僕が貢献できる場所はどこなのか
水中の“未踏”を拓く探検家の生き方
太平洋に浮かぶ絶海の孤島・南大東島の巨大水中洞窟の発見、玄界灘沖の水深80mに眠る沈船「常陸丸」の潜水調査......。
水中世界を舞台に「前人未踏」を切り拓き続けているのが水中探検家の伊左治佳孝。洞窟や深海などの極限環境に挑む高度な潜水技術「テクニカルダイビング」の若きプロフェッショナルだ。
あらゆるリスクと隣り合わせの水中世界に果敢に挑む伊左治だが、潜ること自体が好きというわけではないという。「探検をした先で見つけたものを、誰かと共有したい」。命をかけて自らのロマンを追い求める、という探検家像は早々に覆される。
経歴は異色。医大に進学するも、医師にならずに自営業の道を進む。常に「自分ならではの役割は何か」を探し求める中で、テクニカルダイビングと出会った。だれも到達したことのない水中世界を切り拓くこの潜水技術でなら、自分の果たすべき役割も見出すことができると、「水中探検家」を名乗り始めた。自宅は持たず、インストラクターとして収入を確保し、探検や講習で赴く先のホテルを転々としている。
2024年、伊左治は前代未聞の調査に乗り出す。かつて山口県宇部市で操業した海底炭鉱「長生炭鉱」。戦時中の1942年に発生した水没事故により、朝鮮半島出身者を多く含む183人が亡くなった。市民団体による遺骨収容が進展していないことを知り、潜水調査に名乗りを上げた。
視界がほとんどない水中で、先の尖った鉄片によって防寒用の潜水スーツが裂かれたこともある。決死の潜水調査で道を切り拓き、昨年8月、韓国人ダイバーによって初の遺骨収容が実現した。
今年2月にも、海外のダイバー仲間たちと共に大規模な潜水調査を実施。新たな遺骨収容が叶った矢先、悲劇が起こる。ダイバーの1人が調査中に意識を失い、命を落としてしまう。
「彼のためにも、この経験を活かさないといけない」
事故後、日本最大のカルスト台地 秋吉台の巨大地下水系への探検を開始した。
なぜ伊左治は潜り続けるのか?
一人の男が選んだ「水中探検家」という生き方を見つめた。
Yoshitaka Isaji
1988年、奈良県生まれ。両親の影響で12歳からダイビングを始める。医大を卒業するも、医師にはならずに自営業の道へ。
2020年、テクニカルダイビングと出会い、水中探検の世界へ。海外でのトレーニングや探検にも積極的に参加し、国際的なダイバーコミュニティとのつながりを築く。
2023年、テクニカルダイビングインストラクターの資格を取得。探検を共にする仲間の育成にも力を入れる。
同年、絶海の孤島・南大東島での探検を開始。人類未踏の巨大水中洞窟を複数発見した。
2024年、戦時中の水没事故で183人が犠牲となった長生炭鉱で、遺骨収容に向けた潜水調査に着手。翌年、海外のダイバーらとともに潜水調査を行い、遺骨収容を実現。
2026年、秋吉台の巨大地下水系への探検を開始。
4月、世界中のダイバーや探検家が集うアジア最大級の海の祭典「ADEX」にて「Explorers of the Year」を受賞。5月、ラオスの洞窟に取り残された村人の救出活動に、日本人として唯一参加した。
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