10月31日に行われた衆議院選挙で、大阪10区から立候補し落選した立憲民主党の前衆院議員の辻元清美さん。選挙から1か月が経ち、党の大阪府連の代表なども辞任しました。そんな辻元さんに11月30日、選挙後の生活や、立憲民主党の新代表になった泉健太衆院議員について、また今後の国政復帰などに向けての話を聞きました。

衆院選後は「しばらく燃え尽き症候群に」「安倍氏と対峙するのはしんどかった」

―――10月31日の衆議院選挙の投開票日から約1か月が経ちました。辻元さんはこの1か月はどのように過ごしていらっしゃいましたか?
25年間にわたり議員活動をしてきて急ブレーキですので、色々お世話になった人とか、選挙で投票してくださった方々もそうですけど、ご挨拶したりしていました。あとは今まで親孝行が全然できなていなくて、母が足の人工関節の手術を受けるというのもありまして、今までできなかったことをしようと思って、時間ができたので親孝行もさせてもらっています。

―――国会では元首相の安倍晋三氏と対峙をしたり、大阪では維新とやり合うという何年間かだったと思うんですけれども、今のお気持ちとしてはどうですか?
しんどかったよね。国会ってやはり元首相の安倍氏とか前首相の菅義偉氏、それから岸田文雄首相で、私は国会対策委員長という国会運営の責任者でしたから。また予算委員会に所属していましたし、大阪に帰ってきたら大阪都構想の住民投票とかも橋下さん時代に2回ありましたしね。なんて私は男に悪いんだろうという感じでワイワイやっていました。ちょっとほっとしたというか、しばらくは燃え尽き症候群みたいになっていました。だけど、そうも言ってられませんので。立憲民主党も新しい泉さんという若い方が党の代表になったし。選挙区も隣だし、私は泉さんから『清美さん清美さん』と言われていて、姉ちゃんと弟みたいな感じでした。やはり若い人を支えていかないといけない。なんか若い人を支えていかなあかんと言ったら、もうなんか終わった人みたいで嫌ですけど。
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―――11月30日に行われた党の代表選挙はどんな気持ちで見ていらっしゃったんですか?
私は、まずこの4人が協力し合って党運営をしてほしいなと思いながら見ていたんですよね。かつての民主党と言ったら、小沢一郎さんとか菅直人さんの凄まじい権力争いの代表戦とかがあったので、それから見たら味は薄味かなっていう感じはするんですけれど。でも今ってどちらかというとあまりギラギラするよりも、もっと身近な感じの方が親しみやすいと思うから、そういう意味では誰がなっても応援せなあかんなと。しかし『私はおれへんなぁ』みたいな感じで、ちょっと寂しい思いをしながら見ていました。

―――ご自身も衆院選に通っていたらこの代表選には出ていらっしゃいましたよね?
それはわかりませんね、もう、はい。もうそれは聞かんといて。よく聞かれますけどね。女性が誰も代表戦に出てなかったら、私はもう立憲民主党は終わると思っていたんです。やっぱり自民党だってね、お2人が総裁選に出られて、あれで多くの女性が総理を目指すというので勇気づけられたと思うんですよ。やっぱり野党第一党の代表戦もですね、女性が西村さん立候補されたのですごく嬉しかったです。

『姉弟のような関係』の泉新代表「明るい人」「批判を受けてもぐらっとならないように」

―――新代表になった泉さんは辻元さんから見てどんな方ですか?
明るいんですよ、根明ですね。泉さんは発言の中で、『未来を明るくしたい』っておっしゃったので、うってつけだと思うんです。あと周りを支える人たちですね、幹事長とか、そこはがっちり支えていくことが大事で、1つ注文をつけるとすれば、粘り腰をもうちょっとつけてほしいという感じはあるんです。私が立憲民主党の国対委員長をやっている時に、泉さんは当時希望の党の国対委員長だったんですよね。そしたら自民党と対峙するじゃないですか。どうしても国会を止めなきゃいけないとなった時に、『野党は何やって』批判されたらグラグラっとなってしまうから、そこは胆力を持って。批判もね、褒めてもらうことばっかりちゃうんですよ。やっぱりリーダーになるっていうことは、批判を受けて立つということだから、そこで批判を受けてもぐらっとならないように。私なんか『あんなもんでぐらっとしでどうすんねん』ってお尻を蹴っていましたからね。
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―――泉さんは年齢が47歳で、当選は8回ですけども、年齢は非常にお若いじゃないですか。立憲民主党の中で、『よし泉さんについていこう』という空気はあるのでしょうか?
若手の地方議員はわりと泉さんを支えてはったんですよ。立憲の反省点はボトムアップって言ってきたんだけれども、どうしても国会中心になっていたから、そこはすごく大きな反省点なんです。泉さんが地方議員の若手の声をどんどん吸い上げるとか。泉さんは割とフットワークが軽いんです。だからいろんな現場にどんどん入っていくっていうのがいいんじゃないかなと思うんですよね。

泉新代表を「私は期待したい」「党内は支えようという空気になると思う」

―――泉さんを支える周辺のキーパーソンは辻元さんからみたら誰になるんですか?
それはね、やはりベテランの人もそれなりに、自民党でも二階俊博さんとか麻生太郎さんというベテランをうまく配置しながらやっていました、岸田首相は少し気を遣いすぎだと思いますけど。だから泉さんは伸び伸びやっていただきながら、要所要所はやはりキャリアのある人にも入ってほしい。私は選対委員長と国対委員長が要になるんじゃないかなと思っています。

―――今回の選挙戦を通じて旧立憲民主党と旧国民民主党の壁をいまだに感じるというのを聞きます。今回、泉さんは中道路線を訴えて、それが今回の勝利に繋がったんじゃないかというふうに言っていました。旧民主党の時代から、何かあったときに遠心力が働いちゃうという癖がありましたけども、泉新代表になって、遠心力より求心力、これに変えることができるか、というのは率直にどう見ていますか?
私はできると思うんですね。いろんな経験もしてきましたしね。お話しされているのは立憲とか民主党批判の定番なんですよね。まだそんなん言うてたらあかんよ。私らも変わってきていますから。ですから私はむしろみんなで支えようっていう空気になると思うし、泉さんってちょうど中間的な立場なんですね。立憲の時も立憲においでよって、選挙区が隣で誘ったりして、迷っていたんですよ。ですからそういう意味では考え方や理念も中間的、立憲と国民の中間的な感じだから、私は期待したいと思っているんです。

党役員の半数を女性には「絶対やってほしい」

―――泉さんは党役員の半数を女性にすると言っているようです。それに関してはどう思われますか?
それは絶対にやってほしいと思います。それをやらなかったら、最初のがっかりになちゃうから。それはやられると思いますよ。
―――ご本人にはそのあたり直接言ったりもされるんですか?
さっきメールしたんですけれども、おめでとうって言ったら、私のことは辻元さんって言わなくて『清美さん清美さん』って言っているので、「清美さんありがとう」と返信がきました。これは絶対やらなあかんって私の方からもぜひ伝えたいと思っています。

―――女性議員の母数が少ないっていうのはありますよね。そこはどうクリアしていきますか?
母数は少ないけれども、役員というのは限られた人数ですから、そこはやっぱり半々にされた方がいい。能力がある女性はいてるんですよ。しかし、能力があるけれどもどうしてもポストにつけてもらえない、つけたらやれる。私が国対委員長をやったときも『女に国対委員長なんかなんでできんねん』みたいなことを散々言われたんですね。しかし、やっぱり女性がつくことによって、その国会運営のあり方とか変えていこうとかいろいろ工夫をしました。だからぜひそこは第一関門よね。その次は参議院選挙の候補者を男女同数にできるかとか、これが第2関門だと思います。

自分たちの主張を『薄める』か『しすぎる』か…そのさじ加減は「永遠の悩み」

―――立憲民主党はどうしても『支持者に向いてしまってる』『内向きの目線になっている』というようなことがどうしても感じ取れてしまいます。もう少し中間層や無党派層に向かないと難しいのでは?
それはこれからの課題やと思うんですね。でも選挙って不思議なもので、立憲民主党ができた4年前はものすごく風が吹いたんですよ立憲に。今度は維新に吹いたりして。ですから選挙の結果を受けて政党も次に向けて変身していかなくちゃいけないんだけど。ばっと風が吹いたらいってまうから。立憲ができたときは無党派層を掴みましたねとか言われて。だからそれをもう一度、泉さんがちょっと下火になったところをつかみ取れるかと。多くの人に支持してほしいと思いながら自分たちの主張を薄めていくと、それはそれでまた支持が減っちゃうし、自分たちの主張をしすぎると、コアな支持層しかいないという、そのさじ加減と言うんでしょうか、そこはすごく難しいところです。永遠の悩みです。

今後については「まだ考える余裕がない」「白紙から考えていきたい」

―――辻元さんは今後、来年の参院選や次期衆院選、また自治体の長などに挑戦する予定はあるのでしょうか?
まだそんなん考える余裕がないです。1回ちょっと立ち止まらないと前に進めないですよね。私は落選という審判をいただいたので、もう少し自分のことを政治の場でいた役割とか、それから今後、ニュー辻元に変われるか試されているんだと思うんですよ。だから今は1回その毒を出すデトックスをして、白紙からどうしたいかというのを考えていきたいなと。

衆院選大敗の原因は「永田町という文化に染まっていた」

―――毒出しとおっしゃったが、立憲民主党は選挙で大敗して、毒の部分というのは自分にとっては何が毒だと思われたと感じている?
永田町の国対とかもやっていたし、そういう文化みたいなものに染まっていたんじゃないかなと。私はNPOでピースボートとかやって現場から走り回ってやっていた、それに戻らないといけないと思う。それからポストコロナの時代の新しい社会の形というものを、これをリニューアルしていかないと、立ち遅れていく。そういうものを一回自分なりに探っていきたいと思っているんですね。そんなんすぐに、はい次とは決められない。