への避難を考えていました。しかし、仕事などもあって、すぐには来ることはできませんでした」
(次女 アンナさん)
「日本に来ることに不安はなかったけれど、容易なことではありませんでした。途中で爆発とかもあり不安でした。電車でドイツに行き、フランス経由で日本に来ました」
不動産賃貸大手「アパマン」が部屋を無償提供 光熱費や家賃も負担
滞在する部屋は不動産賃貸大手のアパマンがウクライナからの避難民に無償で提供したもので、家賃や光熱費を会社側で全額負担。家具や家電も用意しています。
(次女 アンナさん)
「スーパーではセルフレジで英語が使えるので何となく買い物はできました」
現地に残る親戚や友人へ尽きない"心配"「いつまで大丈夫かわからない」
平穏が約束された日本での暮らしと、遠く離れた故郷で今なお続く「戦争」。避難生活の中で感じる不安や葛藤を聞きました。
(次女 アンナさん)
「ウクライナにいた頃は、住んでいた街に軍基地があって、爆発もありました。郊外の友人宅に逃げましたが、郊外にもロシア軍が来て、ガスや水が止まりました」
今も親戚や友人の多くがウクライナ国内にとどまり続けていて心配は尽きません。
(次女 アンナさん)
「すごく悲しいし心配です。毎朝、友人や親戚に『大丈夫?』と聞いています。幸い今は大丈夫だが、いつまで大丈夫かは分かりません」
(ティホノワ・ナタリアさん)
「ロシアやプーチン大統領に対しては、涙と血のイメージしか沸かなくなってしまいました」
奪われた平穏な暮らし。いつになれば故郷に戻ることができるのでしょうか。