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2019年10月20日(日) 放送分

松山智一美術家
Vol.1073

異色の経歴を持つ、気鋭のアーティスト
ニューヨークでアートの歴史に名を刻む―。

「僕がアートで目指すのは高級なお寿司じゃなく、最高のカリフォルニアロール」
ニューヨークを拠点に、世界で活躍する日本人の芸術家がいる。
しかし、日本ではほぼ活動歴がなく無名に近い存在だ。彼の名は、松山智一、43歳。
それもそのはず。大学卒業後、25歳で単身アメリカに渡り、独学で絵の勉強をしたという異色の経歴を持つ。日本でのアーティストとしてのキャリアは無く、アメリカでゼロからアーティストとしてのキャリアを歩み始めた。
彼の作風は、とにかく既存の価値観に囚われない。
"ファッションモデルが佇む北欧家具に囲まれた部屋には、ピカソなど西洋の巨匠たちの絵画が飾られ、その周りで葛飾北斎や伊藤若冲など日本画の動物たちが躍動的に踊る"
西洋と東洋、過去と現在、両極にあるものを掛け合わせ再構築するという手法は、インターネット上に情報が溢れ、SNSでは国境さえも曖昧な今の世界を描写している。
その作品が評価され、今年9月、彼の夢でもあった大きな仕事が舞い込んできた。
ニューヨークのソーホー近くにある「レガシー」と呼ばれる巨大な壁画「バワリーミューラル」の制作だ。
1980年代にキースへリングが描いた横幅約26m、高さ約6mの巨大な壁画。
この壁は一躍有名となり、現在、数々のアーティストによって1年に2、3回のペースで上描きされ、その歴史を重ねている。去年、あの世界的にも有名なストリートアーティスト・バンクシーもこの壁画に作品を描いた。そう、この"キャンバス"は、現代アートの本場ニューヨークで認められた者しか描くことを許されないのだ。そんな壁に、松山が作品を描くことになった。
番組では、残暑厳しい炎天下で14日間の壁画制作に密着。
壁があるのは、1日に数万人が行き交う大通り。
アートに関して目の肥えたニューヨーク市民の目にさらされながら、松山は何を感じ、最後にどのような作品を描きあげるのか?
文化の壁に阻まれながらも、孤軍奮闘し続けた松山。
アート界の風雲児が、今表現するものとは―。

PROFILE

1976年生まれ、岐阜県出身。上智大学卒業後、2002年に渡米。アメリカの名門美大であるNY Pratt Instituteを首席で卒業。ペインティングを中心に彫刻やインスタレーションも手がける。
これまでにニューヨーク、ワシントンD.C.、サンフランシスコ、ロサンゼルス等の全米主要都市、日本、ドバイ、香港、台北、ルクセンブルグなど、世界各地のギャラリー、美術館、大学施設等にて個展・展覧会を多数開催。
また、Microsoftコレクション、ドバイ首長国の王室コレクション、サンフランシスコのアジアンミュージアム、アメリカのホテルグループAndre BalazsやCosmopolitan Hotel Group等に、松山の作品が多数収蔵されている。
2012年から2017年5月までの5年間、NY市立美術大学School of Visual Arts(SVA)のAdjunct Professorを務めた。2013年4月には、ハーバード大学に招待され、アーティストプレゼンテーションを実施。同年9月には同大学にて個展が開催された。
妻・真歩さんとブルックリンに暮らす。
現在はブルックリングリーンポイントにスタジオを構え、活動を展開している。

STAFF
演出:嘉納一貴
構成:増永 達治
ナレーター:窪田等
撮影:袖垣竜也・平山崇・吉本順一
音効:久坂惠紹
制作協力:MBS企画
プロデューサー:中村卓也・中村和宏

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