ごあいさつ

技術革新により、放送を巡る環境は年々その変化のスピードを増しています。ITの世界では、人間の7倍の速さで成長する犬を引き合いに出して、この変化の速さをドッグイヤーと呼んでいます。急速に普及し、今や放送との補完関係にあるインターネットですが、日本で最初のプロバイダーの出現は意外に最近の1992年です。

日本でラジオ放送が始まったのは1925年。その後、1953年にテレビ放送が始まるまで28年の歳月を要しました。しかも、1951年に毎日放送の前身である新日本放送と中部日本放送が日本初の民間放送ラジオを始めるまでの間、NHKラジオが日本における唯一の放送メディアでした。テレビの世界では、この四半世紀に、衛星放送、ケーブルテレビ、地上波デジタル、ハイビジョン、モバイルテレビ、IPテレビなど新しいメディアが次々と出現しました。多メディア化により、放送が市民生活や社会に与える影響が大きくなるとともに、放送コンテンツが受け手である市民の嗜好や意見を反映する度合いも増しています。

わが国の民間放送の創始者の一人である高橋信三氏は、毎日新聞大阪本社の編集局次長として終戦をむかえ、民主主義の実現には民間放送による公正かつ正確な報道と多様な番組編成が必要であるとの信念のもとに、新日本放送の設立に参加されました。1951年9月1日、民間ラジオ放送が始まり、氏の夢は現実のものとなりました。民主的で豊かな社会を作るためには、多種多様なメディアによる様々な情報がつねに国民に提供される必要があるとも説かれていた高橋氏は、衛星放送やデジタルテレビの出現を待つことなく、1980年に逝去されました。その後、1984年のベルリンの壁崩壊に西側のテレビが大きな役割を果たしたのは皆様ご存じの通りです。また、良質なコンテンツの提供、視聴者からの信頼を常に経営の根幹におかれていました。私を含めて放送人は、視聴者の信頼を損ねるような昨今の問題について自省自戒しなければならないと思っています。

公益信託高橋信三記念放送文化振興基金は、放送文化の発展と向上による社会への貢献を信条とされていた高橋信三氏の遺志により設立されました。本基金は、放送文化の振興にかかわる広範な活動を支援することにより社会に貢献することを目的としています。学究的な調査・研究はもとより、放送に関する国際交流・国際協力、地域社会における活動など多様な計画を助成の対象としています。皆様の応募をお待ちしています。


公益信託高橋信三記念放送文化振興基金
運営委員長 山本雅弘