企業から学生に直接オファーを送ることができる新卒採用サービス「Offer Box」。運営するのは、大阪に本社がある「i-plug(アイプラグ)」だ。2012年に会社を立ち上げ、2021年3月に東証マザーズに上場を果たした新進気鋭のスタートアップ企業としてその存在は知られている。会社を率いる中野智哉社長は、かつて典型的なブラック企業に勤め、その後ニート生活を経験した異色の経歴の持ち主だ。人生のどん底を見た男はなぜ会社を立ち上げ、上場するまでに至ったのか。その「成功への道のり」の一部始終を聞いた。

「山でキャンプしながら働く」こんなワーケーションもOK
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―――本社のオフィスには、あまり人がいないとか?
 出社している人はとても少ないですね。働き方については、創業初期から色々なことに取り組んでいます。新型コロナウイルスが感染拡大して以降は、さらにリモートワークが増えました。面白い働き方ですと、4人くらいでキャンプに山に行ってそこで仕事をするというようなケースがあります。山でキャンプをしながら働いても、全く仕事のクオリティには支障がありません。
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―――去年、東証マザーズに上場されましたね。
 去年の3月18日に上場したのですが、ちょうど新型コロナで緊急事態宣言が出ていた時期でした。上場した時にセレモニーがあって鐘を鳴らすのをとても楽しみにしていたのですが、結局できなかったです。セレモニーで鐘を鳴らせないのならいっそのこと自分で作ろうと考えて、自前で鐘を作りました。いまも本社の職場に置いていて、とてもいい音が鳴ります。本当なら東証で鐘を鳴らして「上場おめでとう」ってなるはずだったんですがね。

成功報酬38万円は異例の安さ「なんとかいいマッチングを!」
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―――「Offer Box」は逆求人型オファーと言われますが、どういうシステムですか?
 学生さんが自分のプロフィールページを作って、それのページを見て学生さんに興味を持った企業さんから連絡が来る、つまりオファーが来るという仕組みです。学生さんが登録するのは無料で、企業さんから料金を頂きます。企業側の基本的な契約料は、利用するだけなら無料です。1人採用、あるいは内定の承諾を得られた場合、38万円を頂くことになっています。このような仕組みにしているのは、できるだけ企業さんに負担がないようにするためです。金額的にも38万円は異例の安さに設定しています。

―――学生さんの登録もどんどん増えていますから、「企業から受け取る報酬額をもうちょっと上げよう」とはならないのですか?
 そこは考えていませんね。やはり学生さんにとっては自分が思ってもいないような色々な企業さんからオファーが来るのがすごくうれしいことなので、金額を上げてしまうと登録する企業さんが減っちゃうんですよね。間違いなく。そうなると学生さんたちにとってはよくないことなので、だからできるだけたくさんの企業さんが「Offer Box」を使えて、かつ私どもも会社として生き延びられる金額というのを考えての設定ということです。

―――同業他社との違いやアイプラグの強みは?
 学生さん、企業さんの双方のために「何とか役に立ちたい」という思いがすごく強い仲間が集まっていて、本当に日々そればっかり考えている集団です。「なんとかいいマッチングを!」っていう。「お客さんたちのためにやるんだ!」という思いが集合体になった、その文化というのがやはりアイプラグの一番の強みだろうなと思いますね。

最初の就職先は「ブラック企業」 会社から「客をだませ」と
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―――32歳で起業されて会社の業績は伸びる一方なので、これまでの人生は「エリート街道まっしぐら」的な感じだったのでしょうか?
 全然違いますね。楽しいことには熱中するんですけど、そうじゃないことには全く関心がないというわかりやすいタイプなので。大学を卒業して「何か仕事を見つけないとあかんな」と思ったので、実家にあった新聞の折り込み求人で就職先を見つけました。ちょうどその折り込み求人をしている会社が募集していたので電話したら「明日、面接に来て」って言われました。面接に行ったら「翌日から働いて」って。「スーツないので来週まで待ってください」みたいな。そんな社会人生活のスタートでしたね。

―――その会社にはどれぐらい勤めたのですか?
 その会社は、4か月で辞めました。というのは、いまでいう典型的なブラック企業でして。4か月目に会社から「お客さんをだませ」というようなことを言われまして...。さすがに「その話には乗れません」と言って辞めました。その後、実は10か月くらいニート生活をしていました。全然働かなくて実家でボーっとしていましたね。けれど求人広告の営業自体は結構面白くて、だからもう1度、同じ業界に入ったんです。

再就職先も求人広告会社 寝る間も惜しんで働き3年で営業所トップの売り上げに
―――あえてですか?ブラック企業だった会社も求人広告だったのに次も求人広告の会社に?
 ちゃんとした会社の求人広告をやりたくて。次の会社に入社した時は、グループ全体で関西に500人営業がいて、成績はダントツの最下位でした。その時はとても辛かったのと、やっと仕事を貰えたのに申し訳なくて申し訳なくて。だから、やれることはやろうと決意しました。時間を費やすことは惜しまないので、とにかく寝る時間を削ってひたすら働きましたね。始発の5時21分に乗って出社して、終電が三宮24時29分、いまでも覚えているんですけど、毎日それで往復していました。

―――寝る間も惜しんで働く感じですよね?
 でも、楽しかったですね。それだけ働いたらさすがに成績もちょっとずつ上がってきて、1年目でなんとか通常の営業さんの半分くらいを売り上げられるようになって、2年目でやっと一人前ぐらいになって、3年目で当時の神戸の営業所でトップになりました。うれしかったですね。でも、2008年9月にリーマンショックがあって、求人広告の業界は、本当にものすごく冷え込みまして「ちょっと自分なりに状況を変えたいな」と。

リーマンショックで「求人不況」 経営大学院で出会った3人で起業
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―――そこで、経営大学院に通われたのですね?
 学校にはすごい方たちばかりが来ていたんですよ。いわゆる関西トップの大学を卒業されて、大企業の部長とか課長職に就いている方たちがまだ勉強しているんです。その姿を見たら「自分もやらなかったらいつまで経っても追いつかないな」っていうのが、初めて大学院に来た時の衝撃的な記憶ですね。明らかに人生が変わった瞬間ですね。

―――経営大学院で出会った人たちと3人で2012年にいまの会社を立ち上げますよね?
 でも、全然上手くいかなくて。就職活動の人材紹介業を立ち上げたんですけどね。このままだと絶対に半年で倒産するというのがわかっていました。手元の資金がどんどんなくなっていくんです。「全部のリスクを僕が取ります」と言って社長になったので、「半年で資金が底をつくのをどうしよう...」みたいな感じでしたね。

―――そこからどうやっていまの「Offer Box」に繋がったのですか?
 当時、関西で開かれるのが珍しかったんですけど、スタートアップ企業が短いプレゼンをするイベントが開催される日があって、それを見に行ったんですね。それぞれのプレゼンを見ていて、ふと考えたら「あれっ、俺ってこういうのをするためにビジネススクールに行って起業するんだと言っていたのに、あかんやん」って。そう思った瞬間にいまの「Offer Box」思い付いたんですよ。本当にその瞬間に。

失意の中で突然「閃いた」ビジネスモデル
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―――そのプレゼン会場で、ですか?
 本当に「閃いた」という感じでしたね。当時は新卒採用の市場で成功報酬というビジネスモデルをやっているのはなかったんですよね。僕は人材業界を知っているし、一緒に会社を立ち上げた山田がエンジニアで、もう1人のメンバーの田中が営業担当ですけど、「3人だったらできるんと違うか?」みたいな感じでしたね。大学院の時にSNSを作ろうとしていて、その時にコミュニケーションツールをどう設計するかを散々研究していたので、それを掛け合わせたのがいまの「Offer Box」なんですよね。

―――それまでの経験が、全部断片のようになっていたピースがカチッと合った感じですね?
 きれいに言うとそうですけど、倒産するのが怖くて突然思いついたアイデアにすがったみたいな感じですね。でも、創業して2年が過ぎて、登録する学生数が1年目で4500人、2年目で5500人とか増えて、登録している企業さんも100社、200社を超えて、外から見ている人たちにはすごくうまくいっているように見えるんです。けれど実際にはやはり採用数が増えないと収益が入らないので、なかなか厳しかったですよね。3期目に入った時に"とある会社"から買収の提案がありました。「一緒にやりませんか」と。

一番の決断は「買収話に乗らなかったこと」
―――M&Aですか?
 そこが僕の中で一番の決断だったかなと思います。どう考えても一緒にやった方がいいんです。だって僕たちにはお金がないですから。色々と考えて、最終的に「一緒にやろう、売ろう」と決めました。決めて、立ち上げメンバーの2人に伝えて「中野さんが決めるんだから、それについていきます」と言ってくれました。けれど気持ちがついていかなくて。だから「売るのは無理だな」と思って、翌日朝に会社に行ってまた、創業メンバーに「ごめん、やっぱり売らん」って言いました。そこが、ものすごく大きな転換期でしたね。会社のあり方とか経営の仕方とか全部変わりました。本当に戦わなきゃならないという感じになりました。
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―――コロナ禍になって企業が学生に求めているものは何か変わりましたか?
 企業が学生に求めるものより、学生が企業に求めるものが変わったんでしょうね。コロナ禍になって学生たちはオンラインで就活しているんですよね。ほぼリアルに合わないまま就職先が決まって、コロナ禍の人たちって働くのも家でやっている人が多いですよね。こうなった時に「仕事ってなんだろう」とか「組織ってなんだろう」とか、組織に求めることってかなり変わってくると思うんですね。働く環境とか労働時間とかそれだけでなく、それでもらえる給料だけじゃなくて、もっと自己実現に近づくような価値観をより求めているんじゃないかと思いますね。
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―――これから起業を目指す若者は多いと思いますが、そんな人たちに中野さんからアドバイスはありますか?
 パソコンができてスマホができて、世の中に新たな産業がどんどん生まれてきて、いまはAIができて、さらに発展しているんですけど、この先もっともっと新しい技術が出てくると思うんですよね。その時にチャレンジしたらすごく価値あるものを自分で作れたりとか、会社が作れたりとか、とんでもないチャンスがあって、いまはチャレンジできるような仕組みもできているので、もし少しでも興味があるんだったら、そういう業界に入ってみるとか、自ら起業してみるとか、どんどんやってほしいと思いますね。

―――ただ1つ、中野さんみたいに寝る間も惜しむ努力は必要ですよね?
 そうじゃない人もいると思うけど、それなりに努力しないと短期間では成長できないでしょうね。ただ、辛い努力じゃないということを知ってもらいたいですね。

「自分たちがやったことで日本の労働環境がちょっと良くなったね」と言われる仕事にチャレンジしたい
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―――この先のビジョンとして「こんなことやってみたい」ということはありますか?
 いまの日本の労働環境、労働人口が減っていく中で、日本って暗くなるんじゃないかと考える人が多いと思うんです。でも、そうじゃない未来を作れるかも知れないので、そこに何か寄与したいですね。その第一歩として新卒事業の市場をより良くしたいと考えています。でもそれだけじゃなくて、ほかのやるべきことがあると思っていて、日本の10年後、20年後に振り返った時に「自分たちがやったことで日本の労働環境がちょっと良くなったね」と言えるようなことを残すためにも新しいことをどんどんチャレンジしていこうと思っています。

―――最後に、中野社長が考える「リーダー」とは?
 リーダーのやるべきことは3つあると思います。まずは、会社が向かう方向「ミッションを決める」。そして、そのミッションを誰よりも一番信じ、信じるからこそ「一番リスクを取る」が2つ目。3つ目は「会社の文化を作る」。この3つの役割がリーダーのやるべきことだと思っていて、「この役割を実現できるのがリーダー」と言えるんじゃないかなと考えています。

■中野智哉 1978年、兵庫県に生まれる。2001年、中京大学経営学部経営学科卒業。インテリジェンス(現パーソルグループ)で10年間求人広告市場で法人営業を経験。 2012年、グロービス経営大学院大学経営研究科経営専攻修了(MBA)、同年、会社を立ち上げ社長就任。

■i-plug(アイプラグ) 本社は大阪市淀川区。2021年3月、東証マザーズ上場。連結売上高21億5100万円(2021年3月期)。従業員数141人(2021年3月31日現在)。登録企業は1万社超。2021年3月の卒業生3500人あまりの就職につながる。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。
『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。