遠宮陽春/猪野学インタビュー
猪野さんは1972年10月7日生まれ。
三重県出身で青年座研究所を卒業後、劇団青年座に所属する役者さんです。
特技は空手初段、全日本スキー連盟公認の準指導員、赤十字救急員の資格も持っています。
今回はお坊さん役に初挑戦。収録前の厳しい禅寺修行を中心に聞きました。

―禅寺修行、大変だったそうですね。
「あんなに厳しいとは誰も教えてくれなかったので、「こんなの聞いてなかったよお」ということの連続でした」

―いつ、どこで修行されたのですか。
「クランクインの2ヶ月前の7月1日から1週間、兵庫県西宮市にある海清寺へ。体験修行かなと思っていたら、本物の雲水たちが集まる、年間を通して最も厳しい修行のひとつ「土用大接心(どようおおぜっしん)」でした。修行が始まる時、「只今より雲水殺しの土用大接心に入ります。暑いなら暑さで死んでしまえー。渇いたら渇きで死んでしまえー」っていわれて、えらいところに来ちゃったな、と。

―修行は坐禅が中心だったそうですが。
「空手をやっていましたので、正座と坐禅は苦ではなかったのですが、1日12時間坐禅ですよ。睡眠は2時間くらい。1日がもう長くて。夜中にも夜坐≠ニいって突然叩き起こされて競争で着替えて走って坐禅に入るんです。睡魔との闘いでした。役作りどころじゃありません」

―それで?
「初日の夜坐でビリになってしまったのがもう悔しくて、悔しくて。翌日はもう人を押しのけても走ってしっかり3位に入りました(笑顔)」

―托鉢にも行かれたのですか?
「炎天下の中、に20〜30キロ歩くことがありました。普通は歩いているだけでお布施をもらうことはないのですが、僕はなぜか呼び止められて5千円ほどいただきました」

―一番嫌だったのは?
「食事です。音を立てずに流しこまなければいけなくて。薄いおかゆに漬け物だけなんですが、そのキュウリの漬け物が「これをどうやって音を立てずに食べるんだ」というほど大きく切ってあって。流し込んで飲み込むだけ。いつも緊張してましたね」

―修行が終わる頃には幻覚が見えたとか。
「寝不足のあまり壁からいろんな人が出てきたり、坐禅を組んだ手からグレイのテディ・ベアが現れたり。後日、脚本家の宮内先生のところへいくとそのテディ・ベアがいて…。先生は「修行も終わる頃だから挨拶に行ったのね」と笑っていらっしゃいました」

―お坊さんにスカウトされたとか。
「修行が終わる日、老師から「仏さまは頭が尖っていたが、名僧にも頭がとがている人が多い。学さんも名僧になるかもしれん。もう1泊どうじゃ」と言われましたが、とんでもなかったです。それと、このドラマの禅宗関係の監修の長門義明和尚から、受け持っている寺の住職にと言われました。仏陀が出家したのが29歳の時。僕も今29なので、これは出家しろということかなあ。でも役者でやり残したこともあるし。自主映画もやってみたいし…」(長門和尚いわく、「修行に入れる前は半分できればいいと思っていましたが、終わってみれば100点プラスα。1週間でプロの雲水以上になった」とか)

―修行を終えてお坊さんのイメージが変わりましたか?
「変わりましたね。お坊さんってすごいなーと思うようになりました。雲水さんは誰にでも優しいし、見えなくてもちゃんとやっているところではやっているし、尊敬します」

―役者に対する気持ちも変わったそうですね。
「『この世は無』という禅の教えに触れて、尻込みしなくなりました。精神的に強くなったと思います。役者として足りないものに気付かされました。今までは消極的な部分があったんですが、これからは積極的にぶつかって、そこから生まれる調和を求めたいと思います」