元々は、大手都市銀行の店舗不動産などを管理する会社としてスタートを切った不動産会社がある。のちに社名を「ヒューリック」に変更し、いまや商業施設やホテルなどの観光業、高齢者施設など幅広く事業を展開する企業へと成長した。利益では、大手不動産会社3社に次ぐ規模に。この間、会社をけん引してきたのは2006年に社長となり、現在、会長を務める西浦三郎氏だ。なぜ、銀行の不動産管理会社から不動産大手3社に次ぐ利益を生み出すまでに変貌することができたのか?元メガバンク副頭取の頭脳を徹底的に解明する。

急成長の強み「ひとさまと違うことをやる」
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―――東京23区内に保有する物件が多いですが、去年は京都に小学校を改築した「立誠ヒューリックガーデン」を開業しましたね。
 1階には、地元の人たちの関連施設があり、上層階にホテルを作りました。京都の中心地・河原町からとても近くて川も流れていて、なかなか面白い場所で気に入りました。最上階の8階にあるバーなどからは、東山の素晴らしい眺望を一望できます。今度、大阪・心斎橋に新しくホテルを作る予定もあります。大阪は、大阪・関西万博が2025年に開かれますから、大変楽しみな場所だと考えています。

―――新型コロナウイルスの影響で、観光業はいま大変だと思いますが?
 今年4月には、京都・南禅寺近くに高級旅館「ふふ 京都」を開業しました。いまは、新型コロナウイルスの問題がありますけれども、感染がおさまれば京都や奈良は世界的にも絶大な人気を誇る観光地ですので、時間はかかるかもしれませんが、間違いなく復活する場所だと思って期待しています。

―――急成長するヒューリックの強みはどこでしょうか?
  「ひとさまとは違うことをやる」ということでしょうか。不動産業界の大手さんと同じことをやっていては、資本力が全く違いますからね。勝ち目は全くありません。「マンションはやらない」であるとか、「老人ホームはやる」であるとか。ひとさまのデベロッパーとは、違うことをやっていこうということでしょうか。

銀行マン時代の経験が生きた不動産会社のかじ取り
―――メガバンクに勤めておられましたが、どのような銀行マンでしたか?
 本当にごく普通の銀行マンでしたよ。ただ、いまでもそうですが「新しいことをやっていこう」という思いは強かったように思います。そういうことを常に意識していたように思います。昔から「ひとさまがやったこと」を繰り返しやるのは、あまり好きじゃなかったですから。常に「何か新しいことをやろう」と考えていました。

―――いまの会社の経営に通じる部分ですね。
 そこはあるかもしれませんね。当社は中小企業で資金力は大きくありませんから、ひとさまといいますか、大手の不動産会社と同じことをしていては到底、勝ち目はありません。そういう意味では「特長のあることをやっていこう」ということでしょうか。事業の方向性はかつての銀行マン時代の思いと同じかもしれませんね。

「給料はお客さまから頂いている」という意識
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―――ほかに銀行時代の経験が生きていることはありますか。
 私は銀行マン時代、ずっと法人関係をやっていました。常に「いかに少ないメンバーで、生産性を上げるか」を考えるのが好きだったように思います。加えて、私がいまでも口にするのは「我々の給料は社長からもらっていないよ」と。「給料はお客さまから頂いていることを忘れてはならない」と。例えば、テナントに入って頂いているお客さまもそうですし、建物を作っていただいているゼネコンさんからもお客さまの情報を頂けるかもしれない。「お客さま」という意識だけは、強く持ってほしいとメンバーに話しています。

―――それは社員のみなさんに周知徹底されている?
 「お客さま」という意識は一回程度、社員に話したからといって根付くわけではなく、すぐ忘れてしまうものです。私も会長メッセージとして、社内誌などを使って割合、繰り返し、繰り返し、自分の考えを伝えていくことは大事だと思っていて心掛けています。それなりの頻度で言っていますね。

「銀行のグループ会社」の甘えが染みついた組織
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―――2006年に『みずほ銀行』副頭取からいまの会社の社長になった時は、「組織として驚いた」こともあったそうですね?
 私が銀行の副頭取をやっていた頃、まだ『ヒューリック』という社名になる前の『日本橋興業』の時代を見ていたものですから、大体会社の内容はわかっていました。当時は「独立して仕事をしている会社」という感じではなく、「銀行との絡みで仕事をやっている会社」でしたね。ですから、「独立した会社」という感じではなく、銀行の「グループ会社」として、やはり甘えとかがあったと思います。ある意味「大変な会社」だなと思っていましたけどね。
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―――会社の株式を上場したのは社長になって2年後ですよね。凄いスピードですね。
 社員たちからすると銀行の管理会社的だったものが、「株式を上場しますよ」ということで当時は「嘘だろ」という感じはありましたよね。ただ、「変革とスピード」を合言葉に掲げて取り組みました。これだけ競争が激しい世の中に変わったのだから、スピード感がないと仕方がありません。株式の上場は最終の目的ではなく、あくまでも資金調達の手段であって、上場の準備自体に時間をかけるのは何の意味もないだろうと。

―――社員の声で「嘘だろ」というのは、株式の上場は「無理だ」というニュアンスですか?
 それまでは「何もしないで、銀行に言われた通りにやっておけば、それなりにやっていける」という感じだったのが、銀行から独立して上場するとなったら、今度は自分たちでいろいろ決めてやらないとならない。そういうのが当時の社員たちには経験がなかった。大体、不動産部門は十数人しかいなかったですから。元銀行員ばっかりでやっていたので、不動産業のプロではないわけです。いろんな所から人を集めてくることが、大変だったことのひとつかもしれませんね。「余計なことをしてくれるな」と思っていた人もいたでしょう。

―――しかも、リーマンショックの数か月後に上場しました。
 リーマンショックがあって一時、どうしようかと悩んだのですけれども「悪い時期にスタートすればそれ以上は悪くならないだろう」と思い、上場しちゃいましたけどね。

社内改革を断行!全執行役員から辞表を取る
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―――社長になった次の年には社名を変更しました。狙いは?
 かつての社名『日本橋興業』は、「売る」のが商売の中心になっていました。すると物件を買いたくても「買う」案件の情報が全く入って来ない。会社のイメージを変えないと、と思ったことが、社名変更のきっかけですね。『ヒューリック』と社名を変えることで「物件を買いますよ」と、いろんなところに知ってもらう。それが大きな狙いのひとつでした。

―――社内改革はまず何から手掛けられたのですか?
 まず、執行役員から全員辞表を取りました。それまでは銀行の支店長だった人は全員、執行役員だったのですけれども、それはいまの『ヒューリック』で執行役員とか取締役になっている人たちとは全く違っていて、銀行でたまたま支店長だったということで一律になっていました。それは駄目で、本当に仕事をする人たちが執行役員、取締役にならないとおかしいと思いましたね。

好立地物件 自分の目で確かめる「現場主義」
―――ヒューリックの強さのひとつが、とても立地の良い物件が多いことだと思いますが。
 結局、お客様の立場になると、気候の良い時は駅から10分、散歩がてらに通勤もいいですが、6月の梅雨時など10分歩いて通勤をするのは、働く人にとってウエルカムじゃない。できるだけ、駅から近くと思うはずです。「駅から3分」というと駅から見える場所です。駅から近いところで、それも東京の千代田区、中央区、港区、新宿、渋谷、そういう繁華街のところであれば、お客さまがテナントとして入っていただける。新型コロナウイルスの影響があっても、空室率は1%以内に収まっている状況は、物件の立地が良いからなのかもしれません。

―――社長になって、これまで日々「変革とスピード」をスローガンにやって来られました。数々の決断の中で「これは大変だった」というのは?
 日々、決断だらけです。900億円の物件を買うとか、金額は大きいですけれども、50億円の物件だって失敗はできませんからね。実際にその場所に行って、狙った物件は何に一番向くかとか、人通りはどうなのかとかを考えます。迷った時は、昼と午後3時と夕方に物件を見に行って、人通りは変わっていないかとかは見ますね。

「高齢化と健康」「観光」「環境」に新しく「子ども教育」
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―――ヒューリックには、「3K」のキーワードがあるそうですが。
 いまは「4K」になっています。「高齢化と健康」、これが一つ目の「K」。二つ目は「観光」ですね。三つ目は「環境」。そしていま、新しく「子ども教育」の「K」が生まれています。子ども向けの塾やスポーツ施設、医療などがひとつのビルに入居した施設の運営を計画しています。若い人、結婚する人が少なくなってきたので、マンションはやりません。けれども、「老人ホーム」は東アジアでトップの戸数を持っている。「観光」はコロナ禍でいまは厳しいですが、世界でアンケートを取ると「コロナがおさまったらどこに行きたいか」と問うと、やはり日本が一番多い。いまは苦しいですが、我慢のしどころ。「環境」は「SDGs」の時代に、うちが電力会社になろうということですね。
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―――新たに電力の分野に?
 太陽光発電を自分たちで持つ、小水力という小さなダムを自分たちで持つ。いま話題になっている2050年にカーボンニュートラルと言っても、みなさんは電力を買ってこようと思っている。ところが自然エネルギーが増えない限り、買ってこられないわけです。うちは先に1000億円を投資して、自分たちが電力会社になってしまおうと。時代時代の半歩先を読んで、いろいろと仕掛けていく、それが大事だと思っていますけどね。

利益の追求だけでなく、「未来」のために何が出来るかが大事
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―――4年前に西浦会長が出した本に、「会長としての夢は経常利益1000億円の日を迎えることだ」と書いてありました。ところが、もうすぐそこですよね?
 夢が叶いそうです。でも、何があるかわかりませんからね、いまは。例えば、自然エネルギーに1000億円投資するということをやらなければ、収益はもっと出るかもしれない。でも、いまと将来のバランスを大事にしないといけないと考えると、次の世代に少しでもいいものを作っていきたい...。そういう気持ちはありますね。

―――最後に西浦会長にとって「リーダー」とは?
 大きな方向感を決めることですかね。どういう時でも意思決定をしないとならない状況では、決断をする。それが、結果的にうまくいかなかったら責任を取る。これが、リーダーの役割だと思っています。

■ヒューリック 1957年、旧富士銀行系の不動産管理会社として「日本橋興業」を設立。2007年、「ヒューリック」に社名変更。前年度の経常利益は、不動産業界4位の956億円。商業施設、オフィスビルなどの不動産業をはじめ、ホテルや旅館などの観光関連、高齢者住宅、発電などの事業を手掛ける

■西浦三郎 1948年、東京生まれ、1971年、早稲田大卒、富士銀行入行、2000年、常務、2004年、副頭取を経て2006年、ヒューリック社長2016年、3月会長、現在に至る

■このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました
『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:40放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。