いざという時に安心を与えてくれる生命保険。だが今は、生命保険会社にとって超高齢化社会への対応が急務となっている。また、持続可能な成長を目指してグローバル化も重要な要素の1つだ。そこで、2021年に明治安田生命保険の社長に就任した永島英器社長に、営業職員の制度を変革し名称を「MYリンクコーディネーター=絆をつむぐ人」に変え「個と個や個と地域の絆をつむぐ役割を営業職員に果たしてもらいたい」とした狙いや、保険会社の未来、次に打つ戦略、さらに38年ぶりに日本一に輝いた阪神タイガースへの熱い思いなどについても聞いた。

虎党になって50年以上 執務室にはタイガースグッズを並べた「神棚」

―――熱狂的なタイガースファンだそうですね?
 「猛虎会」ってあるじゃないですか、タイガースの応援団の。東京大学には伝統的に「帝虎会」というのがありまして、所属していました。1985年の日本一の時は「帝虎会」のメンバーとしてタイガースの優勝までをずっと追いかけて、神宮球場でセ・リーグ制覇をした時も西武球場で日本一になった時も球場で見ました。毎日仕事をしている執務室には、私が「神棚」と呼んでいるタイガースグッズを並べた棚があります。去年は本当に素晴らしい1年でした。日本一になって感慨ひとしおです。

―――生まれも育ちも東京なのになぜタイガースファンに?
 「判官びいき」のようなところがあって、当時はジャイアンツが圧倒的に強い時だったので、村山投手とか江夏投手、田淵選手、藤田選手が強い巨人に挑む姿にロマンを感じて虎党になりました。もう50年以上続いています。

―――新入社員の頃の思い出は?
 昭和だったので、何か私の思い出というと社員旅行とかスポーツ大会とか、そういう昭和の会社の古き良き思い出ですかね。コロナ禍もあったので人とのつながりはとても大事だと思っています。スポーツ大会は今でもあるんですよ。弊社はボート部が強くて世界的な選手もいるので、レガッタ大会を社内でやっています。ボート部の人が世話をしてくれて、社員がチームを組んでレガッタ大会を楽しんでいます。若い時は私も漕いでいました。

「いつ死んでもおかしくない」と感じたロサンゼルス駐在員時代

―――一番の大きな転機はいつですか?
 20代の後半5年間、米国ロサンゼルスに駐在していました。当時のロサンゼルスは治安が悪くて、銃声が聞こえたり大きな暴動があったり、地震があって私が毎日車を運転していたサンタモニカフリーウェイが落っこちたり、色々なことがあって「いつ死んでもおかしくないな」とか思っていました。でも「大好きなロサンゼルスで死ねたら幸せだな」と思うと同時に、駐在員は電話1本でいつ東京に戻れと言われるかわからないので、「きょう1日を一生と思って一生懸命生きよう」と思うようになりまして、「一日一生」が座右の銘になりました。その原点はロサンゼルスにありますね。

―――大変な時期の赴任だったんですね。
 ダウンタウンにオフィスがありまして、私はサンタモニカに住んでいたので、夕方にサンタモニカフリーウェイをお気に入りのFMを聞きながら車を走らせると、真っ赤な大きな夕日が沈んでいくんですよ。それを見ながらなんだか涙が出てきましてね。「この美しい夕日をあと何度見られるかな」なんて。20代の後半に東京にいたら、昨日と同じ明日があるって普通に思っていたかもしれない。でも、ロサンゼルスで生活することで「きょうという1日を本当にかけがえのないものに」という思いがすごく強くなりました。

私服・スニーカー姿で受けた「社長」辞令

―――「社長を任せる」と言われた時のことは覚えていますか?
 私服でスニーカーを履いて出社して良い日だったので、ラフな恰好で当時の鈴木会長と根
岸社長から呼び出されて会いにいきました。そこで内示がありまして、最初に思ったのは「スーツを着て会社に来ればよかった」と。聞いた時にはただびっくりで、責任の重さを本当に感じましたけど、「会長、社長、あるいは社外取締役の総意だから」という話がありましたので、「もうこれは腹をくくってお受けするしかない」と思って「誠心誠意やらせていただきます」と挨拶をさせていただきました。

―――社長になって見える風景は変わりましたか?
 風景ではないですけど、私が社長に就任すると社内外に発表された時に、最初に来たのは総務部だったんですよ。「何かな?」と思ったら、保険証券に社長の名前で署名が入るんですよね。その署名があるので「毛筆かサインペンで書いてください」って言われまして、「しまった」と思ったんです。私、字が汚いんですよ。「いや参ったな」と思いましたけど、同時に思ったのは、その1枚1枚の保険証券には色んな家族に対する思いだとか愛情だとかの思いがこもっていて、自分の署名が入る責任の重さを痛感しました。

営業職員には「絆をつむぐ人」であってもらいたい

―――今までで一番大きな決断は?
 2022年4月から営業職員の制度を変え、名称を「MYライフプランアドバイザー」とちょっと金融アドバイザー的なものから「MYリンクコーディネーター=絆をつむぐ人」に変えたんです。単なる金融・保険じゃなくて「個と個」とか「個と地域」との絆をつむぐ役割を営業職員が果たすんだと。弊社は140年以上の歴史がありますが、保険金、給付金という形で貨幣的な価値、経済的価値でお客さまに安心をお届けするだけでなく、社会的価値みたいな絆とか健康とかをお届けすることを使命としようという志で「MYリンクコーディネーター=絆をつむぐ人」に名称を変えました。

―――営業職員の処遇も手を加えられたとか?
 これまでは、今月の頑張った成果が来月の給料に反映する短期的な視点があったのですが、いまは年間固定にして、より安定的な処遇でお客さまに寄り添ってもらいたいという気持ちで処遇も含めて制度を変更しました。 うちの営業職員は定年75歳なんですが、75歳で引退する時に、実は後継者が娘さんだったりお孫さんだったりすることが非常に多いんですね。これは、大事なお客さまを娘に託す、孫に託すみたいな形でお客さまにとってきっと安心なんだと思います。私は、2世代3世代にまたがる長い絆、太い絆をたくさん目撃しています。ありがたいことだと思います。

―――営業所は仕事という枠に収まらない、そんな役割ですね。
 世の中は今、ジョブ型がちょっと流行じゃないですか。でも私はジョブ型にはしたくないなと決めていて、ジョブ型も良いところはありますが、ともすれば「いまだけ、金だけ、自分だけ」みたいなことになりかねないので。私はメンバーシップ型にこだわっているし、中長期的に長い目線で明治安田生命のパーパスやフィロソフィーを体現できる人にお客さまと向き合ってもらいたいという気持ちが非常に強いですね。

会社の強みは全国3万6000人の営業職員

―――生命保険といってもいろんな種類がありますよね?
 例えば、簡単小口でわかりやすい「ライト!シリーズ」であるとか、当社の主力商品「ベストスタイル 健康キャッシュバック」といった商品を中心に20種類以上の保険商品がございます。私は2000年の前後5年ほど商品開発の仕事をしていまして、現在の主力商品「ベストスタイル 健康キャッシュバック」の前身「ライフアカウントL.A.」という商品の開発担当者でもあったんです。当時、保険商品としては珍しいビジネスモデル特許も取りまして、私もその発明者の欄に名前を刻めることができたちょっと思い出深い商品です。

―――明治安田生命の強みは何でしょう?
 全国に約3万6000人の営業職員がおり、営業職員が築く共感とか絆とか、そういった人間力が弊社の最大の強みだと思っています。当社が「何者で、何を目指し、何を大切にしているのか」という会社のパーパス・フィロソフィーをお客さまや地域社会のみなさまにどうやってご理解いただくか。それによって選ばれ続けることが大事で、そのためには営業職員=MYリンクコーディネーターが、パーパス・フィロソフィーを体現する存在になって伝道師になって思いやありようを伝えていく。そういったことを通じてお客さまに選ばれ続けたいです。

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―――女性の従業員が多いと思いますが、女性活躍がさらに進む工夫は?
 弊社は営業職員を含めると女性が9割の会社なので、今その一人一人に寄り添うことは大事だと思います。例えば、社内結婚してともに働き続けている場合は、同じ場所で働くようにしていますし、あと他社の方と結婚された人が配偶者の転勤でどこかへ行くときには、そちらで働くように工夫しています。その時その時の環境や希望に応じた職場環境をできる限り実現したいと思います。

人情味ある「関西」が日本や世界をリードする役割になると思う

―――関西経済はどのようにみていますか?
 関西は本当に素晴らしい歴史と伝統や文化があって、世界を引きつける観光資源があって、同時にイノベーションの力もすごいじゃないですか。それが両立している経済圏は世界でも稀有な存在だと思っていて、私はこれから世界を引っ張るのは関西だと思っているんですね。関西の人は、例えば関東の人が道に迷っていると声を掛けてくださったりするじゃないですか。すごく人情味、人間味があるんですよね。そういった意味で、これからイノベーションもすごいんだけれども、人情味や人間味がある関西の力が、日本を、世界をリードしてほしいと心から思っております。

―――社長として歩んでいく先にどんな夢があるのでしょうか?
 やはりお客さま、地域社会、未来世代、働く仲間との4つの絆を大事にするという弊社のパーパス・フィロソフィーが大好きなので、お客さまや働く仲間が幸せでいることが何よりですし、地域社会が元気になってほしいという思いです。そのために自分が果たせることを一生懸命やりたい、それに尽きますね。これまでに全国277の祭りを支援していますが、地域を元気にしないと日本は元気にならないので、健康と地域社会が一番大事だと私たちは思っています。あとは絆ですね。祭りには絆があって笑顔と感謝が溢れて、本当に大事なものがたくさん詰まっていることを改めて実感しています。

―――最後に、永島社長が考える「リーダー」とは?    
 時代の大きな転換点の中で、会社の存在する意味を考え続けて、暗闇の中に北極星を見いだして物語を語り、つむぎ、自らがその一部になることによって共感を引き出してみんなで北極星を目指して歩んでいく。そんなリーダーを目指しています。


■明治安田生命保険 グループの基礎利益は4018億円、法人契約を含めた顧客の数は、1218万人。従業員数約5万3000人。1881年創業者・阿部泰蔵が日本初の生命保険会社「明治生命」開業。その前年に安田善次郎が「安田生命」の前身となる生命保険組織を創立。
2004年合併。

■永島英器 1963年東京生まれ、1986年東京大学法学部卒、当時の「明治生命」入社。人事部長、常務などを経て21年7月から現職。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。