国家公安委員長を退任する最後の会見は苦渋に満ちたものだった

(二之湯国家公安委員長(当時) 8月10日の退任会見)
「私自身“政治的責任”については、私自身がおそらく一生背負ってですね、この問題について非常に責任を感じていくと」

発言は安倍元総理の銃撃事件についての質問を受けたもので、現在、警護などの検証・見直し作業が進められている。退任前日の8月9日、防災大臣室を訪ねると「わたしは、もうただの民間人だ(参院議員の任期を終えたため)」とはにかんでみせたが、銃撃当時のことを聞くと、表情を引き締め「あの時は、一体何が起こっているのかわからなかった」と振り返った。
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当時、二之湯氏は参院会館の自室で執務中だったが、即座に警察庁から出向している秘書官とともに「情報収集」にあたったという。その後、奈良の銃撃現場にも足を運び、当時の警備・警護などを対象とした検証・見直しチームを立ち上げた。MBSの取材に「要人警護を担当する警護課に所属する警察官は京都府警でも26人しかいない。奈良県警ならその半数にも満たないだろう。都道府県警の"独立性"を保ちながら、練度を上げ、警護態勢を立て直すことが必要だ」と語った。二之湯氏は会見でも「この仕事はやり遂げたい。やめろと言われない限り、この問題について一生懸命しっかりと取り組んでいきたい」と語っていただけに、志半ばでの退任となった。

最後は「いばらの道」に...
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二之湯氏が国家公安委員長に就任したのは去年の10月。すでに政界引退を決めていたため、入閣は「花道」などと批判する声もあった。当時、入閣が決まった直後に話をきくと「ネットには"引退表明の人になぜ大臣だ"と揶揄するような書き込みがあるが、私としては長い間の議員経験を生かして、有終の美を飾るように頑張りたい」と意欲を語っていたのを思い出す。だが実際は「花道」とは程遠い「いばらの道」を歩むことになった。

退任会見ではさらに、旧統一教会の関連団体が開催したイベントの実行委員長を務めたことについても改めて質問がとび「今となっては、もう少し考えるべきであった」と神妙な表情で反省の姿勢を見せた。旧統一教会と政治家の接点がクローズアップされる中、銃撃事件の検証責任者が民間人で、しかも毎週の会見で弁明に追われるのは、政権としても痛手であったに違いない。
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二之湯氏は7月25日に参議院議員の任期も終了しているため、都内でホテル住まいを続けていて「引継ぎ」などを終えた後、8月14日に地元の京都へ戻るという。

カレンダーを見ながら「16日は五山の送り火やな...」と語る二之湯氏の横顔には、重圧から解き放たれる「安堵」と仕事を最後までやり遂げられなかった「無念」が見て取れた。

(二之湯智氏)
「若い時からずっと政治家をやってきたが、安倍さんの銃撃もあり、引退しても晴れやかな気持ちには到底なれない。送り火を見ながら自分に何ができるのかゆっくりと考えたい」

そう胸中を語った。

銃撃事件の検証結果や再発防止策のとりまとめに加え、安倍元総理の国葬警備など重要課題は、新たに国家公安委員長に就任した谷公一氏に引き継がれた。

毎日放送報道情報局 解説委員 三澤肇