1月19日に直木賞を受賞した滋賀県在住の歴史小説家・今村翔吾さん.。30代で執筆を始めた異色の素顔に迫りました。

直木賞を受賞した今村翔吾さん…会見場へは人力車で

1月19日、直木賞を受賞した歴史小説家・今村翔吾さん(37)。その日の夜、事前に準備していた人力車に乗って会見場へ向かいました。
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(直木賞を受賞した今村翔吾さん 1月19日)
「(Qなぜ会見場まで人力車で?)“直木賞は最大のお祭り”やと思っています。普段興味ない方にでも切り口はなんであれ知っていただけたら、僕の大好きな直木賞を知ってくれという思いが強いかもしれないです。(人力車に乗って)盛り上げたかった」

夜遅くまでのテレビ出演を終え、眠れたのはわずか1時間半ほどでした。
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そして20日。早朝に起こされ、午前6時からラジオに出演。さらに着物姿で広告の撮影などスケジュールに追われました。

『翔吾君も夢を諦めてるくせに』教え子の言葉に衝撃を受け…

直木賞を受賞した「塞王の楯」は、戦国時代の大津城を舞台に石垣職人集団の「穴太衆」を描いた物語。
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今村さんは、穴太衆の系譜を受け継ぐ滋賀の企業を取材して、主人公たちの言動に命を吹き込みました。

小説家デビューは遅く、20代の頃は父親が興したダンスチームのインストラクターとして子どもたちを指導していた今村さん。「いつかは小説家になる」と夢を語っていた時、ある教え子の言葉に衝撃を受けました。
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(今村翔吾さん 1月7日の放送より)
「『夢を諦めんなよ』みたいなことを僕が言ったんやと思うんですよね。ほんなら、向こうから返ってきたのが『翔吾君も夢を諦めてるくせに』って言われたので、それが一番衝撃的で…。『30歳になってからでも夢は叶うと俺の人生で証明する』って言ったんやわ」

「嘘を実(まこと)にできたなという気持ち」

デビューから約5年が経ちました。そして2022年1月19日、今村さんに直木賞の受賞を知らせる電話が入りました。

(受賞連絡を受けた今村翔吾さん)
「直木賞を受賞しました」
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夢がまことになった瞬間。直木賞受賞の知らせに涙がこぼれ落ちました。

(受賞連絡を受けた今村翔吾さん)
「初めて小説を書いた日のことが思い出されて…。30歳になってからでも夢は叶うってことを残りの人生で証明すると子どもたちに言って作家を目指したから、ようやくその嘘を実(まこと)にできたなっていう気持ち。あーよかった。なんか安心したかな」

「この数年は身を削って頑張った」

直木賞を受賞した翌日の1月20日、今村翔吾さんにMBSテレビ「よんチャンTV」で話を聞きました。

―――教え子の子どもたちからは、直木賞受賞後に連絡などはありますか?
「今回の受賞のことについては、LINEが550件くらい来ていたので、まだ何が何だかわかっていません」

―――今村さんが作家として活躍された中で、子どもたちからはどんな言葉がありましたか?
「多くを語らないですけど、わかってくれているということは僕自身も思います。あんまり教え子と語ることもないんですけど、『やったね』とかっていう言葉はもらったことがあります」

―――受賞の連絡を受けた後に、「嘘を実(まこと)にした」と言っていましたが、どっかで「とはいえ、そんなことできるかな」っていう、不安だった部分、それが嘘だとしたら、それを努力で打ち消されたのか、メンタル的にどうやってそこへ持っていったんですか?
「たしかにおっしゃった通りで、僕自身も『そんな甘いことないよな』という思いも正直あったんです。ただ子どもたちが、僕が『小説家を目指す』って言った時にみんな詳しく知らないから『じゃあ直木賞頑張って。絶対賞を取ってね』って言うから、それに対して『わかった、取るよ』って言ったことがスタートやと思うんです。だけど、あんまり格好悪い姿は見せらへんと思ったから、本当にこの数年というのは人に胸張って堂々と言えるほど頑張ったなと、身を削って頑張ったなと思います」

―――番組で直木賞が決まった瞬間の映像を見ている今村さんの姿が、また目頭が熱くなっているようにも見えたのですが、どんな思いで映像を見ていましたか?
「直木賞の受賞を受けた時も、『本当にこんなことあるんやな』って、泣くつもりもなかったのに子どもたちに教えている時の光景がブワーっとよみがえって、子どもたちの視線みたいなものを感じたんですよね。そうしたら泣いちゃいましたね。今でも思い出したら泣けてきます」

―――ダンスのインストラクターから小説家に転身されてすごい人生だなと思うんですが、今村さんが尊敬する、参考にした作家さんはいますか?
「やっぱり僕は池波正太郎先生なんです。池波正太郎先生は37歳で直木賞を取られたのですが、僕も37歳で、今回取るしかなかったんで、なんとか間に合ったかなという感じです」

―――直木賞を受賞した日、人力車で会見場へ向かったということですが、人力車の発注はどのタイミングでされたのですか?
「あれは事前に発注していました。実はあれ、今回が初めてではなくて、前回落選した時も発注して空振っているんですよ。前回の時は、人力車の方が『いつか今村先生を帝国ホテルに連れていきます』言ってくださったので、これは逆に断れへんなと思って今回もしっかり発注しました」

今村さんの次の夢「全国の書店さんを応援して回りたい」

―――「直木賞受賞」というひとつの夢を叶えられましたが、さらにこの先、何か新たな目標や夢はありますか?
「僕は本に救われて夢を見させてもらっていると思うので、今度は47都道府県を全部自費で3か月くらいかけて全国の書店さんを応援して回りたいと思っています。車の中で執筆できるようにして、できる限り小さい書店さんから。あとは子どもたちと関わってきたので、小学校で子どもたちに講演とか、もしも呼んでいただけるのであればボランティアで、今は(新型コロナウイルスの感染が広がっている)こういう状況なので、少し落ち着いた時期を見計らって、今年のどこかでスタートさせたいと思っています」