2018年にノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑京都大学特別教授。本庶特別教授の発見は、がん免疫治療薬「オプジーボ」の開発に繋がり、新しいがんの治療方法を確立させた。今も研究者として第一線に立ち、若き研究者たちの指導に取り組む。その一方で、大のゴルフ好きで知られ、2020年には念願だったエージシュートを成し遂げた。日本の知の頂点に立つ研究者の1人、本庶さんにノーベル賞受賞までの道のりやがん治療の未来、そして大好きなゴルフの極意に至るまで徹底的に聞いた。

"フェイク"かと疑ったノーベル賞受賞連絡
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―――ノーベル賞を受賞された時の心境は?
 ノーベル賞受賞はめぐり合わせだし、時の運もあります。世界中には、同じレベルの研究者がたくさんいます。受賞の連絡を受けた時は、研究室で2人の若い研究者たちと論文の推こうをしている最中でした。すると秘書さんが「スウェーデンから電話ですよ」と。「来たか!」と思いました。ただ、"フェイク電話"というのがあると聞いていました。そこで、確かめようとしたら相手がちょうど「Eメールは、いるか?」と聞くので、「もちろん!」と答えて送ってもらったので確認ができました。
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―――医学部を卒業して、臨床ではなく研究を選んだ理由は?
 だんだん勉強していくと、何かチャレンジングなことをやりたいと思うようになりました。それと、その頃に同級生が、今でいう「スキルス胃がん」かな?それが見つかり、半年くらいで亡くなってしまいました。人間はこんなにも簡単に死ぬのだとショックを受けたのを覚えています。何とか治せるようにできないか、と思ったのも研究の道に進んだ理由の1つです。

「論文を全部信じない」免疫研究のスタートは恩師からのアドバイス
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―――研究者として若い頃の思い出は?
 研究者生活の始めの頃に、非常に貴重なアドバイザーというか、指導者に恵まれました。京都大学大学院の時に出会ったのは、「基礎医学の巨人」と称された早石修先生。さまざまな生理活性物質の生成や薬物の代謝に関わる「酸素添加酵素」を発見し、生化学の教科書を書きかえた研究者です。早石先生からは「研究では、どういうことが重要なのか」「国際性はどれだけ重要か」そして「論文を読んで全部信じない、疑う」、つまり、初めから信じてはいけないと教えられました。

―――免疫の研究に入られたきっかけは?
 アメリカのカーネギー研究所に赴任した時のドナルド・ブラウン先生との出会いです。当時、免疫は途方もなく不思議な現象でした。いろんな病原体に出会って何故、免疫力が付くのか。ワクチンができるのか。誰にもわからない。全く未知の世界でした。何故、無限の病原体にきちんと対応できるのか、みんな不思議だった。でも、その問題を真正面から取り組むのは想像できなかった。ブラウン先生は「今、その時期が来た」と話された。「遺伝子を調べたら、免疫力の謎を解くカギが見つかるに違いない」と教えられました。

大学院生からの疑問がノーベル賞へのきっかけに
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―――ノーベル賞の受賞理由は「がん免疫療法」発見でした。
 正確に言うと、私が発見したというのはちょっとおこがましくて。最初の最初は、当時大学院生で今は奈良先端科学技術大学院大学の石田靖雅准教授の疑問でした。喉のところにある免疫で重要な「胸腺」でT細リンパ球が作られ、細胞を殺すという仕組みがあります。敵を打つものだけを体中に出すのが「胸腺」です。当時大学院生だった石田准教授は「どうやって特別な細胞だけ殺すのか」、その仕組みを知りたいと私のところに来た。

―――石田さんの疑問が全ての始まりだったのですね?
 細胞を刺激することで新しく作られるタンパク質を見つけ、その構造を見ると細胞の膜に「新しい分子」があることがわかりました。でも、その時は全く機能がわかりませんでした。4~5年して、実はそれが「免疫にブレーキをかける」分子だということがわかりました。「ブレーキ役」の存在は当時、知られていなくて、私たちはその分子を「PD-1」と命名しました。この「ブレーキ役」をおさえて免疫を強くしたらがんを治せるのではないかと考えた訳です。それは決して大胆な仮説ではなかったので、すぐに研究に取り掛かりました。

「免疫のブレーキ役」の発見は『直感力』
―――それまでは「免疫のアクセル踏んで」がんに対抗する考え方が主流でしたよね?
 免疫に「ブレーキ役」があることを多くの人は知らなかった。「ブレーキ役」が見つかったから、研究を進めようということになりました。そういう意味では「PD‐1」に行き当たったのは非常に幸運でした。

―――研究の場で「直感」が働く人と働かない人の違いは?
 1つは、研究者として色々なことに興味を持ち、ある程度様々なことを薄く広く知っていることが重要だと思っています。あまりに知識の幅が狭いと、その領域を縦に掘ることしか考えない。でも「こちらの方向」に行って「ちょっと違うかな?」と感じた時に全く違う方向に向かうというか、「こういうこともあるのではないか」という発想の転換が大切だと思っています。研究者としてはもちろん知識の幅が狭くて深いことも重要だと思いますが、私は幅が広いことの方が重要だと思っています。

患者さんから届く手紙に喜びを感じる
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―――研究者としての喜びは?
 多くの患者さんから手紙が来ます。その半分は、病気がよくなってありがとうという内容です。半分は、まだ治療に困っていてどうしたらいいでしょうか、という相談です。これもノーベル賞もらったからかも知れませんが、直接、私のところに手紙やメールがたくさん来ます。

―――そういう反応はうれしいですね。
 感謝してもらうというのは、つまり、自分がしてきた研究がみなさんのお役に立っているということが実感できるので、とても嬉しいです。研究者人生にとってはなかなかないことだと思って大変感謝しています。

若き研究者のために研究基盤を整えたい
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―――若い研究者たちのために役立ちたいと?
 日本の研究現場は厳しさを増します。人口は減るし、予算が増えていくという右肩上がりの時代はとっくに終わっていますから...。やはり、知を原点にそれを社会に還元して、また社会からリターンをもらって、また次の知を産むという好循環を作っていかなければなりません。発明に対して正当な対価があって、それは研究室や大学に還元されるし、本人にも一定の割合が還元される仕組み作りをしなければなりません。今は日本でも徐々にそういう仕組みになってきていますが、産業界からの研究機関に対する還元がまだ不十分な気がします。

がんになっても絶望的にならない時代はきっとくる
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―――免疫治療薬「オプジーボ」のこれからは?
 現在、効果のある人は3分の1程度です。効果が出ない残りの人のためにどのようにして効くようにできるか、それが最大のチャレンジですね。非現実的ではないと思っています。いつになるかは言えませんが、がんになったら絶望的になる必要のない時代は、必ず来ると信じています。それが、近い将来であってほしいと思っています。それまで私が生きているかはわからないけれど、若い人にもぜひ参入してもらって、もう少し頑張りたいなと。

大のゴルフ好き 「エージシュート」も達成
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―――ゴルフがお好きだと聞きます。研究とどちらが難しいですか?
 ゴルフは、慎重にやっているけれど失敗を少なくするゲームですね。野球は、点を取るゲーム。ゴルフは研究より難しいですね(笑)。研究は失敗を重ねると次の道が見えてきます。でも、ゴルフは失敗してもどこが駄目だったのかがよくわかりません。研究より難しい点ですね。

―――長年の夢だったゴルフでのエージシュートは叶えられました。プライベートな夢、研究者としての夢は何かありますか?
 研究者としての夢は、終わりがないからずっとやっていきたい。ただ、私もいつまで先頭に立って研究できるかわかりません。若い研究者たちから邪魔だと言われる前には、そっちはやめてゴルフでさらなるエージシュートに専念するのがいいかな。

リーダーとは、大きなビジョンを持つ人
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―――最後に、本庶特別教授が考えるリーダーとは?
 リーダーは、やはり大きなビジョンで方向性を持つこと。そして「何が問題なのか」「どういう方向でやっていけば良いのか」、攻め方というか全体像をきちっと見られることが非常に重要だと思います。


■本庶佑(ほんじょ・たすく) 1942年、京都市で生まれる。1966年、京都大学医学部卒業。1975年、京都大学医学博士。カーネギー研究所発生学部門客員研究員、東大医学部助手、阪大医学部教授を経て、1984年、京大医学部教授。2018年、ノーベル医学生理学賞を受賞。受賞理由は「新しいがん治療の方法を発見したこと」。現在、京大高等研究院特別教授を務める。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。
『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。