「星のや」「界」「リゾナーレ」などのホテルブランドを展開し、57の宿泊施設を国内外で運営する『星野リゾート』。最近では、大阪の通天閣近くに「OMO7大阪(おもせぶんおおさか)」を開業したことで話題を集めた。経営不振に陥ったリゾートホテルを次々と再生し「リゾート再生請負人」とも呼ばれた星野佳路代表は「世界に通じるホテル運営会社にしたい」と会社の目指す先を語る。長野県軽井沢町の老舗旅館の4代目として生まれ、米国留学で経営学を学び、いかにして会社を成長させてきたのか。その独自の経営哲学を星野代表に聞いた。

4月開業「OMO7大阪」、ディープ大阪に「なにわラグジュアリー」?

 ―――今年4月に大阪・新世界近くに新しいホテルを開業させましたね。
  436室を有する「OMO7大阪」というOMOブランドのホテルです。都市観光のマーケットは一番大きい。だから都市を楽しむためのサービスを提供することは、私たちにとってとても大事な仕事だと思っています。このホテルは私たちのブランドの中では、ラグジュアリー、高級な部類に入るんですね。でも、ただ高級だというだけでは外資系のいろんなホテルとの差が出ないので、私たちは大阪らしい「笑いとおせっかい」を取り入れた「なにわラグジュアリー」を提供したいと考えています。

 ―――通天閣がある新世界近くにラグジュアリーなホテルを開業した狙いは?
  大阪のディープな場所でラグジュアリーなホテルを運営するというのが、まさに星野リゾートらしさなんですね。JRと南海電車の新今宮駅が目の前にあって、通天閣や新世界といった場所に歩いて行ける。この絶好のロケーションで泊まることに価値があると思っています。

「教科書通り」が経営スタイル 何よりも失敗しないことが大事

 ―――小さい頃から老舗旅館の「4代目」と紹介されていたそうですね。
  祖父が、会う人にそう紹介するんですよね、よく覚えています。私には名前があるんですが、名前で紹介されずに「4代目です」と紹介されていたのが、すごく記憶があります。物心ついた頃から「星野温泉旅館」を継ぐものだと、4代目だと思っていました。

 ―――大学を出てからアメリカに留学されましたよね?
  留学したのは、それまで何ら経営者として勉強を積んでこなかったためです。最先端の経営理論を研究している人たちから直接聞けるのが私にとっては一番の学びでしたし、「ビジネスには理論があるんだ」「教科書があるんだ」と知ったのが一番大きかったですね。僕は「教科書通りに経営する」というのが自分の経営スタイルなんです。「教科書通り」というのは、世の中で証明されている「ビジネス理論通り」に経営するということで、とても大事だと思っている。

 ―――「教科書通りの経営」ですか?
  「教科書通りに経営する」ことは、決して成功を保証するものではないんですが、失敗のリスクを減らすことには大きく貢献するんですね。経営というのは、やはり「失敗しないこと」なんですよ、なによりも。私の、4代目の仕事は、会社を伸ばすことより潰さないことが大事なんです。

「打った手」の効果が出るまで待てるかが経営を左右する

 ―――メソッド通りでうまく経営できるものですか?
  会社を私の次の世代、次の時代に存続させるためには、成功することよりも失敗しないことが大事なんですよね。そのために会社を変えようと思って手を打つじゃないですか。でも、打った手の効果が出るのには時間がかかるんですよ。病気の時に飲む薬と同じなんですよね。それが、「教科書通りにしている」ことで「待てる」んですね。「教科書通り」でないと、手を打って成果がでない場合「打った手が間違っていたのではないか」と疑心暗鬼になってきて、打った手を変えてしまうんですよ。

 ―――効果が出るのを待っていられないと?
  病気になって薬を飲み始めて効果が出るのに時間がかかっている間に、ほかの薬を飲み始めてしまうみたいな。ドクターショッピングする人みたいになってしまうんですね。
その行為によって何の成果も生まないことに陥るので、待っていられるのも「教科書通り」のメリットの1つだと私は思いますね。

 ―――アメリカから経営を学んで帰られた後、星野温泉に入られますが、半年間で一旦辞められていますよね?
  当時はファミリービジネス、同族会社だったんです。同族、特に当時経営していた父との間でうまくいかなかったんですね。アメリカで経営学を学んでいるうちに「自分は良い経営者になるために戻ってくる」という感覚があったんですね。それで実家の会社の状態を見ると、経営学の視点からでは結構いろんな問題がありました。

 ―――旧態依然とした感じだったということですか?
  同族会社の問題は、公私混同というのがあるんですね。これが会社の組織に対して悪影響を与えていました。つまり、星野家の同族メンバーが特権階級になっているんですね。そこに私が足を踏み入れると、これが大変な反発を受けましてね。町の中で「若殿のご乱心」と言われていました。

「星野温泉では会社説明会に人が来ない」と社名を変更

 ―――経営していくうえでこれまでで一番大変だったことは?
  私たちが、目指す組織、会社になっていくために一番大変だったのは、リクルーティングですね。「株式会社星野温泉」の名前では、募集しても応募してくれる人は1人とか2人とかで、とにかく少なかったです。私自身、企業説明会にも積極的に参加しましたが、「星野温泉」でブースを出しても我々のところには誰も来てくれなくて。横のブースの私が名前も知らない会社には学生が一杯なのにですよ。

 ―――かつてそんな時代があったんですね。
  会社説明会の我々のブースはがらんとしていて椅子が余っている状態だったので、隣のブースの後ろ側で座れないでいる学生たちに椅子を貸してあげたくらいです。その代わり「帰りにこっちに寄ってくれ」と。そんなことはよくありました。「星野リゾート」に社名を変更した理由は、リクルーティングです。「株式会社星野温泉」という名前では絶対採用できないと確信しましたね。

「やるしかない!」大きな決断となったリゾナーレ八ヶ岳の再生プロジェクト

 ―――会社の経営者としての一番大きな決断は何でしたか?
  思い出深いのは「リゾナーレ八ヶ岳」なんですよね。私は軽井沢の星野温泉を改築することを第一ステップと考えていたんです。いまの「星のや軽井沢」です。大きな資金調達が必要なので、それに備えて財務体力を10年かけて整えていたんですよ。その寸前にリゾナーレ八ヶ岳の話が入ってきたんです。星野温泉旅館の改築のために蓄えてきた体力を、2001年に一旦吐き出さなければならないということを迫られたんですよね。その時が一番難しかったですね。

 ―――リゾナーレ八ヶ岳を手掛けない選択肢もあったわけですよね?
  もちろん、手掛けない選択もありました。私自身、この案件をパスすべきだと思っていたんですが、現地を見に行った時にスタッフたちがみんな待っていてくれたんですね。その場で「私たちは星野リゾートと一緒にやりたい」と意思表示があったんです。私はリクルーティングで苦労していたじゃないですか。それが、100何人の人たちが「星野リゾートと一緒にやりたい」と言ってくれた時に「もうこれはやるしかない!」と思ったんですよ。そういうところは経営者としては駄目なところかもしれないけれどね。

 ―――リゾナーレ八ヶ岳のスタッフたちの思いが決め手に?
  私たちは「世界で通用するホテルの運営会社」になりたいというビジョンを持っています。「リスクを取ることによって、掲げるビジョンに近づくかどうか」を私は経営判断の基準にしているんです。「このリスクは大きいし大変だし、会社にとって大問題になるかもしれない」けれど、そのリスクを取ってうまく乗り越えることによって、ビジョンに近づくかどうかが私の中での唯一の基準なんですね。当時、リゾナーレ八ヶ岳に残って星野リゾートに入ってくれたスタッフたちはいま、我々の組織の中でとても活躍しています。

 ―――星野リゾートの強みはどういったところですか?
  強みは、フラットな組織文化ですね。そのために「偉い人信号」をなくしています。私には社長室はありませんし、お互い役職で呼び合わないなど徹底しています。スタッフは誰もが対等に話し合い、言いたいことが言えてアイデアがどんどん出てくる組織を作っています。ホテルで働いているスタッフひとりひとりが考えながら仕事ができ、かつ経営判断ができているというのが会社の一番の強みだと思っています。

夢は「世界で通用するホテル」 日本のおもてなしを観光に生かす

 ―――まだコロナ禍の最中といってもいい状態ですが、観光業界を取り巻く状況はどうなると?
  時間はかかるかもしれませんが、インバウンドはいずれ戻って元通りになると思っています。ただ、コロナ禍前の日本の観光市場の状態がよかったかといえば、決してベストな状況ではなかった。例えばインバウンドにしても、日本は3000万人が来日したと大騒ぎしましたが、実は東京・京都・大阪などトップ5がなんと全体の65%を取っていたんです。日本全体でみるとインバウンド格差が起きていて、この偏りを解決するにはどうしたらいいのかということを考えながらインバウンドを戻していく必要があると思っています。

 ―――星野さんのリゾート代表としての夢はなんですか?
  星野リゾートの将来ビジョンは、日本国内で運営ができるだけではなくて「世界に通用する運営会社になりたい」ということです。日本人はもともと「おもてなし」で有名なんですね。観光業という「おもてなしの産業」で日本が世界で通用しないというのをなんとかして変えたい。いま私たちは北米を目標にしています。北米が世界のホテル業界の発信基地なんですね。北米で認めてもらえると他の地域に進出できるチャンスが増えてくるので、北米で運営拠点をまず1つ作って、そこからいくつか展開していけるチャンスを作るのが、これからの5年、10年の大きな目標です。

 ―――最後に、星野代表にとってリーダーとは?
  常に「教科書通り」。これこそが、星野リゾートの経営そのものだと思っています。自分の感覚に頼ることなく、常にどんな状況においても「教科書通り」に論理的に説明できること。そこが、第一の条件だと思っていますし、フラットな組織文化に対して本気で実践するリーダー像が私の中では理想です。


■星野リゾート 1914年、星野温泉を開業。1995年、現社名に変更。2001年、リゾナーレ八ヶ岳の運営を開始。2005年、「星のや」ブランドの展開開始。取扱高500億円超、グループ従業員約4000人。

■星野佳路 1960年、長野県生まれ。慶應中等部からアイスホッケーを始め、慶應大学ではキャプテン。1983年、経済学部卒業。アメリカのコーネル大学大学院修士課程修了。1991年、社長に就任。大のスキー好きとして知られる。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している『ザ・リーダー』をもとに再構成しました。
 『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。