巨大流通グループ『イオン』のプライベートブランド『トップバリュ』。商品の企画開発を行うイオントップバリュを率いるのは、土谷美津子社長だ。現在、イオンの副社長を兼ねる土谷社長は男女雇用機会均等法の一期生でもあり、入社後は女性としてさまざまな管理職を歴任。そのたびに結果を残し、社内での信頼を勝ち得てきた。ブランド開始から初めて売り上げ1兆円突破を目前にして、攻めの経営を続ける土谷社長に、成功の秘訣と突破力、そしてプライベートブランドの未来を聞いた。

大学ではシラスを煮てできた液の成分を研究

―――どんなお子さんでしたか?
 実家は本当に田舎にあって自然に囲まれて育ちました。山も近いし、海も近いし。特に海は大好きでしたね。だから、大学も水産関係がいいかなと思いまして、高知大学に進んで魚について勉強してみようと。大学では、“シラスを茹でてできる液の成分”を研究していました。毎朝、シラスを漁師さんのところに買いに行って三角フラスコで茹でるんです。そして、どれくらいの栄養や出汁が出て効能があるのか、というのが卒論のテーマでした。
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―――シラスを茹でた液の成分分析が卒論のテーマ?
 先生に中間発表をするんですけど、すごく言われたのは「お前の研究発表の仕方はがっかりだ」と。「なんでですか?」と聞くと、先生は「物事というのは、まず大枠を捉えて、そこから順々に落とし込んでいって、こういう結論になるというふうに説明するもんなんだ」「お前の説明は論理的ではないので誰にもわかない」と言われました。先生に何回も指導を受けたんですけど、その時の先生の教えは結局、仕事にも通じるんだなと。論理的に説明する、論理的に考える、データをきちんと使って説明する、というのを教わったのはすごくいい経験になりましたね。

「女性が本部長するなんて人材不足なんですか?」管理職に就くと他社から厳しい言葉を浴びる

―――卒業して当時の社名の『ジャスコ』に就職されたのはどうしてですか?
 当時はまだ理系の女性はなかなか簡単に就職できなくて。大学の先生が「ジャスコなら可能性があるぞ」と。だから私はジャスコ以外は受けていないんです。1年目は兵庫県の加西店でバス・トイレ・洗面などを担当しました。入社して3か月くらいの時にお客さまから「自宅を新築したので、トイレなどのコーディネートをお願いしたい」と言われまして。それから1か月したくらいにお客さまが来られて、「苦情かな…」と思いましたら、「コーディネートがすごく良かったからお礼を言いたい」と。商品を売ってお礼を言っていただける仕事なんて、そんないい仕事ないなって。

―――土谷さんがジャスコに入られたのは1986年ですね?
 ちょうど“男女雇用機会均等法”の初年度です。ジャスコはもともと女性が多かったのですが、それでもいろいろありましたね。当時、男性の職場と女性の職場というのはなんとなくはありましたしね。レジは女性だとか、食品売り場は男性だとか。資格試験も、ジャスコは受けてはダメだとかはありませんでしたし、女性の昇進はここまでとか一切なかったんですけど、なんとなく「女性がこれ以上、昇進するのは恥ずかしいことだ」みたいなのが店の風土としてありましたよね。店にもよると思うんですが。
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―――なんとなく、の雰囲気があったんですね?
 食品の商品部の本部長になった時、仕入れのところは圧倒的に男性社会でしたので、着任した時は相当ビックリされました。他社の人に言われたんですけど、「ジャスコって人材がいないんですか?」「女性が商品の本部長するなんて人材不足なんですか?」って。そう言われてビックリしました。そんな考え方をする人もいるんだなって。周囲の人たちも最初は遠目だったし、距離感を持って「お手並み拝見」という見方をされているのもわかっていました。

―――「女性には無理だと思った」と?
 でも、2~3か月経つと「最初はこんな考え方をするんだとか、新しい考え方がどんどん入ってきて戸惑ったんだけど、段々とそれもおもしろいんじゃないかと思い始めてきて。やってみたらおもしろいし成果も出た」などと言われました。「いままでにない考え方の人が来て、最初はすごく戸惑ったけど、絶対に無理だとも思った。けれども、一緒に仕事をしてみたらすごくおもしろかった」と言ってくれる人もいました。

東日本大震災時にはATM代わりに現金を持って避難所を回る

―――いままでを振り返ってみて、最大のピンチは?
 2011年の東日本大震災の時に、子どもさん向けのアーケードゲームと遊び場の会社『イオンファンタジー』の社長をしていたんですが、お店も機械も流されて。あの時は電気がすごく貴重で、「電気をそんなところに使うなんてとんでもない」という声が多かったんですね。300店舗あるうち100店舗が閉まっていました。でも、従業員も給料がもらえないと困るじゃないですか。いつ再開するかも分かりませんし。どうしようか、とみんなで話し合って、1年かけて1店舗ずつ再開していきました。本当につらかったですけど、勉強にもなりましたね。

―――大変、ご苦労されたんですね。
 被災地では「ATMが使えない」という話が出て。だったらみんなで現金を持って行ったらどうか、となったときがありました。現金を封筒に入れて、誰が居るかわからないんですけど1か所1か所避難所を訪ね歩きました。でも、のちに「あの時に現金があったから随分助かりました」と言われたことがありました。

お客さまにとって最適なのか、消費者は喜んでくれるのか。それが「決断の基準」

―――「イオントップバリュの社長に」と言われた時は?
 「イオントップバリュの社長に」と言われた時はえっ!と思いましたね。最初は「一から商品を作るなんて私にできるかな」と思いました。だけど「まあ、やってみようか」「それはそれで楽しいそうかな」と。すぐに「はい」と返事しました。

―――食品だけで5000品目ある商品作りの工夫は?
 例えば、ペットボトルにラベルの無い天然水があります。お客さまから「ラベルがないと捨てるときに便利なんだよね」と言われて作った商品です。工夫をしながら価格をいかに下げていくか、というのを考えています。「でも、おいしく!」は絶対にゆずれないところですので。食品以外も豊富に品ぞろえさせていただいていまして、ホームコーディの商品ではこたつ・ソファ・家電も揃えています。こたつにはUSBケーブルで充電できるものをつける工夫をして喜ばれています。
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―――エネルギー価格や原材料費の高騰で経営が難しい時代ではないかと?
 本当に難しい時代ですね。けれど、ドルで買うから高いのであって、円で買うことができないかとか、あの手この手を考えるしかないですよね。ソーセージのパッケージを小さくしたのもそうです。上の巾着みたいになっているところを全部はずして。そしたらプラスチックを削減して、輸送する時の箱に入る商品の量が増えたんです。トータルにしたら1パック10円くらいコストが下がっているんですよ、中身は同じなのに。どこかに何かヒントはあるんですよね。決断するときは「これは本当にお客さまにとって最適なのか。消費者は喜んでくれるのか」が一番の基準ですね。

初の売り上げ1兆円突破に手応え

―――今年度は1兆円の売り上げを目標にされていますが、手応えは?
 手応えはありますね。昨年度も随分業績は伸びたんですけど、今年度も伸びています。好調なのは「私たちの思いとお客さまの思いが合っているのかな」と思ったりしています。やっぱり、お客さまが満足されないものを作っても意味がないですよね。お客さまが「この商品いいね!ワクワクするね!この値段ならありがたいね!」と思っていただける商品を作らないと、プライベートブランドである必要はないと思うんですよね。

―――「イオントップバリュ」の強みは?
 強みは“お客さまに一番近い小売りが作っている”ということだと思っています。お店が私たちにはありますので、お店でお客さまの声がたくさん上がってきます。「こんな商品にしてほしい」「こんなものが欲しい」「ここが不便」だとか。それをひとつひとつ聞きながら商品化したり直したりできるのが圧倒的な強みだと思いますね。遊び心は商品開発では極めて大事です。「いままでになかったものを作りたい」といつも思っています。それがトップバリュだと思うので。
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―――社長としての夢は?
 イオントップバリュという会社が、従業員にとってもお客さまにとってもなくてはならない、
すごく愛すべき存在であってほしいなって思っています。そこだけが一番、私にとっては重要だなと思っています。

―――最後に、土谷さんにとってリーダーとは?
 リーダーっていうのは私にとっては、暗闇に見えるようなところでも自分がカンテラを持ってどこに行くのか決めて、みんなを信用して、とにかく決断し続けて、決めた方向に行くにはどうするのかを決める人だと思います。

■イオントップバリュ 1979年会社設立。2022年度の売上高は9025億円。従業員数は560人。2000年現在のブランドロゴマークに。

■土谷美津子 1963年岡山県玉野市生まれ。1986年高知大学卒。その後、当時の『ジャスコ』に入社。2010年に『イオンファンタジー』社長、2016年に『ビオセボン・ジャポン』社長、2022年に『イオン』執行役、2022年に『イオントップバリュ』社長、2023年3月に『イオン』副社長兼務。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。