第28回 宇都宮まき

15年続いているのは、新喜劇が好きなんやな、と思います。

―いつ頃から、この世界を目指されましたか?

子どもの頃から芸能界以外は、頭になかったですね。うちはそんなに裕福じゃなかったんで、漠然とテレビに出たらかわいい服が着れたりとか、美味しいものがいっぱい食べられたりとか、そういうので、すごい憧れてて。誰々みたいにというよりは、大きくなったら、とにかくテレビに出る人になりたいと思ってて。でも、「将来の夢は何?」って大人とかに聞かれた時に、そんなこと言うたら「お前なんか無理やろ」と言われるのが子ども心に恥ずかしくって、「イルカの調教師」とか「ケーキ屋さん」とか適当なことを答えてました。でもほんまに「テレビに出る」以外のことはなくて、「絶対この世界に入るんや!」と、物心ついた頃から決めてました。お金持ちになったら、一番は自分がかわいい服着たり、おいしいものを食べたかったんですけど、大きい家に家族で住もうとか、お母さんにお金いっぱいあげるからね、とは思ってました。今、お金持ちではないんですけど、自分で稼げるようになって、家にお金を入れているのが、すごいうれしいです。

―デビューは高校生時代、選抜高校野球のセブンティーンリポーター?

それは、芸能界デビューというよりは、高校生がその時期だけやるというだけだったので。高校を卒業する時に、みんなが大学行ったりする中で、自分は進路をどうしようと考えて、東京に行って劇団に入ろうと思ってたんですけど、親がすごい反対しまして。親って自分の子どものこと、よくわかっているじゃないですか。親にしたらこの子は普通の子やし、東京へ行っても無理やろって思ってたと思うんです。大阪にいて、芸能活動できるところはないかと、親なりに必死に探し回ってくれて、たまたま今の私の師匠であるWヤング平川幸男の、知り合いの知り合いの知り合いという人を見つけてきて…めっちゃ遠いんですけど(笑)。なんとか「入れて欲しい」とお願いして。正直、私は吉本全く考えてなかったんですけど…。
(そうですよね~)
私、昔から面白かったわけでもなければ、みんなの前で明るくわ~っとやるわけでもなく、ほんまに普通のお芝居をしたいと思ってたんです。親としては、大阪で芸能活動が出来るとこは吉本やと思ってて。平川師匠もお優しい方なんで、「とりあえず、1年、弟子についてみるか?」と。私は漫才とかは、すごい好きでしたけど、自分がやれるとは思ってなかったから、「漫才師さんのお弟子さんになるの?」と思ったんですが、NSCに行くお金もないし、吉本に入るには、弟子しかなかったんです。

―新喜劇との出会いは?

師匠の付き人で劇場に行かせてもらううち、自分の中で新喜劇を見る方が楽しくなってしまって。師匠の舞台を見た後も新喜劇見に来て…。新喜劇って、大阪に住んでいながら、生で見たことが1回くらいしかなかったんですよ。生で見たら、すごいみなさん輝いているし、「あれ、私、新喜劇ってやっぱり好きかな?」と思い出して。1年経った時に、師匠にお願いして、「新喜劇に入りたいんです」と。嫌やったら(弟子を)すぐやめようと思ってたのに、1年間、新喜劇を見るのが楽しくて続けてきたところもあって。いわばコネ入社で新喜劇に入れていただきました。それが15年続いているのは、新喜劇が好きなんやな、と思います。ほんとにもう、平川師匠のおかげといいますか。ちょうど平川師匠の相方の佐藤武志さんも、浅香あき恵姉さんの旦那さんだったんで、佐藤さんも言ってくださって。「新喜劇に入りたいと言ってる」と。2人のお陰で新喜劇に入れて。あき恵姉さんにも弟子時代からかわいがってもらってたんで、新喜劇にもすごいスムーズに入れたわけですよ。そっからが大変で…。

―どう大変でした?

舞台を見てる時って、みんな上手やから、普通にやっているように見えるんです。でも、いざ自分がやると…。初舞台のセリフが「はい」という一言だったんですけど、その「はい」の声自体が、全然違ってて。ほかの人の声は舞台の声なんですが、自分はなんて素人の声なんやと、ショックを受けました。発声とか練習してたんですけど、全然うまくならなくて。思っているのとやるのとは全然違うってすごい悩んだ時期があったんです。で、18歳で弟子入りして19歳で新喜劇入って、メッチャ順調に出してもらってたのに、全然うまくなれへん。そこからすぐ、舞台に出るのが怖くなって。私、一人で入ってるから同期もいないんで、気楽に、「私、下手やなかった?」って言える友達もいなかったから、ひとりで落ち込んでしまって、パニック障害になっちゃったんですよ。当時の私は、みんなが「なんでこんな奴入ってきたんやろ」と思ってるんちゃうとか、お客さんみんな「1人だけ素人が入ってる」と思ってるんちゃうとか、すごい自意識過剰になって、舞台に出れなくなったんです。舞台の直前、本番の何時間前かに、急に「休みます」と言って休んだりして、家から出れない状態になって、1か月ぐらいかな、休ませてもらったんです。その時、私は、「もうこのまま、辞めるんやな」と思ったんです。こんなに気持ちもしんどいし…と思ってた時に、小籔さんが電話をかけてきてくれたんです。

―まだ座長になる前ですね。

ちょうど私が入団して半年後に、小籔さんとか、レイザーラモンさんが入って来はったんですよ。先輩なんですけど、新喜劇には一緒くらいに入ったんで、ずっと仲良くしてもらってて。よく、新婚の小籔さんのおうちに、レイザーラモンさんと私がお邪魔して、ご飯食べさせてもらったり。だから、小籔さんは急に休みだした私のことを心配してくれて…。電話で、「辞めようと思ってるんちゃう?」って。「俺、今はペーペーやけどいつか座長になろうと思うし、レイザーもこのまま頑張ったら売れると思うし、まきちゃんも辞めずに頑張ったら、いつかご飯食べれると思うねん。俺、座長になった時に一緒に出たいと思うから、辞めんといて」と言うてくれたんですよ。その時に、こんなペーペーの私が辞めようと思っていることに気づいて、しかも止めてくれる人がいるということに感動して。「俺は出番も少ないから、レイザーとビッグポルノという下ネタのラップグループを作ろうと思ってる、そのメンバーにもなって欲しいし、とりあえず、辞めるの待って」と言われたので、それほど言うてくれてるんやったら、ビッグポルノに入ろう、そのためには新喜劇も辞めたらあかんし。とりあえず、わかりました、という感じで、続けてたら、今ご飯食べれるようになったし、小籔さんも座長になって今すごい売れてるし、レイザーさんだって売れて。小籔さんは私の中では予言者なんです。あの頃、私を止めるなんて誰もいなかっただろうし、レイザーさんが売れるのもわからなかったし、小籔さん自身が座長になって東京でこんなに活躍するなんて誰も思ってなかっただろうし、千里眼すごいなと。だから小籔さんが恩人なんです。

―今、その頃の自分をどう思いますか?

新喜劇に入って1年間くらいやっても上手くならなかった。なんでやろ、なんでやろって悩んじゃったんだと思います。昔から舞台経験があったわけじゃないのに、急に入れてもらって、トントン拍子で皆さんに良くしていただきすぎて、自分の中で追いつかなかったんやと思います。小籔さんとかが、「誰も期待してないし」とか、「誰も見てへんから、頑張れ」とか言ってくれて、「あ、そっか~自意識過剰やな」と思ったんですよ。コツコツやってたら、7年目くらいでテレビに出してもらいだして…。自分で勝手にしんどくなってた。みんなすごい優しかったし、受け入れてもらっていたのに。それまでの学生生活と違うわけじゃないですか。自分の中でも「これしかない」と思っていたから、余計力が入って。他にやりたいこともないし、「これアカンかったら、死ぬしかない」みたいに思って、自分のなかで余計しんどくなったと思います。

―ほんとに小籔さんのお陰ですね。

そうなんです。だからビッグポルノって自分の中で大切なユニットやったし、ちょうど10年経って終わっちゃったんですけど、私の中でひとつの大事な節目が終わった気がしました。一時代が終わった感じですよね。でも、また新しいバンドを組むことになって。第2章は新しいバンドで始まると思っているんですけど。
(メンバーは?)
小籔さんがドラムで、金原早苗ちゃんがキーボード、松浦君がギター、私がボーカルで、ベースはまだ内緒らしいです。だから今、めちゃくちゃボイストレーニング行ってて。歌がすごい下手やったから練習してるんです。バンドを新喜劇メンバーで出来るというのがすごい楽しみで…。いつお披露目できるのかは決まってないんですけど。みんな課題曲は練習してます。音楽はなんか、やっぱり好きですね。バンドが始まるのが一番楽しみです。

―自分の中での新喜劇の見方は変わりましたか?

やっぱり、ベテランさんとかのアドリブ力というか、動じない感じがすごいと思います。台本と違うところがあったりすると、私は「はあ~」ってなるんですけど、ベテランさんはドーンと構えてはるので、誰かがミスしても、さっと救いの手を差し伸べられて、それを笑いにしたりとか。テレビで見てるとわからないかもしれませんが、台本以外のところで座員同士のノリで生まれてくるネタがあったりとか、ミスを笑いに変えたりするのが、一番新喜劇のすごいところだというのを入って感じましたね。ガチガチにセリフを覚えているわけでなく、皆さんフィーリングで覚えてはって。チャーリー師匠なんか口癖のように「フィーリング、フィーリング」ってよく言うてはって、その意味がやっとわかったというか。逆にそういう覚え方の方が対応もしやすいというか…。

―ベテランの方から言われたことで印象に残っているのは?

あき恵姉さんに教えてもらったんですけど、メチャメチャ悲しいセリフをいう時に、悲しい感じで言うよりも、1回笑顔を、わざと軽く作ってから言ってみたら、自然に涙が出てきたことがあるって。笑顔で言うことで、より悲しさを表現できることもあるということを教えてもらって、その時、私、衝撃やったんです。悲しい時に悲しい顔で言うのが正しいと思っていたから、そういう考え方もあるんや、と。そういうお芝居の仕方もあるんやというのは印象に残ってますね。桑原師匠は舞台上で気になったことを、「ここをもっとこうしたら」とか、演技に関してすごくアドバイスをくださったりします。見てくださっている、というのがうれしいです。あとは、教えてもらうというよりは、舞台上で勉強になることが多いですね。

―この先輩スゴイという人は?

みんなすごいですけど、この前の「大坂の陣新喜劇番外編~女たちの戦国時代」(2015年5月24日~27日)の時の珠代姉さん。1シーンしか出られてないんですが、お客さんの心を全部持っていくんですね。「お色気講師」という役柄でいつものネタをやってはったんですけど、いつも以上に弾けてて。珠代姉さん、舞台袖メッチャ暗いんですよ。舞台に出て、パン! と弾けた時の底力というか…すごいな、って身震いするくらいすごかったです。若い女の子3人にヘンな踊りを伝授するというシチュエーションで、そのヘンな踊りがメチャメチャ面白くて、お客さん爆笑で。珠代姉さんのスイッチの入り方は尊敬します。

―今、若い人はギャグがない人が多いと思うんですが。

そうですね。私に足りないのは、そこですね。そこが一番弱いところやと思うので、この人が出たら、これをやると思われるようなギャグを見つけないと…と思いながら、15年来たんで。もし、それが出来るようになったら、80歳くらいまで舞台に出れると思うんです。それがないと、いつ出番なくなるかわからないんで。もうちょっと年齢がいくと、自然と三枚目とかになってくるので、そこで何か出来たらいいと思うんです。今ちょうど中途半端な年齢で、女の子の役する時もあるけど、お母さん役をやるにはちょっと早い。我慢しどきの年齢やと思っているので。このままおばさんになっていったら、また違う役もできるかなと。とにかく新喜劇に出続けたいんで、ギャグ捜さなダメですね。

―新喜劇でこの先やりたいことは?

この前の女性だけの新喜劇「大坂の陣新喜劇番外編~女たちの戦国時代」が楽しかったので、女性がたくさん出てるような新喜劇をまたやってみたいです。みんな普段、すごく仲いいんですよ。宝塚っぽい華やかな舞台をやってみたいですね。ダンスや歌が出来る子も居るし、それこそミュージカルみたいなのでもいいし。元気な女の子がいるよというのをお客さんに知ってもらいたいです。

―ご自身の目標はありますか?

今、一番身近な目標は結婚なんですよ。結婚と出産をとりあえず、したくてたまらなくて。それが一番ですかね。芝居も大事ですけど。
(婚活してるんですか?)
メッチャしてます。今一番やらないといけないのは、結婚ですね。時間も迫ってきてるんで、何よりの目標です。
(今年中に?)
1年って子どもの頃は長いなとか思ってたんですけど、年を重ねると早いなと。今年34歳になるんですが、必ず、35歳までには結婚と出産というのが自分の中の目標だったんで、それは叶えたいんです。自分の中ではほんとは20代にするつもりだったんです。28の時には30歳までにはと思っていたんですが、今年も仕事しかしてない、あれ? あれ? という間に毎年年齢が上がっていって、あっという間に33になって。妊娠出産で1年休んだとしても、これは本気で、やりたいことなんですよ。だから、絶対、35までに。35でもう決めないと。
(喫緊※きっきんの問題ですね)
そうなんです。35を過ぎた時に、また新しい人生プラン考えないといけないと思ってるんですが。

―理想のタイプは?

まず、年金とかをちゃんと払っている人。
(あはははは)
なんか社会人としての義務というか、ルールをちゃんと守っている人が。年金払えない、稼ぎが少ないならば、免除してもらう申請をしているだけでもOK。払えないから払わないというのはルール違反じゃないですか。払えるようになったら払いますよ、という意思表示をしている人やったらいいんです。大人としてのルールを守っていれば、顔とかは二の次です。
(初めて聞きますね~)
そう、変わってるでしょ。ルールを守っている人って、回りがあって、自分があるというのを考えられる人だと思うので、性格はメチャメチャ変な人でない限り、大丈夫かなと。この前の大阪市の住民投票にもちゃんと行った人ですね。

―今、ハマっているものは?

トランペットとボイストレーニングですが、最近、ハイキングにハマってて。今さら山ガールみたいなブームが自分の中で来て、休みになったらハイキングに行ったりしてます。こないだは金原ちゃんと森田まりこちゃんとシイタケ狩りに行きました。もともとは、「コヤブソニック」の最後の年に衣装がちょっと着れなくなって、ジムに通い出したんですよ。そしたら意外と体力が出来てきて。これまで運動は大嫌いやったし、歩くのもちょっとしか歩けへんかったのに、歩くのが好きになって、ジムに行ってる友達と「山登りに行こか」という話になって。そんなたいした山じゃなく、子どもでも行けるようなところに行き出して、そこから休みのたびに、行ったりするようになりました。こないだロケで山菜採りを教えてもらって、余計好きになりましたね。山菜を見つけた時と、頂上にたどり着いた時に、友達とそれぞれが持ち寄った「今日の一品」を食べるのが楽しいです。

2015年6月5日談

プロフィール

1981年12月26日大阪府大阪市出身。