こだま
作家・主婦。2017年、『夫のちんぽが入らない』でデビュー。翌年にはコミカライズ、19年にはNetflixにてドラマ化。2018年、エッセイ集『ここは、おしまいの地』で第34回講談社エッセイ賞を受賞。Twitterアカウント:@eshi_ko

道化の強み

 「正月特番の収録を見に来ませんか?」MBSのスタッフさんから声を掛けていただいたのは10月下旬。ただの観覧ではなく、感想を含めたエッセイを自由に書いてほしいという依頼だった。お笑いやバラエティー番組に精通した書き手はたくさんいるはず。そういった原稿をただの一度も書いたことのない私になぜ。世の中から隔離された辺境の素人に何が書けるのだろう。そんな不安を抱いたが、それ以上に「収録観覧」の文字があまりに魅力的だった。こんな機会は二度と訪れない。「やります!行きます!」と即答した。後先を考えずに飛びつく癖が直らない。

 オードリーが司会を務める『喜怒哀ラフ』。街頭の幅広い世代に「あなたのまわりにいる“困ったさん”」を尋ね、そのエピソードをもとにお笑い芸人9組がオリジナルのコントを披露するというもの。身近なストレスを笑いに変えていく内容だ。
 最初に連想したのは「世の中のムカッとをスカッとに変える」でお馴染みの番組だった。迷惑な人をバッサリ斬って、視聴者の溜飲を下げようというあれだ。そのお笑い版のような感じだろうかと勝手に想像していたら、開始早々オードリー若林さんが一蹴してくれた。
 「解決もしないし、スッキリもしない。ただただ笑い飛ばしてもらえれば」
 潔い宣言だった。題材をもらって好きに調理する。基本、投げっぱなし。コントを観たゲストも「本当に解決しないんですね」と感心していた。
 1組目のずんはタクシー運転手の「困った酔っぱらい客」のエピソードをコントに変えた。いつもの緩やかな雰囲気とは打って変わって、お互いに高速でボケを重ねていく。圧倒的に手数が多い。スタジオも「第7世代と同じくらいのボケ数」と沸く。お題にしっかり沿いつつ、ずんの新たな一面を見せつける。
 しかし、これで終わりではなかった。現役タクシー運転手の男性がリモート出演し、スタジオのオードリーやゲストらと噛み合わないトークを繰り広げるのだ。べろんべろんに酔った前歯のない陽気な彼が場を引っ掻き回し、最終的に全部持って行く。酔っぱらい客に困っていたんじゃなかったのかよ。そんなツッコミが飛び交う、ただ面白いだけの平和な時間だった。
 原宿、大学生、新社会人、相席ラウンジなど街頭インタビューも多様。「困ったさん」というやんわりとした表現でエピソードを紹介しているのも特徴だ。ちょっとイラっと来るけれど、その人にとってぶち切れるほどではない出来事。まあ仕方ないかとギリギリ飲み込むことができる範囲の。でも、自分の胸に溜めておくのはストレスになるレベルの。そんなモヤモヤがコントに生まれ変わっていく。
 各エピソードの終わりに春日さんが「困ったさん」に名前を付けて総括するのだが、だんだんグダグダになっていくのもいい。細部へのこだわりと、きっちりしすぎない余白を持たせたバランス感。スカッとさせないし、解決する気もさらさらない。スタジオもいい意味でゆったりしている。だから、ただ笑っていられる。それはとても幸せなことだ。不穏な報道に振り回されてきた2020年だったから尚更そう感じる。
 ネガティブな感情をネタに変える行為はテレビや舞台の世界だけでない。日常の失敗をネタにする人は多い。恥ずかしながら私もそのひとりだ。子供の頃から注意力が散漫で間違いが多い。耳が遠いので聞き間違いや勘違いも多い。陰湿だから「どこが面白いんだ」と人気者に嫉妬している。定期的に変な人に絡まれる。変な病気になる。飛び出してきた鹿と衝突して廃車になる。「出版禁止に追い込んでやる」と抗議されている。ツイッターの面識のない人から「家賃が払えない」「手術をする金がない」とDMをもらい、騙されているとは知らず数十万円を振り込んでしまう。
 自らの言動や不注意により窮地に陥ってばかりいるが、そのわりには地味に生き延びている。深く落ち込まずに済んでいるのは「辛いことも全部ネタにしてしまえ」と開き直るようになったからだ。
悔しい思いをしたまま終わりたくないという卑しい根性に突き動かされて書く。滑稽な体験をありのままエッセイにする。誰かに「バカだな」と笑ってもらえたら、もうそれでいい。報われる。単純だけど、そう信じ込んでいる。
 「体験の切り売り」と揶揄されることもある。でも、そういう人間がいてもいいだろと思っている。これは私にとって自分で自分を楽にする手段だから。
 人と向き合うと緊張してうまく喋れない。面白い話もできない。トークイベントは嫌いだし、舞台で笑いを取る力もない。自分を曝け出せるのはエッセイの中だけだ。

 お笑い番組も芸人も好きだ。なのに、周囲のお笑い好きを前にすると黙ってしまうことが多い。生まれ育った地はラジオが満足に入らない。家庭では自由にテレビを見せてもらえず、ライブに行ける環境にもなかった。お笑い文化に触れずに育ったコンプレックスを引き摺っているのだ。自分は知らないことだらけ。もっとその世界に浸りたい。職を失って時間が有り余る今、過去の反動からビデオの録画一覧がお笑い番組ばかりになっている。
 何もかもうまくいかず気持ちが沈んでいる時、病気で外に出られない日が続いた時、あるいは病院のベッドで、冴えない日常を束の間忘れさせてくれたのがお笑いだった。誰かを笑わせられる人はかっこいい。私は人前に立つことができないから、少しでもそれを文章に込められる人になりたい。そう思いながら書いてきた。
 総合演出を務める山内ディレクターは、番組の趣旨と私のこれまでの著書を重ねてくださったという。己の浅ましさを恥ずかしく思っていたけれど、たまにはいいこともある。続けてきてよかった。
 『喜怒哀ラフ』の観覧を秋からずっと心待ちにしていた。一年間がんばった自分へのご褒美にするつもりだった。しかし、新型コロナの勢いが増し、泣く泣く飛行機をキャンセルするしかなかった。地方在住の弊害がこんなところに出た。いつもの私らしい結末だ。送られてきたデータを深夜にこっそり再生しながら、この悲嘆も無駄にしてなるものかと思いながら、いま書いている。

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